お供物特集(後編)

お供物特集(後編)では、実際に一般寺院ではどのようなお供物が作られているのか?その実例を中心にご紹介していきたいと思います。

供笥と方立

まず、お供物特集(前編)でも少し触れましたが、主にお供物は供笥(くげ)、または鏡台(かがみだい)・雲脚台(うんきゃくだい)と呼ばれる器具に盛っていきます。

※供笥(くげ)は宗派によって呼称が異なりますが、仏教各宗に用いられます。いつの頃から用いだしたのか明らかではありませんが、室町時代には今のような形式で行われていたようです。

供笥(くげ)の周囲には「方立(ほうだて)」と呼ばれるものを立てます。

「方立」は『真宗事物の解説』西原芳俊著によれば、もともとは「饗立(きょうだて)」と称し、饗膳正式(もてなし料理の膳)の場合に、初めは物のこぼれ落ちないために用いたものが、仏前のお供物の装飾として用いられるようになったそうです。

また、『実悟記』には「香立(方立のことを指す)は華葉を表し、供物は蓮台を表して華束と名づけたるか」とあり、方立は蓮華の花びらを象ったともいわれます。

ちなみに、西本願寺ではこの方立は必ず重なりが左が前になるように立てられています。

お供物実例

お供物は作法の上から①餅 ②お菓子 ③果物 の順に重んじられています。
ここからは実際にお寺でお供物を作られる様子や、完成した姿を、一挙にドドーーン!とお届けしていきます。

①お餅

蓮如上人(本願寺8代目宗主:1415~1499年)の時代の記録を見ますと、お供物はすべて小餅ばかりで、餅以外の菓子や果物に類するものを用いるようになったのは、ずっと後代になってからのようです。

お餅はお寺の方やご門徒の方々が、餅をつくところから、色付け・盛り付けに至るまで、手作りされるお寺も多く見受けられます。
作られる工程を普段はなかなか見ることができませんが、そこには様々な工夫が施され、丁寧にお手間がかけられた大きなご苦労が詰まっています。

②お菓子

お菓子は、後にお配りしやすいもの・食べやすいものが選ばれることが多いようです。また法要後、より素早くお下げして参拝者などにお配りできるように、「お供物ほどき」として解体しやすい形で作られるという工夫も見られます。

③果物

果物は上部写真:左の通称「段盛」と呼ばれる道具を使って盛られることが多いようです。
また、備後で身近な瀬戸内海は〝みかんどころ〟ということもあり、備後ではみかんのお供物を見ることが多いです。

お下がりをいただく

あるご門徒宅での一コマです。
お勤めが終わり、お茶をいただきながら、そのお宅のおばあさまとお話しをしていました。すると、そこに小学生のお孫さんが学校から帰ってきました。

孫「ただいまー!!」

祖母「お寺さんが来てくれとってじゃけぇ、ちゃんとご挨拶しなさい!」

その言葉を聞いて、お孫さんが元気よく挨拶をしてくれました。挨拶にすぐ引き続いて、

孫「おばあちゃん、なんかおやつある?」

その問いに、おばあさまは少し照れくさそうに笑いながら、私に軽く会釈して返事をしました。

祖母「お仏壇にお菓子がお供えしてあるから、手を合わせてお礼してからいただきなさい。」

お孫さんは私の横を通りすぎ、慣れたようにお仏壇の前に座りました。そして手を合わせてお礼をすると、お供えしてあったイチゴ大福を手にし、先にイチゴ大福をよばれていた私の横にちょこんと座ると、「いただきまーす!」と、勢いよく食べ始めました。

祖母「そない慌てて食べようたら喉に詰まらせるよー」


何とも微笑ましいひと時に、こころが温まるようでした。
もしかすると、こういったやりとりは少し前までは多くのご家庭で当たり前のように見られたのではないでしょうか。
今ではずいぶん懐かしい光景になってしまったでしょうか?

