『御絵伝解説~親鸞聖人九十年の御生涯』

先般2月13日に備龍会主催の仏教教養講座が開かれました。

今年も昨年に引き続き、大阪の宮部誓雅先生にお越しいただき、親鸞聖人九十年の御生涯が描かれた『御絵伝』を、プロジェクターを用いて分かりやすく解説していただきました。

昨年は四幅ある御絵伝のうち第一幅のみの講座でしたが、今回残りの三幅の中から特に重要な場面をピックアップして、最後まで解説していただきました。

いつもは一回の研修会につき一幅でお話されることが多いようなので、相当無茶な依頼だったと思います。限りある時間の中で丁寧にまとめてくださった宮部先生には本当に感謝です。
お蔭で御絵伝の全体像を把握させていただく、大変よい機縁となりました。

このように実際に御絵伝の場面を大きくしての解説、本当に見やすく分かりやすいです。

スライドの良さは言葉を聞きながら目でも多くの情報を得ることができることです。濃密な時間で、会場にいる皆がぐっと場面に集中している感じが伝わってきました。
スライドを用いての解説の後には、御絵伝の場面に先生が味合われるみ教えを御法話してくださる時間もありました。
御絵伝も日々研究が進み新しい発見などもあるそうです。
親鸞聖人が御流罪になられた背景や、山伏弁円さんとの出会いの意味など、引き込まれるお話をたくさんしていただきました。

今回宮部先生のお話を聞かせていただき、今後『御絵伝』を「自分たちでももっと学ばせていただきたい」という思いが強くなりました。

また、お掛け軸として皆で見て敬えるようにした『御絵伝』は、当時としては画期的な伝道方法であったのでしょう。

私たち青年僧侶が現代社会において親鸞聖人のみ教えを広く伝えていくためには、このように新たな視聴覚伝道について研究していく必要もあると思います。
今回の研修は私たちにとって新たな取り組みの可能性を考えさせられる大変有意義な時間となりました。

浄青僧全国大会 in 築地本願寺。

備龍会が加盟する「浄土真宗青年僧侶連絡協議会」の第25回全国大会が東京築地本願寺で開催されました。

大谷光淳ご門主様ご臨席のもと、開会式が始まり、「宗祖讃仰作法(音楽法要)」が勤まりました。

築地本願寺には立派なパイプオルガンが常設されており、多彩な音色に雅楽と声明が調和して、美しいハーモニーを奏でます。

大会のテーマは「浄土真宗だからできること~僕らの時寺問題2017~」

研修は釈 徹宗先生をコーディネーターにパネルディスカッション形式で行われ、先ず「夜回り先生」として有名な水谷 修先生より問題提起がなされました。

現代社会において多くの悩みを抱える若者たちと深く関わり続けて来られた水谷先生から発せられたのは、数限りない若者たちの苦悩の現状、湧きおこる問題、そこに光を射す事の出来る仏教(お寺)の可能性。それらの提起に、満井秀城・紫藤常昭・脇谷暁融先生がそれぞれ専門とする立場からディスカッションされました。

会場内には、『ダキシメルオモイ』展が併催され、小林憲明さんの作品が展示されました。

麻布に油彩で描かれた作品は、適度に透明感があり、空間に自然と溶け込んでいくようです。

東北の震災以降、福島の親子を中心に描き続けている小林さんは、子供を守りたい、安心して暮らしたい、そんなごくあたりまえがあたりまえでなくなった世の中で

〝ダキシメルオモイ〟

子を抱きしめる親の姿にオモイを込めて描き繋いでいきたいとお話しくださいました。
夜は懇親会にて親睦を深め、それぞれの地で頑張る同じ青年僧侶の姿に元気をもらいました。
有意義な研修が、大きな糧となるように精進してまいります。
東京教区青年僧侶協議会のみなさま、準備等々お疲れ様でした。本当に有難うございました。


