インド旅行記~お坊さんはインドを目指す~

「 ヘイ、ジャパニ! ヘイ! ジャパニー! 」

インド滞在中に何度も聞いたこの言葉。観光地を歩くと決まってこの言葉で呼びかけられます。その後に続くセールスの開始を告げる言葉でもありますが、この独特な呼びかけも今となれば懐かしく思い出されます。

念願叶い今年2月に釈尊の足跡を訪ねインドを旅しました。「旅」とかっこよく書いてみましたが、実際は限られた時間の中で広いインド(主に北インド)に点在する仏跡を目一杯巡りましたので、目的地を順々に移動するスタンプラリーをしているような行程となり、1日の大半が移動に費やされ、人々の暮らしや文化に触れる時間はわずかでした。

そんな旅ではありましたが、私なりにインドで感じたことの一端を記させていただきます。

「インドに行くと人生観が変わる。」
よく聞く言葉です。私も学生時分から何度となく聞いてきました。しかし現在のインドはGDP世界7位(2018年)、経済成長率は7%超の経済大国。日本との文化風習の違いについてもある程度は理解していましたので、あって欲しいとは思えども、そこに人生観を変える程の衝撃はもはや無いだろうと漠然と考えていました。少なくともインドに着くまでは。

▲インディラ・ガンディー国際空港到着ロビー

百聞は一見に如かず。そこには想像を超えた光景が広がっていました。

当たり前のように街中に住まう無数の野良犬。我が物顔でのんびり歩く牛。至るところに散乱するゴミや動物達の糞。都市部は慢性的な渋滞でクラクションの音は絶え間なく鳴り響き、信じられないほど多くの人で溢れています。

そして根強く残るカースト制度の影響もあり、本当に酷い経済的貧しさと社会的弱者の存在を目にしました。書き尽くすことは出来ませんが、衝撃の連続でした。ワクワクすることドキドキすることもあれば、目を覆いたくなる惨状もある。正に私にとっての別世界がそこには現存していたのです。

▲込み合う道
▲インド北部の農村
▲楽器を弾き、歌をうたってお金を乞う子供達

その中で最も印象的だったのはヒンズー教の聖地ヴァーラナシー(ベナレス)で早朝にみた光景でした。ガンジス河のほとりにあるガート(階段状の親水施設)には夜明け前から多くの人が集まります。祈りを捧げるバラモン僧、沐浴をする人、泳ぐ人、洗濯をする人、商売をする人、食事をする人、火葬をする人、遊ぶ子供、旅行者、そして私が知りえない多くの生き物たち。

薄暗い中、その全てが一体化しています。生も死もむき出しで突き付けられます。ここに分別できる物事は無いと。これこそが偽らざる日常であると。ガンジス河の水面を照らしながらゆっくりと昇る太陽がその変わらぬ事実を伝えているようでした。

▲ガンジス河ガート(沐浴)
▲ガンジス河ガート(火葬場)
▲ガンジス河 日の出

私がインドにおいて強烈に気付かされたのは、自分の価値観でしか世の中を見ていないという現実でした。なんとも偏狭な、凝り固まった「ジャパニ」な自分。それは決して日本人として今の日本に暮らしている自分を否定するものではありません。只々、広大な世界と小さな自分を改めて自覚させられたのです。

インドは仏教発祥の地。釈尊がその生涯を過ごされ仏陀(真理を悟った方)となられた国です。私は日本の僧侶としてその場で体感したいことがあるからこそインドを目指しました。しかしそんな私の事情が全くの小事であると教えられる場所。それこそがインドでした。

果たして釈尊が二千五百年前に見られた風景はどんなものだったのだろうか。思いを馳せるばかりです。

▲クシナガラ涅槃堂の夜明け
▲霊鷲山からの落日

▼インドに行っても行かなくてもお勧めの本です。

▲「ガンジス河でバタフライ」たかのてるこ著

 

筆者  大淵英範

折り紙

4月のコラムを担当します、鎌倉義雄と申します。

さて、突然ですがここで1つ問題です。

皆さんはこの画像が何を表しているか解りますか?