「お供物」をさせていただくということは、ひとつに、いのちの恵みを、仏さまのお恵みとして心から喜び、その有難さに感謝していくということです。
そのことを日常的に先人たちは教えてくれていたものです。
日々の恵みを仏さまからの〝お下がり〟としていただくところに、自然と物の有難さがしみついていたのではないでしょうか。

何事も仏様からの〝授かりもの〟として、改めて感謝の気持ちでお礼させていただく一日一日を、共々に大事に歩まさせていただきたいことです。

終わりに

前編・後編にわたってお届けした「お供物特集」いかがだったでしょうか?
皆さまのお寺やご家庭のお仏壇になされるお供物のご参考になるようなことがあれば幸いです。
また、お供物の写真は、これからもこちらのレポートに順次追加してアップしていこうと思っておりますので、ご参考にまたぜひ覗いてみてください。

最後になりましたが、この「お供物特集」に写真提供等々、ご協力いただきました多くの皆さまに深く感謝申しあげます。有難うございました。 合掌

 

 

「カルピスは○○の味」

老若男女問わず人気の「カルピス」、私の娘も飲むと喜ぶ「カルピス」、実は発明者が浄土真宗の僧侶の方だったことはご存知でしょうか。今回はそんな「カルピス」の発明にまつわる物語をご紹介させてもらいます。

生みの親は誰?     

「カルピス」の生みの親・三島海雲(かいうん)は、1878(明治11)年7月2日、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなく、大学から中国へ渡ることをすすめられ、1902(明治35)年、当時日本の青少年の憧れの地であった中国大陸に無限の可能性と夢を求めて渡っていきました。

「カルピス」の原点との出会い

中国で教師をしていた後、日華洋行という雑貨商の事業を行なうことになりました。あるとき、仕事で北京から内モンゴルに入った海雲は、そこで「カルピス」の原点である酸乳と出会いました。当地の遊牧民たちが毎日のように飲んでいた酸っぱい乳をすすめられるまま口にしたところ、そのおいしさと健康効果に驚きを受けました。長旅ですっかり弱っていた胃腸の調子が整い、体も頭もすっきりしてきたのです。その酸っぱい乳が乳酸菌で発酵させた“酸乳”だったのです。酸乳を日常的に摂取しているモンゴル民族のたくましさに驚き、自らも酸乳の健康への効果を体験し、その力を実感しました。

「カルピス」の発売

「醍醐素」(乳酸菌で発酵させたクリームを商品化した「カルピス」の前段階の商品)を改良したおいしく体に良い飲み物として開発したのが、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。海雲は、「カルピス」の本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。1919(大正8)年7月7日の発売以降、「カルピス」は時代を経て、やがて“国民飲料”として愛される商品へと成長しました。その一方で、海雲は、その生涯をかけて『国利民福』への思いをつらぬきました。『国利民福』-国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成すこと。それは、海雲の生涯をかけた目標でした。

「カルピス」の語源

脱脂乳を乳酸菌で発酵させた飲料「醍醐素」に砂糖を加えて2日ほど放置した結果生まれたのが「カルピス」の元で、日本の食事に不足していた「カルシウム」を混ぜて「カルピス」が完成したことが名前の由来となっています。ここから「カルシウム」の”カル”、サンスクリット語(古代インドの言語)の「サルピス」から”ピス”をとって「カルピス」と命名されました。「サルピス」は仏教で五味と呼ばれる乳・酪・生酥・熟酥・醍醐の中の熟酥(じゅくそ)を指します。カルピスの元になっている醍醐は五味で最高位にあたりサンスクリット語で「サルピルマンダ」と呼ぶため「サルピル」や「カルピル」といった案もあったが、音声学の権威・山田耕筰に相談し響きの良さを重視して醍醐の次位である「サルピス」からとって「カルピス」となったそうです。

「カルピス」誕生の裏にこのような物語があることに驚かされると同時に、遊牧民の優しさと青年僧侶の偶然の出会いが今も多くの方々に親しまれているあの味を生んだことに不思議なご縁を感じずにはいられません。初恋の味だけではなく、ご縁の味でもあったと味わわせてもらいました。これからの3・4月は出会いと別れの多い時期ですね、今日は「カルピス」で乾杯!

筆者 武田大俊

 

出典:アサヒ飲料(株)カルピス事業ブランドサイト
http://www.calpis.info/story/developer//
(物語・語源の部分は上記サイトより抄出し引用させてもらいました。転用を御快諾下さいましたアサヒグループWebSite事務局の皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。)

「やさしく学ぶ正信偈」連続講座はじめます!

