仏教史上、初めてのお方!恵信尼公

この度4月13日(金)、14日(土)と恵信尼公750回忌法要が本願寺にてご修行されました。恵信尼様はそう、何を隠そう親鸞聖人のご内室であります。苦難多き人生を、親鸞聖人と共に、生き抜かれたお方です。もっともっと注目されていいのではないかと個人的には思っています。私も750回忌のご勝縁にお参りしたかったのですが、残念ながら予定が合わずお参りさせて頂くことはかないませんでしたので、せめてコラムで恵信尼様に想いを馳せてみたいと思います。

親鸞聖人は歴史上初めて、僧侶として公に妻帯をされた方であります。そう考えますと恵信尼様は日本で、いや、世界で?初めて僧侶の妻になられたお方であります。住職の妻を一般的に坊守と言いますが、浄土真宗のお寺は結構住職さん以上にこの坊守さんによって成り立っている現状をよく目にします。その源流が恵信尼様ではなかったでしょうか!もっと恵信尼様について勉強しなければならない!と思い、本棚に埋まっていた「恵信尼公の生涯(著:大谷嬉子)」をもう一度読み直すことにしました。

 一部ご紹介です。
「恵信尼公は残した手紙の文字が達者であり、当時の地方女性として教養が高い。長年日記をつけていた。晩年八人の使用人がいた。老いて死期の近いことを感じたころ五輪の石塔を自分で建てようとしたことなどから、やはり相当な家庭に育った女性と見てよいのではないかと思う。・・・恵信尼公が、越後に生まれ育った女性で、流罪になって越後に来た親鸞聖人と、はじめて結婚したとすると、そのときはすでに二十八、九才、当時の習慣から見ると、ずいぶん晩婚になるわけである。」
等々、何となくしか想像していなかった恵信尼様の実像が浮かび上がってきます。

▲昭和32年 恵信尼寿塔と認定

いつご結婚されたのかも色々説があるようですが、私は越後で出会い、結婚された説が素敵だなと思っています。聖人が流罪になって越後に行かれてから、寂しく、辛い、厳しい生活を送られていた時にであわれたのではないか。その見知らぬ越後の地で初めて聖人とお念仏喜ばれた方が恵信尼様だったのではないか、そして赦免された頃ご結婚されていかれたのではないか。そうだったらすごいドラマチックで、ドキドキするなぁと想像して楽しんでいます。

恵信尼様と親鸞聖人の間には5人乃至6人のお子さまがいらっしゃったようであります。関東での生活はお子さま達を育てながら、また聖人の伝道活動を支えながらのお忙しくも充実した生活を送られたのではないでしょうか。
関東から京都、そして晩年は越後に戻られ、聖人と離れ離れになった恵信尼様でありますが、80歳を超えても尚、お孫さんのお世話や、土地や使用人の事など精力的に働かれていたようです。あまり足腰をさすったりすることもなく動き回っていらっしゃったようであります。

そのように伺っていきますと、かなりたくましく、愛情にみちあふれた女性だったのではないかと想像致します。聖人からいうと9歳年下の恵信尼様ですが、一番の理解者であり、同行であり、尊敬する人であり、色々と恵信尼様にご相談もなさっていた事でしょうし、人には見せられない弱い部分も見せていかれたのではないかと思います。

法然様はお書物の中で、

〝現世をすぐべき様は、念佛の申されんようにすぐべし。念佛のさまたげになりぬべくば、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申すべし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家にいて申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申すべし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申すべし。一人して申されずば、同朋とともに申すべし。共行して申されずば、一人籠居して申すべし。〟『和語燈録』

と述べられています。妻帯するのかひじりでいるのか、一人でいるのか、二人でいるのか、家に住むのか、旅をするのか、迷った時はお念仏が出やすい生活をなさいと教えて下さったのですね。聖人にとっては恵信尼様と夫婦になって一緒に暮らした方が、ひじりで生きていくより、一人で生きていくより、お念仏喜んで生きていけると味わっていかれたのではないでしょうか。

お釈迦様以降1500年間ずっと出家仏教であり、僧侶が結婚する事はありませんでした。ある意味では仏教は出家できる一部の人のものだったわけです。しかし、それに疑問を投げられたのが法然様でありました。

「仏教はあらゆる者の生きていく支えになりえるんだよ、あらゆる者が喜んでいけるのがお釈迦様が説かれた仏教なのだよ。出家せずとも、全ての者がお念仏一つで救われていくのだよ」

 

と教えて下さいました。そして、その教えを身をもって体現下さったのが親鸞聖人でありました。誤解を恐れず、かっこいい言い方をしてみますと、あらゆる者が救われていく道を明らかにされるため、妻子と離れられたのがお釈迦様です。そして1500年経ち、あらゆる者が救われていく道を再び明らかにされるため、妻子と共に生きられたのが親鸞聖人であります!!!

そんな事を思いながら、「恵信尼公の生涯」を読み終えました。この本、内容も素晴らしいのですが、何より著者である大谷嬉子様がいかに恵信尼様の事を慕われておられたかという事がひしひしと伝わってきました。一つ一つの資料や御旧跡を大切に、そして細かく調べられ、そこから恵信尼様の実像にせまっていかれます。そこには力強くも美しく、親鸞聖人を慕い、子や孫を愛し、お念仏に支えられて生きている750年前の恵信尼様のお姿がありました。

今年は恵信尼様についての勉強を深めていきたいです、あっ、同時に自分の妻への感謝もね(+o+)

 

筆者 伊川大慶

本願寺出版社「恵信尼公の生涯」