タイトルを見て気づかれた方もいると思いますが、これはとある折り紙の展開図です。

とても有名な折り紙なのですが、こうして展開図だけをパッと出されると何が何だか良くわかりませんよね。ではこの線の通りに折ってみましょう。すると・・・

こういう形が出来上がります。

もう解りますよね、これは「折り鶴」の展開図でした!

折り鶴はおそらく世界で最も有名な折り紙です。皆さんも一度は折ったことがあるのではないでしょうか。私も母から最初に教わった折り紙は鶴だったと思います。また毎年8月になると生徒の皆で作った千羽鶴を広島の平和公園に奉納する小学校も多いので、折り方を覚えている人も多いでしょう。


そんな折り紙ですが、今日では「ORIGAMI」という呼称となって日本を飛び出し、世界中に広まっているそうです。私は詳しくは知りませんが、医療器具や宇宙開発の分野でも折り紙の技術が注目されているとか。なんとも夢が膨らむ話ですね。

YouTubeで「折り紙」や「ORIGAMI」と検索すると世界各国の人達が様々な作品を折っている動画がヒットしますので、皆さんも子供の頃を思い起こして1つ挑戦してみてはいかがでしょうか。

それにしても改めて考えると折り紙とは不思議なものです。だってただの紙を折るだけで、多くの人が「鶴だ!」と認識できるものになるのですから。紙が紙であることは変わらないのに、これって実は凄いことだと思います。

紙はどうして鶴になれるのでしょう?

仏教には「縁起」という思想があります。これは簡単に言いますと物事は「原因」があるから「結果」が生まれるという考えです。折り鶴で例えますと、折り鶴はそれ自体がいきなりこの世に現れたわけではなく、紙を折ったという“縁”があるから鶴という結果として存在しているのだ、といった感じです。

また、ただ折っただけで鶴になった訳でもありません。それだけでは鳥のような形をしただけの紙ですからね。別にサギでも白鳥でも良いじゃないですか。折り鶴を知らない人がコレは何?と問われたら、「鶴だ!」と言い当てることは難しいでしょう。

折り鶴はそれを鶴だと思ってくれる人がいなければ鶴にはなれません。紙を折って形作った鳥を誰かが鶴と名付けて、みんなでコレは鶴だと認識しているから、折り鶴はただの紙でもサギでも白鳥でもなくになれるのです。


では私という存在はどうでしょうか?


私も折り鶴と同じなのかもしれませんね。私は鎌倉義雄として、ひとりでにこの世に現れたわけではありません。赤ちゃんとして産まれたその時から、あるいはもっと昔から、多くのご縁と多くのお育てによって一つ一つ「折られて」、今の私の姿がここにあるのです。

そして今世の両親が私を「義雄」と名付け、皆さんがそう呼んでくださるから、私は他の誰かではなく鎌倉義雄という一人の人間として生きることが出来るのでしょう。

私の人生は私の力だけでは成立していません、私の命も私の力だけは存在できません。多くのご縁を頂いて今の私がある有難さに、感謝をしなければなりませんね。


執筆者 鎌倉義雄

消防団

3月のコラムを担当致します、岡部です。
現在、福山市藤江町消防団5班の部長をしています。

※消防団とは、常勤の消防職員とは異なり、火災や災害発生時に自宅や職場から現場へ駆けつけ、その地域での経験を活かした消火活動や救助活動を行う、非常勤の特別職地方公務員です。

お寺も消防団も地域の方の協力がなくては成り立ちません。
お寺が過疎や高齢化によって、廃寺の危機などの問題があるように、田舎の消防団でも若い人が少ないため、存続の危機になっています。

そんな消防団の良いところ悪いところを紹介します。

私が京都の一人暮らしから自坊に帰ってすぐ、『消防団に入りませんか?』と団員の方が勧誘に来られました。
その頃の私は、正直消防団に対するイメージはよくありませんでした。