昨年開講した連続講座「やさしく学ぶ浄土真宗」に続いて、今年は「やさしく学ぶ正信偈」の連続講座を開講いたします。

親鸞聖人が浄土真宗のみ教えを簡潔に凝縮して示された讃歌「正信偈」をやさしく学んでいきます。

講師には前回の連続講座「やさしく学ぶ浄土真宗」に引き続いて、京都龍谷大学教授であられる玉木興慈先生においでいただきます。

ご門徒の方でも、お寺の方でも、初めて仏法に触れる方でも、浄土真宗に興味がある方ならどなたでもご参加いただけます。

皆さまお誘い合わせのうえ、どうぞお越しください。
ご一緒に学ばせていただきましょう!!


  • 日時
    第1回3月 8日(木)
    第2回5月17日(木)
    第3回7月12日(木)
    第4回9月27日(木)
    第5回11月8日(木)
    各回15時~18時まで(受付14時半~)
    ※休憩を間に取ります
  • 場所
    本願寺備後教堂
    〒720-0052 福山市東町2-4-5
    ℡084-924-5759
  • 講師:玉木興慈 先生(龍谷大学教授)
  • 対象:どなたでも
  • 参加費:各回2,000円
  • お問い合わせ
    電話  : 090-9871-7536
    MAIL :  dragonjournalonweb@gmail.com
    (受付担当者:佐藤知水)


御恩報謝につとめます

先日、小学生の娘が、学校から給食だよりをもらってきました。
それを見ると、学校給食の歴史について書いてありました。

給食の始まりは、1889年(明治22年)山形県鶴岡町(現:鶴岡市)の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で実施されたのが、学校給食の始まりとのことです。
戦後は食料不足で、外国からの支援物資を使った給食が提供され、みそ汁・脱脂粉乳などが出されました。
日本が豊かになるにつれ、脱脂粉乳が牛乳に切り替わり、パンやソフト麺が登場し、現在では、米飯給食が進み、行事食・郷土料理・地場産物を取り入れた給食になっているようです。

机の上に給食が並び、給食当番さんが
「手を合わせてください、いただきます」
全員で声を合わせて
「いただきます」
と、給食を食べ始めます。

しかし、ある小学校では
「うちの子どもは給食費を払っているのに、なぜ『いただきます』と言わなくてはならないのか」
というクレームがあったそうです。

このような考え方はわずかだと思いますが、私たちが食べるという行為は、牛や豚や鶏や魚などの動物や、米や野菜などの植物などの「いのち」をいただく行為です。
「あなたのいのちを私のいのちにさせていただきます」
と言うことです。
また、この給食になるまでに生産者の人、運ぶ人、調理員さん、栄養士さん、給食当番さんなど、用意してくれた人に対して感謝の気持ちを表した言葉が、「ごちそうさま」なのです。

私の家では、食事の際に家族一人ひとりが「御恩」を喜べるように本願寺派の「食事の言葉」を言うように心がけています。

本願寺「食事のことば」解説

たくさんの人が関わって、生かされていることに気づき、感謝の気持ちを体で表すことが大切ではないでしょうか。

筆者 川上浩照

 

仏教教養講座「地獄絵絵解き 音解き」のご案内

備龍会が年に1度開催する「仏教教養講座」、昨年は親鸞聖人の御生涯を絵で表した「御絵伝」のご解説をプロジェクターを用いて、わかりやすく、また有難く解説していただきました。

今年度は、「地獄絵絵解き 音解き」と題し、ご講師に関西学院大学文学部教授 西山克先生をお招きし、プロジェクターを用いて地獄絵「熊野観心十界図」を詳しくご講義いただきます。

