「靴には生命があります。しかし、靴には生命保険がないので、大切にその生命を守ってあげる必要があります。」
日本を代表する靴磨き職人、井上源太郎さんの言葉です。
こんな言葉も言われます。
「靴の痛みを知り、それにちゃんと答えられるのが職人だと思います。」
趣味の少ない私ですが、以前とある雑誌で、井上さんの靴磨きに対する思いの綴られた記事を読んでから、靴を磨くことが趣味の一つになりました。ゆっくりと丁寧に、時間をかけて靴を磨く。至福の時です。
靴というのはここでは革靴のことを指します。素材を調べてみると、牛、馬、羊など様々な種類があります。すべて生命からの成り立ちです。例えば、ここぞという時に履く、一張羅の靴があったとします。普段履きはせず、大切に靴箱にしまっていたはずの靴をいざ出してみると、革の艶がなく、保管状態によっては、カビが生えていたという経験はないでしょうか。逆に、仕事やプライベートなどで普段履きしている靴は、傷がついたり、色褪せしたりと、段々と痛んできます。もちろん寿命もあります。靴磨きは、欠かすことの出来ない大切なメンテナンスです。
靴磨きによって、私の靴はピカピカになります。しかしある時、職人が磨いた靴を拝見すると、到底及ばない美しい輝きを放っていました。何が違うのだろうと、今一度井上さんの記事を読んでみました。私の言葉で解釈すると、職人というのは革靴という生命を預かる故、むやみやたらに靴を輝かせるのではなく、それぞれの革靴が持つ成り立ち、性質、そして靴の痛み、全てを見抜き、知り尽くしたうえで靴を磨くとのこと。そのため、どの様な革靴であっても分けへだてなく輝かすことが出来、それぞれの靴が持つ“本来最高の輝き”を放たたせることができるのだと。
深い。
私には以前より憧れの靴がありました。昨年末東京に行く機会があり、友人を連れ添い専門店へ。実物を見て、足を通すだけで満足する予定でしたが、
この機会を逃してなるものか、、、
という悪魔のささやきが聞こえ、
しかし高額、、、
という現実的な理性が働き、
いやいや大切にすれば一生モノ、、、
という根拠の無い自信が芽生え、
だけど妻に何と釈明すれば、、、
という最も憂慮すべき問題が脳裏をよぎり、
プライドに満ち溢れた表情の店員さんを目の前に、
靴に足を通し、
直立したまま数分間の心の葛藤、、、
そして、
購入。
憧れの靴を手に入れてから、もうすぐ一年が経ちます。未だに一度も履いていません。っと言いますか、履けません。その靴に見合うだけの器ではないのか、それとも勿体ぶっているだけなのか。自分でもよくわかりません。ただ一つだけ感じることは、生命の重み。人工の革では感じることのなかった感覚。高価で希少な靴を購入して初めて感じた生命の重み。一度も履いていませんが、メンテナンスは欠かしません。
今年も年末に東京へ行きます。天気予報にもよりますが、思い切って履き下ろそうと考えています。
妻の顔色を窺いながらね、、、
筆者 山下瑞円