大変そう。
めんどくさそう。
お酒の席が多そう。
上下関係に厳しそう。

このように思ってたので、勧誘に来た団員に、ガツンと言ってやりました。

『入ります
          (о´∀`о)』

はい、ガツン無理です。
断る理由が無いです。
内心嫌々ながらも消防団に入団しました。


1年目
想像より忙がしくありませんでした。
みなさんとてもいい人ばかりで、
上下関係(団歴で決まります)は多少ありますが、威圧的なことは何もないですし、お酒も無理に勧められることもありませんでした。(地域によって多少異なりますが、最近の消防団は飲酒に厳しいです。)

2年目
ポンプ車操法
5~7月の夜に3ヶ月間で100時間ほど練習します。
「ん?んん?聞いてないんですけどぉぉぉぉぉ?」
と思いました。
消防車には種類があり、私の班の消防車は小型ポンプ積載車で、この大会はポンプ車の大会なので、この時は選手としての出場ではなく、他の班のお手伝いだけでしたが大変でした。
しかし、お手伝いだけでも規律やポンプを出すまでの流れなど、とても勉強になりました。

3年目
機関員(ポンプや、消防車を扱う人)になりました。
藤江消防団5班は、上の役職から
部長1人
班長兼会計1人
機関員1人
平団員7人
の10人で構成されています。
実際にいざ火事が起きると、役職関係なく到着した人から動くので、ポンプは近く人が操作します。
私の場合は名ばかりの責任者という感じでした。

4年目
班長兼会計になりました。
小型ポンプ操法
私は2番員の選手として出場しました。
ゴールデンウィークあけから練習が始まりましたが、すごく憂鬱でした。
これから100時間も練習かぁ…と…
最初の1ヶ月間は、気をつけ、休め、集まれのみ練習します。
規律の少しの乱れで注意されます。
  指が曲がっている
  かかとが揃ってない
  肩が揃ってない
 集合線から、足がはみ出ている
など注意されます。
練習を、重ねている内に段々と鬱憤が溜まっていきます。
「この練習、火事現場で関係ないやんけ!」
と思います。(実際には役立つことも多いです)
荒みます。
2ヶ月目からは、ホースを投げたり繋げたりと、実践練習が始まります。
3ヶ月目は、最終確認をしながらタイムを計ります。
タイムが速い方が得点が高いです。


平成28年全国大会優勝消防団の動画↓


小型ポンプ操法が終わったときの達成感はすごいです。
ちなみに本番ではホースを落として、大減点をくらいました。

5年目
もう1度班長兼会計をしました。
班長は大変ですが、特に何もない年でした。

6年目
部長になりました。
1年を通して全焼が2軒ありました。
火事には気をつけてください。
私の地域(田舎)の火事の通報のほとんどは、庭でいらない物を燃やしていたら母屋や倉庫に燃え移ったという通報です。
田舎の方は、特に気をつけてください。
7月には西日本豪雨災害がありました。
被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
藤江消防団は夜中の0時から18時間ほど災害時の活動をしました。
藤江町では大きな被害はありませんでしたが、崖崩れが起きそうな場所にブルーシートを敷いたり、
溢れそうな池の水を抜いたり、
土嚢を積んだりしました。


他、毎年行われる出初め式の図↓

出初め式は、一般の方も消防車に乗れたり、消防服を着れます。
消防車が好きな子どもは特に喜ぶと思います。
10時頃に開会式が終わり、様々な公開消化訓練など見学できます。
11時過ぎにヘリコプターの救助訓練後、虹色の一斉放水で出初め式終了となります。
虹色の一斉放水は綺麗ですが、見終わる頃には駐車場の大渋滞が始まります。
ヘリコプター訓練が始まりましたら、帰宅の準備を始めることをオススメします。

文化財訓練(お寺や神社の火事の時のための訓練)の図↓

消防団は様々な行事や訓練、実際の火事や災害での活動を通して、地域だけでなく地域外の同年代の若い人との繋がりができます。
この繋がりが子供の学校での行事や地域の行事の時にとても助かります。
また消防団の人のお店を積極的に利用しあったり、消防団の人の営業を通して車などを購入したりと、仕事面でのメリットも大きいです。
お寺でも消防団の方が、大晦日に鐘をつきに来てくださるようになりました。
ありがたいご縁です。