その後は楽団 ファンファーレ・ロマンギャルドによる迫力ある演奏影絵人形劇影像 蝸牛車影絵を通して、より立体的に地獄の世界を味わっていきます。

昨年、龍谷ミュージアム特別展「『地獄絵ワンダーランド』プレミアムナイト企画」でご講演された際は、超満員で大好評でした。

「地獄は一定すみかぞかし」(地獄こそが決定的なわたしの住みかなのです)と親鸞聖人はおっしゃいました。同時に「そのようなあなたを救わずにはおられない」と願い、はたらかれる阿弥陀様のお救いを慶ばれたのです。
地獄を深く学ぶ中に、阿弥陀様のお慈悲を仰がせていただきましょう。
どうか皆様お誘い合わせのうえ、ご参加ください。


日時
平成30年3月1日(木)
13:30~16:40

場所
本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

参加費
無料 ※僧侶・門徒問わずどなたでもお越しいただけます。

講師
絵解き 西山 克(関西学院大学・文学部教授)
音解き ファンファーレ・ロマンギャルド
影絵人形劇影像 蝸牛車

内容
地獄絵「熊野観心十界図」の解説(絵解き)を聞き、その世界を基に「組曲 六道」の演奏(音解き)と、六道輪廻を巡る影絵人形劇の映像を楽しむ…これぞ地獄尽くし!

日程
13:00 受付
13:30 開会式
13:50 地獄絵絵解き
15:45 音解き(影絵映像付き ライブ演奏)
16:30 閉会式

お供物特集(前編)

西本願寺最大の年中法要、御正忌報恩講法要が1月9日~16日まで盛大に厳修されました。

御影堂(ごえいどう)の中心となる御真影様(ごしんねいさま:親鸞聖人御木像)の周囲は雅やかにお荘厳がなされていますが、その中でも破壊力抜群のビジュアルで目を引くのがお供物(おくもつ)です。

今年の報恩講のしおりの表紙にもお供物が描かれていました。

餅や落雁、果物などを積み上げたお供物は直径20センチ弱、供笥(くげと読みます、お供物をのせる台のこと)を含めると、高さは80センチにおよびます。もっとも大きな「千盛饅頭」は高さ1.5メートルにもなり、咲き乱れる椿の装飾がお供物の王者という風格を漂わせています。


“報恩講期間中は、本願寺渡り廊下にて、荘厳具・仏華・供物などの展示がなされているので目の前で拝見することができます。”

供物は、尊前に供える餅・菓子・果物などのことをいいます。
本願寺の御正忌報恩講法要においては、御真影様の御前に10具(10対)の供物を内側より、彩色餅・白雪香・山吹・洲浜・蜜柑・紅梅糖・松風・紅餅・銀杏・千盛饅頭の順にお供えされます。

荘厳仏具で彩られた御影堂内陣のなかでも、これら10具のお供物が立ち並ぶ姿は圧巻です。

お供物詳細参考:本願寺勤式指導所ホームページ

これらすべては、銘菓「松風」で有名な、御供物司「亀屋陸奥」が口伝で継承されてきました。創業当時から西本願寺へ作り続け納めてきた、その歴史は500年にものぼります。

添加物は一切用いず、豪華で精巧に積み上げられたお供物からは、菓子職人のただならぬ心意気を感じます。

餅の原料には全国の門信徒から集められたもち米が使われるなど、徹底した宗祖親鸞聖人への想いが込められています。

写真:「本願寺報恩講しおり」より転載


 

さて、西本願寺だけではなく、一般の寺院においても、法要の際にはお供物をいたします。もちろん、お供物の準備に費やすことができる時間、人員や予算など全ての法要において、

「絢爛豪華にお供物を!」

 

というわけにはなかなかまいりません。しかし、報恩講法要や慶讃法要など、特別大切になされる法要等ではそれぞれに工夫やこだわりを見ることができます。

例えば、備後の中には住職自らが落雁を1から手作りし、

 

ご門徒の皆さまと完成させていくというお寺があったり、


“これは匠の域ですね”

法要後に仏様からの”お下がり”として、参詣者にお配りしやすいものを吟味して選ばれ、美しく見えるように工夫をこらしておられるお寺など、お供物の様式も様々です。

“ズレないようにまっすぐ重ねていくというのも大変な作業です”

「子供報恩講」という子供たちの法要を開かれて、子供たちに喜ばれるものを考えてお供えされることもあります。


 

その中で、備後地方で特に報恩講法要でよくお見かけするお供物を1つご紹介いたします。

いつどのようにして始まったものなのか、備後地方を中心に伝わってきたものなのか、詳細を確認することはできませんでしたが、古くからずっと続いてきた伝統的なものであるということは間違いありません。
※詳しく知っておられる方があればぜひご教授ください!!