おまけ

せっかくの築地ということで、旅のだいご味、会員それぞれ食べ歩きしてましたので紹介してみます。
築地本願寺へお参りの際には、ぜひお立ち寄りの参考に。

「ラーメン井上」
ここは外せないと多くの会員が立ち寄りました。あっさりで朝からでも食べられます。

「きつねやのホルモン丼」
築地本願寺お朝事の帰りに朝7時から食べました。さすがに胃にもたれましたがまことに美味です。

「月島もんじゃ」
研修終わってみんなで食べに行きました。備後ではあまり食べる機会がないので新鮮です。べビスターラーメントッピングというのも斬新です。
その他にも、東京の皆さまにたくさん紹介していただきました。次回来たときにはぜひ立ち寄ってみたいと思います。

すぐれたことば

1月は雪がよく降りましたね。

どうも、私です。

2019年の元日より、新元号に変わると新聞に載っていました。 天皇陛下がお心を述べられ、生前退位の特例法案が国会に提出される見通しだそうです。 何事も、変わることなく続けてゆくというのは難しいことなんでしょうね。
陛下だけの問題ではなく私たちすべてが人間である以上、本人の気持ちとは別に社会的な関係性、地域との関わり、家族の中の関係など様々なつながりに縛られて苦悩しながら生きています。

昨年の9月、某有名漫画の作者の方が40年に渡る連載を終えられました。 続けてこられた単行本の発行巻数は200巻。 記者会見で、
「びっくりさせて申し訳ないです。終わってしまうのは寂しいことかもしれませんが、本当はすごくめでたいことなんです。まだまだ描きたい気持ちはもちろんありますが、ここで一区切りつけたいと思います」
という趣旨のコメントを述べておられました。
このことに対して、今も現役で別な漫画を45年間描き続けておられる某有名漫画家の方が、
「ご苦労さまと言うしかありません。連載があれだけ長くなると、作品が自分のものではなくなるので、やめるにやめられなくなるものなんです。寂しいのと、うらやましいのと、不思議な気持ちです」
とコメントをしておられました。

作家さんの気持ちは私には分かりませんが、終われるということは寂しさの半面、よろこびでもあるのでしょうね。
反対に、続けていくということは嬉しいことでもあるけれど、ツラいことでもあるんでしょうね。
長く描くということは、読者が増え、キャラクターが増えます。それは嬉しいことですが、「次を早く読ませてくれ」という読者の期待がプレッシャーとなり、ストレスになるかもしれません。作り上げた様々なキャラクターに対する責任というものに縛られ、それがプレッシャーになるかもしれません。 最初は好きで始めた漫画家業も、時が経ちファンが増えることによって、「自分の作品」ではなくなっていく。 描く本人のツラいという思いに反して、側の人間の頑張って描き続けてほしいという思いがある以上、いつまでもいつまでも変わらず続けていかねばならないということは、本人にとってはとてもツラいことなんでしょうね。

そう考えると、国民的アニメ「サザエさん」の「カツオ君」はとてもツラいでしょうね。 日曜日の午後6時半にテレビをつければいつものようにカツオ君が出ています、私は「今日のカツオは何をしでかすかな」くらいにしか思って観ていません。 でもよくよく考えてみると、40年以上も小学5年生を続けねばならんプレッシャーとストレスは想像を絶します。 皆さんはカツオ君の気持ちを考えたことありますか? 彼は口には出しませんが、きっと、ツラいだろうと思います。 私だったら、「あと何年させるつもりだ!いい加減この家を出たいし、アルバイトだって恋愛だってしたいんだ!そもそも家庭内のプライベートを覗かれたくない!!」くらいは言ってしまいます。

人間の人生も同じではないでしょうか。 好きで生まれてきたわけではないけれど、いろんなことを経験しいろんなことに喜び、いろんなことに苦しんで、いずれ終わらねばならないことは明らかです。 いろんな人との関係性の中でさんざん苦悩してきた人に、周りの人間には本人の苦悩が分からないから、「がんばろうね」、「笑顔で健康で長生きしようね」と無責任なことばをかける。
皆さんなら、今までさんざん頑張ってきた人に何と声をかけますか。 また、今までさんざん頑張ってきた自分に何と声をかけてほしいですか。
苦悩していくすべてのものを内包する、何者にも妨げられない「すぐれたことば」、それは私の中にはありませんでした。 人間が超えることのできない大問題は人間を超えたはたらきに問うていくしかないのでしょうね。

筆者  島津 慧

島津コラム2