消防団は大変ですが、団員の絆は強いです。
地域の安心安全を守りつつ、新たなご縁にも恵まれます。
これからも地域の方と積極的に交流をして、新たなご縁作りも大切にしたいと思います。

筆者 岡部哲應


福山消防団PR動画↓

生き残る男

アメリカのドキュメンタリー番組である、『ディスカバリーチャンネル』というものをご存知でしょうか?
日本では衛星放送で観れるんですが、今はYouTubeでもその一部を配信していて手軽に観ることができます。

私はこの番組が大好きでよく観ているんですが、その内容は科学や様々な職業、又は色んな物の製造過程などにスポットを当てたドキュメンタリーで多岐にわたっており、中でも私が好きなのがサバイバル系のドキュメントシリーズです。

エド・スタッフォードが凄い!

日本のバラエティ番組でも色々とサバイバルを中心とした番組があったりする中で、このディスカバリーチャンネルのサバイバルに惹かれるのは、なんと言ってもその本気度の凄さ。

登場するのは実行する主人公「エド・スタッフォード」という人物一人。
持ち物は自分で自分を撮影するビデオカメラと緊急時用の衛星電話と応急セットのみ。
着の身着のままどころか着ている衣服も靴も全て脱ぎ捨て真っ裸でスタート。
なので所々モザイクが入ってます(笑)

そんなスタイルで世界各地のジャングルや無人島、砂漠に高山とあらゆる過酷な地に撮影クルーも居ずたった一人置いて行かれ、長期間に渡ってサバイバルするというもの。

手に入るあらゆる物を利用しあらゆる物を食べ文字通り泥水をすすって生き抜く姿は感動させられますし、惹き付けられます。
(自分でやってみるのはちょっと遠慮しておきたい所ですが…)

受け入れること


そんな過酷なサバイバル生活の中で彼は、


受け入れること、そうすれば楽しめる。拒否すれば、怒り・苛立ち・失望に襲われる。受け入れた方がうまく行く。


と語っています。

極限の中で行き着く答え、それは仏教にも通じる所があるように感じます。
“大自然”という人の力では決して勝てないもの。
“生老病死”という避けようのない苦しみ。
それを前にしたとき、辛いと嘆き、出来ないとうなだれるよりも、如何に受け入れ、ゆだねていけるかが大切なんだなと気付かされます。

日常のあらゆるものに感謝

私が日々生きて行けるのも衣食住あらゆる便利な物で武装しているからで、それら全て失い放り出されたとき3日と持たず倒れこむでしょう。

恵まれた生活をさせて頂いていることに改めて感謝をしつつ、この番組で得たサバイバル技術を必要とする状況が来ないことを願うような今日この頃です。

筆者 宮 弘信

2019年「やさしく学ぶ正信偈」連続講座のご案内

昨年から開講した「やさしく学ぶ正信偈」講座!!
連続研修ゆえに、ならでは、だからこそ、時間をかけて丁寧に細やかく進めていくことができる講義形態が好評で、今年度も継続して開講させていただくことになりました。

ご講師には引き続いて、龍谷大学教授であられる玉木興慈先生においでいただきます。

ご門徒の方でも、お寺の方でも、初めて仏法に触れる方でも、どの回からご参加されても聞きやすい講座となっております。

親鸞聖人が浄土真宗のみ教えを簡潔に凝縮して示された讃歌「正信偈」を〝やさしく×楽しく×有り難く〟ご一緒に学ばさせていただきましょう!!