 

作り方もお寺によって微妙に違いがあるようです。

まず原料に米粉ともち米を混ぜたものを搗いて棒状にしていきます。
分量も3:2で混ぜるというお寺もあれば、米粉100%でされるというお寺もあります。

それを斜めにカットしていきます。

カットする太さもそれぞれのお寺によってこだわりがあるようです。

輪ゴムなどで根元を止めていきます。

止めたところが目立たないように、お餅と同じ色のゴムを使われたり、透明のゴムを使って作られるというお寺もあります。

完成です!

蓮華の花が咲くような姿から「蓮華盛」と称されたり、花びらのような姿から「花びら餅」と呼ばれます。

こちらは白餅だけで作られ、餅を切るのに肉を切る道具を用いたものです。

色彩鮮やかに作られるお寺もあります。

「蓮華盛」は始めは垂直で止められています。それが、冬にストーブなどで本堂内がじんわりと温まっていく”熱”の伝達によって、少しずつ花びらが開いて咲いていくかのように、だんだんと曲線を描いていきます。法要の間に、開いていく過程も楽しむことができるんですね。

この特色をお聞きしながら、私たちも仏様のお慈悲のぬくもりによって、少しずつ仏法をよろこぶ心の花びらが開いていく。そしてお念仏の大輪を咲かせるという、ぬくもりによって「蓮華盛」が開いていく姿に、そんな味わいを重ねさせていただいたことです。


法要後お供物を下供して、参詣者にお配りすることがあります。そんなとき「お供物は仏華の後ろに隠れて見えにくかったから、どんなのをされていたのか気が付かなかったよ!」と言われることがよくあるそうです。
お供物だけに限らず、心をこめてお荘厳されたお内陣を、改めて注目しながら見てみるというのも、お寺参りの楽しみの1つになるのではないでしょうか?

「お供物特集(後編)」ではお供物の「実用例集」ということで、さまざまなお供物をご紹介していきたいと思います!!
またぜひ、ご一読ください!!

ならせていただく

あけましておめでとうございます。2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、先日あるテレビ番組で

「最近の若者の言葉遣いは、どうにもおかしい!」

というお便りが紹介されました。お便りを出された方は

「特に二十歳にならせていただきました。という言葉を聞いた時には、おかしさを通りこして、呆れかえってしまいました。」

と締めくくられていました。

私もいわゆる、最近の若者なので不勉強なことが多いのですが、ここでは「二十歳になりました。」という言葉が正しいのであろうと思います。

 

ですが、呆れかえるほどおかしな言葉でしょうか?私は「二十歳にならせていただきました。」という言葉にはとても大事な意味が込められているように感じます。

 

私を含め、今このコラムを読んで下さっている皆さんも、今までの人生、自分一人の力で生きてきたという方はいないのではないでしょうか。

私を産み育ててくれた両親や家族、一緒に学んだ友人、導いてくれた先生。直接関わってきた人たちだけではありません。私の着ている服を作ってくれた人、私がいただく食品を加工してくれた人。毎日の食事ではたくさんのいのちをいただいています。

「いままでたくさんのいのちに支えられたおかげで、私は二十歳まで成長させていただきました。」という感謝の想いが「ならせていただきました。」という言葉には込められているのではないでしょうか。

阿弥陀さまのお育ての中、仏さまと「ならせていただく」仏道を歩む私たちです。私を支えて下さるすべてのいのちに感謝しながら、今年一年も過ごしていきたいと思います。

筆者 季平願生

 

同じ方を向いて

はじめまして、この度エッセイを書かせていただく那須と申します。

福山市在住で、普段は宗教関係学校である高校の教員として学校に勤めています。最初は業務に追われ、毎日が忙しなく過ぎていきましたが、そんな生活にも少しずつ慣れていき、もうすぐ教員生活も3年が経とうとしています。

