浄青僧 本山総参拝2020

1月28日(火)、備龍会は総勢11名で浄土真宗青年僧侶連絡協議会(以下:浄青僧)本山総参拝に参加しました。浄青僧とは、全国にある浄土真宗本願寺派の青年僧侶団体が一堂に会し、様々な研修を行い、親睦を深める組織です。半日という短い時間でしたが、内容は大変濃いものでした。その様子を少しレポートします。

備龍会会員

まずは、本願寺の御影堂にて開会式が行われました。開会式にはご門主様もご臨席くださり、次世代を担う青年僧侶への期待のお言葉を述べてくださいました。そして、最後に主催教区である春秋会(安芸教区)会長のご挨拶があり、開会式が閉じられました。

御影堂での開会式

その後、会場を安穏殿(本願寺境内の建物)に移し、今回のテーマ「ブッダスケール ~子どもたちの願い・仏さまの願い~」のもと研修会が始まりました。

研修会

研修会の最初は、春秋会会員によるワークショップ。内容は、一枚の簡単な迷路が渡され、それを利き手とは逆の手で行うといったものです。しかし、ただするだけでなく、その間スタッフからは「早くやりなさい!」「なんで出来ないの!」などの容赦ない言葉が浴びせかけられます。冗談と分かっていても、その言葉にプレッシャーを感じ、迷路を上手にすることができないのです。それが終わると再び新しい迷路が配られ、同じように利き手とは逆の手で行っていきます。しかし、今度はさっきとは違い、スタッフから「上手だね」「すごいね」などの優しい言葉がかけられるのです。すると、全く違う心持で迷路をすることができました。同じ迷路をするのでも、掛けられる言葉によって心理状態が大きく変わることを実感しました。親が子供に掛ける言葉も、大人が思っている以上に、子供に大きな影響を与えていることを知る体験となりました。

ワークショップ

続いて、今回の研修のメインである白石正久先生(龍谷大学教授)によるご講義がありました。先生は、糸賀一雄先生(日本で初めて知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設された人)の活動やお言葉を通して、「子どもたちの願い」について分かりやすくご講義してくださいました。

そのなかでとても印象的だったのが、「すべての子どもは、より良く生きようとするたたかいのなかにある、そのことに共感していくことが大切である」というお言葉です。発達には個人差があります。けれども、大人はその発達に「早い」「遅い」などの評価を与えてしまいます。しかし、すべての子どもは、必死により良く生きようと願いたたかっているのです。そのことを知って共感していくことを「発達的共感」と言い、この共感の世界が形成されることが大切であると教えていただきました。

そして、最後に白石先生と花岡静人先生(本願寺派布教使)との対談がありました。「阿弥陀様の分け隔てなく救う」というお心を通して、多様性が尊重される社会の実現のために、僧侶自身が常に問題意識をもって寺院活動を行っていくことが大切であると聞かせていただきました。

白石正久先生
花岡静人先生

夜には、懇親会がありました。ここでは、「久しぶり!」「元気しとるん?」などの言葉が飛び交い、友人との久々の再会を喜ぶ声が聞こえていました。また、普段会うことのない他教区の僧侶と様々な意見交換をし、多くの刺激と学びを得る場となりました。

この度の浄青僧本山総参拝で学んだことを、備龍会の活動に繋げていきたいと思います。安芸教区春秋会の皆様、大変お世話になりました。誠に有り難うございました。   

ラーメンと仏教

国民食という言葉を知っているでしょうか?その国で広く親しまれている料理を指す言葉です。国民食には大きく二つの種類があります。一つはその国で考案され生まれた料理、もう一つは他の国で生まれて持ち込まれた外来の料理です。この外来の国民食の代表格、それがラーメンです。ラーメンは中国で生まれた麺類ですが、もはや説明することが野暮なほどに日本人の生活に根付き、日本人のソウルフードとなっているものです。そして、ラーメン好きの私は気づいたのです。ラーメンと仏教の共通点の多さを!
 
仏教とラーメンの共通点は極めて多いのですが、ここでは3つを挙げておきましょう。
 
一つ目の共通点は、外来であるのにも関わらず日本を象徴するものであることです。とある旅行サイトを見ると、外国人に人気の観光地トップ10の中に、東大寺、三十三間堂、高野山奥之院、金閣寺の4つの仏教寺院がランクインしています。日本らしいものを観たい外国人はお寺へ行き仏教に触れているのです。外来であるはずの仏教は今や日本を象徴するものになっています。そして外国人が好きな日本食ランキングでは不動の寿司に次いでラーメンが選ばれています。ラーメンはその美味しさで外国人を魅了するとともに、日本食として完全に定着しているのです。ラーメンの日本における文化的地位はもはや仏教と同一のものと言ってよいでしょう。
 
二つ目の共通点は、懐の深さ、すそ野の広さです。仏教には8万4千種の経典があると言われ、その膨大な智慧の集合体を仏教と呼んでいます。仏教の中には多種多様な信教思想が混在し、それに伴って多くの教団、宗派、一派があり、玄妙な教義を各々に確立しています。仏教という大枠の中にありながら、様々な教えが数多く存在し合っている広義な宗教です。つまり、仏教において信仰を問われたならば「あなたの仏教はどんな仏教?」の問いが必要になってくるのです。
同じように、ラーメンほど多種多様な料理も他には存在しません。仮にあなたが「ラーメンを食べに行こう」と誘われたとしましょう。するとあなたは「どんなラーメン?」と聞き返すでしょう。このような料理は他にはないのです。ラーメンは麺、スープ、具材その全てか細かくカテゴライズされ、その細微な違いによって全く別の料理になってしまうのです。こってり系とあっさり系においては、もはや好む人種は全く違うと言えるでしょう。寿司、お好み焼き、カレー、そば、など他の国民食にそのようなことは断じて起こりえません。ラーメンの奥深さはもはや仏教と同一視せざるをえない、私は勝手にそう思うのです。
 
そして最後に三つ目の共通点、それはどちらも人を幸せにするものであることです。仏様のご利益を一言で言うならば「抜苦与楽」でしょう。苦しみから解放し楽を与えて下さる教えです。全く同じではないが、ラーメンにもそれに近い要素があります。一口食べたその瞬間、私の細胞の隅々まで行き渡り、私の全てを包み込み、私にこの上ない至福を与えてくれるのです。
 
最後に、カップヌードルで有名な日清食品の創業者安藤百福氏は「人類は麺類である」という名言を残しています。その言葉の真意は今になっては誰も伺い知る事はできませんが、私はラーメンの深みと私の本質を見抜いた真言であると思っています。ラーメンを食べるたびに仏教に想いを馳せ、それと同時に己の至らなさを知らされます。何が言いたいかと言いますと、太り気味の私はラーメンを食べ過ぎないようにしたいということです。ラーメンは太りますからね。

枝廣会員おすすめ「極鶏」のラーメン in 京都

執筆者 枝廣慶樹