  • 日時
    第6回4月18日(木)

    第7回5月23日(木)
    第8回7月 4日(木)
    第9回9月12日(木)
    第10回11月21日(木)
    各回15時~18時まで(受付14時半~)
    ※休憩を間に取ります
  • 場所
    本願寺備後教堂

    〒720-0052 福山市東町2-4-5
    ℡084-924-5759
  • 講師:玉木興慈 先生(龍谷大学教授)
  • 対象:どなたでも
  • 参加費:各回2,000円
  • お問い合わせ
    電話  : 084-924-5759
    MAIL :  dragonjournalonweb@gmail.com

枯れ木に花を咲かせましょう

新しく年が明け、1年の過ぎるスピードが早くなってきたと再自覚する40代の毛利がこの度は担当いたします。

本当に時の過ぎるのは早く、つい先ごろまで紅葉に目を奪われておると思っていたら、落ち葉を集めている間に冬が訪れたといった感じで時間が通り抜けて行っております。

自坊には樹齢200年をこえるイチョウの木が立っており、秋には境内を黄色く染めてくれます。これまでも、この木の下であったたくさんのことを見守ってきたことでありましょう。

イチョウの木というのは大型木造建築にはつきもので、燃えにくい葉や枝、幹を火災の鎮火に用いる防災を兼ねて大切なものを守ろうとの思いから植えられていたものです。ただ立ってるようなものでもいろんな思いが繋がって大きな姿になるんですね。


昨年の11月、父(前住職)の三回忌をお勤めさせていただきました。その時、父のきょうだいである叔母さんが3人集まってくれ、昔の自坊の話やら近所の話を沢山おしえてくれました。
変わったところや変わらないところ…

実は私が父が往生してのちに、境内の庭木を結構な本数切りました。昔を知る叔母からしたら、今まであったものがなくなるのは寂しい思いがあったのだと思います。
「あれも無くなったんじゃねー」という言葉を内心ヒヤヒヤしながら聞いておりました。しかし、叔母もこれからの事は私たちが中心になることをわかって気遣ってくれたのか「スッキリして良くなったねー」とも言ってくれました。

その話の流れの中で、庭に一本枯れかけの柚子の木が生えているのですが、
「あの柚子の木だけは、私らがおる間だけでいいけー切らずに置いといてね〜」
と言われました。

理由を聞くと、その柚子の木は私からいうとひいおばあちゃんが植えたものらしく、

「柚子の木は『桃栗三年、柿八年、柚の大馬鹿十八年』なんて言われてね、種から発芽させて苗木になってから植え替えて根付かせて…気候条件もいろいろあってなかなか実をつけるまで大変じゃし、時間がかかるものなんよ。昔は植えた人はまず口にはできんものって言われとったんよ。」

と教えてくれました。
我がために植えるのではなく後の者たちのために、ということです。孫である私たちの為に植えてくれたものという愛着があるんでしょうね。

私たちは、生きていけばいろんな困難があります。その度に私の為にと、はたらいてくださる願い知らされれば、もうちょっとだけ頑張ってみようと思えるのかもしれませんね。

これから寒い時期にはゆず湯なんていいかもしれませんね。

執筆者 毛利令就

仏教教養講座「私のとなりのカルト宗教」のご案内

年に一度、宗門内外問わず活躍されている方をご講師にお招きし、参加費無料の公開講座として開催している「仏教教養講座」!
今年度は「私のとなりのカルト宗教」と題し、瓜生崇先生に分かりやすくスライドを用いて、カルト問題についてのご講義をいただきます。

瓜生先生は、引く手数多で日々全国の様々な場所でご講演されています。

「カルトってそもそも何なの?」
「私とどのような関係があるの?」
「どの宗教をカルトっていうの?」
「どうやって勧誘されるの?」
「どういう問題があるの?」

日頃なかなか掘り下げて聞くことができないことを、真面目な中にもざっくばらんにお話ししてくださいます。

カルトはよその話ではありません。〝私〟のすぐとなりに潜んでいます。
まずは知るところからはじめましょう。

初めてお寺に参られる方も大歓迎です。
皆様お友達などお誘い合わせのうえ、ご参加ください。


日時

平成31年2月7日(木)
13:30~16:50

場所

本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

参加費

無料 ※門徒・僧侶問わずどなたでもお越しいただけます。

講師

真宗大谷派 玄照寺住職  瓜生崇(うりう たかし)氏
プロフィール
1974年東京生まれのネコ好きな坊さん。大学在学中に浄土真宗親鸞会という新宗教に入会。大学を中退して同会の専従講師になり、カルトな青春時代を送った後、12年後に脱会。その後はシステムエンジニアとして働いた後、何故か滋賀県のお寺の住職に。
響流書房」という電子書籍専門の仏教書出版や、「浄土真宗の法話案内」という法話情報サイトをやってます。好きな動物はネコ。大事なことなので二度言いました。」