元気盛りな生徒たちには手を焼くことも多く、1日が終わったころにはクタクタになっています(笑)しかし、彼らは教員として、人としてまだまだ未熟な私に常に大切なことを教えてくれます。

 

大学を出て教員になったばかりの頃、私は「生徒の気持ちがわかる先生になろう!わしも若いし、生徒の気持ちはわかってやれるじゃろう!」と思っていました。気分は金八先生ですね。

しかし、実際に生徒の前に立ち話や、時には指導をする中で全く自分の思い通りにならず、

「なんでわしの言う通り動いてくれんのんじゃ!!!」

と愚痴を吐いている自分がいました。

その後、時間をかけて彼らとの接し方を1人ずつ考え、少しずつ距離を縮めていくなかで彼らの表情が変わってきました。よく笑うようになり気持ちも吐き出してくれるようになりました。逆に私も気が楽になり、想いを伝えやすくなりました。

 

こうしたことを繰り返す中で

「相手と理解し合おうとすることも戦い」

なんだと気づかされました。

よく「聞き上手が一番モテる」という言葉を聞きますが、思えばそれは決して楽なことではなく、相手が誰であれ心の扉を開くために必要なことをあれこれ考え、時には勇気を出して一歩踏み込む、そんな戦いがあるのだなと実感させられました。

自分が正しくて「あいつが悪い」とつい自分勝手に相手のせいにしてしまう、そんな私たちに、仏教は真実の教えを聞くことの大切さを説きます。
どこまでも自分中心の心にしばられた私に気づかされるのです。

「人間 みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪」

そんなことにならないように、教員として、僧侶として、そして人として日々精進して参ります。

 

筆者:那須英裕

子(に)育て(られる)。

みなさまこんにちは。
この度初めてコラムを書かせていただきます、尾道市の大田垣聖行と申します。

いきなりですが、『秋』といえば何を連想されますでしょうか?

食欲の秋?読書の秋?彼岸のお墓参り?はたまたハロウィン?

私の場合は、ズバリ

「運動会(長男の)」です。

なぜなら朝の準備・場所取り(重要ミッション‼︎)・後片付け・幼稚園の先生との慰労会等、父親である自分も運動会気分を味わえるからなのです。

そして何より、息子の成長を間近で見ることができるからです。1年前では出来ないようなお遊戯を見させてもらったり、かけっこで(2年連続!)1番だったりと、「大きくなったな。しっかりしたな。」と感じます。

ある飲料メーカーのCMで、

「子供の成長は毎日感じるけど、私は成長してるだろうか」

 

というフレーズがありました。

子供と過ごす生活の中で、何気なく息子が発した言葉に思わずハッとさせられたり、不意にとった行動に自分の有り様を考えさせられたり優しい気持ちになったりと、子供から気付かせてもらうような出会いがたくさんあります。

そう考えてみると子育てをしているつもりでも、父親である私が子供にいつも育てられているのだな、と思います。

阿弥陀さまのお育ての真っ只中で、父親として、人間として、もちろん僧侶として日々成長してまいりたいと思いました。

筆者 大田垣 聖行

カープ優勝

2017(平成29)年9月18日阪神甲子園球場。待ちに待った瞬間が訪れました。

広島東洋カープ(以下カープ)が昨年の優勝に続いて2年連続8度目のセントラルリーグ優勝を果たしました。

連覇は37年ぶりという。

多くのカープファンが歓喜に酔いしれました。私も子供のころからのカープファンです。地元優勝ができなかったことは少し残念ではありますが、やはりうれしい。カープファンではない方、野球に興味のない方には少しおもしろくないかもしれませんが、少し私の話にお付き合いください。

カープの優勝。それは多くの選手たちの活躍によるもの。昨年の26年ぶりの優勝の時もそうですが、個々の選手持ち前の力を発揮し、選手一丸となって成しえたものです。

タナキクマルと呼ばれる、田中、菊池、丸の1,2,3番トリオ。
途中惜しくも怪我で離脱してしまったが、若き4番鈴木誠也。その鈴木の離脱後見事にその穴を埋めた松山。

他にも野手では今年活躍が目立った安部、優勝の決勝打を放ったバティスタ、そしてエルドレッド、新井など。

投手陣では昨年黒田が退団して当初は不安視され、さらに開幕直後エースのジョンソン、野村が離脱してしまいどうなることかと思いましたが、藪田や岡田などの若手が台頭し、穴埋め以上の活躍をみせました。

他にも大瀬良、九里、一岡、今村、中崎と多くの名が上がり、限りある紙面では紹介仕切れません。

専門家の中にはカープは再び黄金期に入ったという人もいるらしいです。カープの人気は今や全国に広がっています。ホームのマツダスタジアム(広島市民球場)以外の球場のスタンドの応援をみても赤色が非常に多いようにみえます。カープ女子という現象も見受けられます。私の子供の頃、カープ女子と言えるのは近所のおばさん、いやおばあさんたちでした。あの頃からは想像つかないことだと思います。

さて、上記に名が上がった選手たちは今や全国の野球ファンたちに知られています。カープの低迷期にはレギュラー選手でも全国に知られないことがありました。では、なぜ今の選手たちは名が知られているのか。それは私たちが知ろうとして知っているのではなく、彼ら選手の活躍というはたらきによって知らされているのです。カープの強さ、選手個々の活躍はたらきなしではみんなに知られることはありません。

ここで問題です。

カープの選手の中に浄土真宗本願寺派備後教区寺院出身の選手がいることを知っていますか?
そう、梵英心選手。カープ低迷期を支えた名遊撃手でしたが、残念ながら今季限りでの退団が決定しました。

では、もう一つ。1950(昭和25年)カープ創設時にも浄土真宗本願寺派備後教区寺院出身の選手がいたことを知っていますか?
これが分かる方はそうはいません。
彼の名は箱田義勝、私の伯父です。子供の頃私の父親(現住職)から「伯父さんはカープの選手だった」と聞かされていましたが、はじめのころはウソだろうと思っていました。近年ネット社会が発達し、何でも検索すれば知ることができるように、改めて『箱田義勝』を検索してみると、確かにHITしました。

以下は父親から聞いた話です。

箱田義勝は昭和5年に広島県沼隈郡山南村(現福山市沼隈町下山南)の西光寺に生まれました。寺の跡継ぎでありながら父親(私の祖父)の許しを得て高校卒業後、昭和25年創設間もないカープにテスト生で入団。あこがれのプロ野球選手となりました。同期にはかの有名な小さな大投手長谷川良平選手がいました。
伯父は左投手で期待され、祖父の話では当時の石本秀一監督に背広を買ってもらったとか。しかし、現実は厳しかったようで、選手としての在籍期間は1年半。その間の成績は登板試合2試合、投球回数3回で勝敗つかず、自責点12点。とても良い成績だったとは言えません。その後、引退から6年、生家に戻り住職を継ぎました。それから10年後の昭和41年、交通事故で往生しました。名もなきカープの選手の一生です。

伯父の名は皆さんには知られていません。知られるほどの活躍ができなかったからです。

私たちは「南無阿弥陀仏」のお名号をいただいています。「名号」とはそのまま字の解釈をすれば「名乗り」です。
しかし、名乗っただけではその名は人には届きません。伝わるためにはそれ相応のはたらきがともなわなければなりません。

「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀如来さまが、「すべてのいのちをもれなく救うために、永い永い期間深く深く考え抜かれて、48の願いを建て、そしてさらにさらに気の遠くなるほどの行をおさめてしあげた」名乗りです。
いま、その名乗りの「南無阿弥陀仏」が私の口から称えられるのは、阿弥陀如来さまのはたらきが、まさしく到り届いている証であります。その名乗りはまた、「我をたのめ、必ず救う」という喚び声でもあります。

ですから、今の私はただただそのみ名を称えさせていただきながら生かさせていただくのです。
深い願いがあることに気付いたカープの優勝です。

これから、CS突破と日本シリーズがあります。願わくば、勝って33年ぶりの日本一を見てみたいものです。

最後に、伯父の背番号は8でした(正確にはつけたことがある)。

今日もカープは勝ち♪勝ち♪勝ち勝ち♪

 

筆者 箱田 義信

浄土真宗本願寺派 備後教区 青年僧侶の会=備龍会のウェブサイトです。