日程

13:00 受付
13:30 開会式
13:50 講演
16:15 質疑
16:45 閉会式
16:50 終了

粒あんのヒーロー

今年も残すところ1ヶ月となりました。

2018年最後の備坊録を担当させていただきます。立神です。

この1年を振り返ってみますと、備後地区を含め全国各地で多大な被害をもたらした自然災害がありました。

被災されました方には心からお悔やみ申し上げます。

みなさまはどのような1年であったでしょうか?

 

この度は、みんな大好き!子供の心を掴んで離さないヒーロー。”アンパンマン”の魅力を書かせて頂きます。

 

アンパンマンがそれいけ!アンパンマン」という名前でテレビで初めて放映されたのは、なんと私の生まれた1988年。現在広島では毎週日曜日朝5時15分から5時45分まで放映されています。ロングセラーなことにもビックリですが、もっと驚きなのは何といってもキャラクターの多さ!2200種類以上のキャラクターが今までに登場しており、アニメシリーズのキャラクター数がギネス記録に認定されているそうです。

 

私も子供の頃は夢中になっていましたが、最近では2歳の娘と一緒に毎週欠かさず見るようになりました。そんな中、子供の頃に感じていた面白さだけではなく、大人になって見てみると、また新たな魅力に気づきました。

 

例えば、主題歌の「アンパンマンマーチ」は、アンパンマンの産みの親である「やなせたかし」さんが書かれたもので、本来は

 

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび…♪」

から始まりますが、テレビでは途中の

「そうだ おそれないでみんなのために 愛と勇気だけが友達さ♪」

 

から始まります。

この曲を聞き、子供の頃は純粋に

「アンパンマン友達いないのかなぁ?」

なんて思っていましたが、大人になり曲を聞き歌詞を知っていく中で「この歌詞にはどんなメッセージが込められているんだろう?」と深く興味を持ちました。

「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのはいやだ」

子ども向けのアニメとは思えないこんな難しい問いも歌われていて、自分への問いとしても大変考えさせられます。

※ 私の知る限りでは歌詞の意味には諸説あるようで、やなせたかしさんご本人も明確には答えられていないようですので、ここで歌詞の考察は控えさせて頂きます。

 

「それいけ!アンパンマン」は1話完結。これが見やすくて、今日はどんなキャラクターが出てくるんだろぅと毎回ワクワクしていたのを覚えていますし今でも楽しみです。だいたい流れはいつも一緒なんですけどいつもどぉなるんだろ?とドキドキさせられます。

いつも平凡に暮らしているアンパンマン(いつもパトロールしてる)と仲間たちですが、必ずあいつらがやってくるんです。「ハ~ヒフ~ヘホ~」といろんな悪巧みをしながらバイキンマンとドキンちゃんコンビ。敵キャラクターの中でも唯一毎回登場する2人です。

 

毎回違うキャラクターが登場し、見るものを楽しませてくれますがこれまた毎回違う方法で悪さをするバイキンマンとドキンちゃん。そんな2人の前にいつも絶妙過ぎるタイミング

アンパンマン

やめるんだバイキンマン

バイキンマン

出たなお邪魔虫

とお決まりのやり取りを交わしながら現れるアンパンマン。

少しやりあった後、基本的に顔が濡れるか汚れるかして一度やられかけて、絶体絶命のピンチ。そこでこれまた絶妙のタイミングでバタ子さんの登場。見事なストライク送球(バタ子さん何者?)で無事復活し、最後はお決まりの「アンパーンチ」「バイバイキーン」


子供たちはこの瞬間を待ちわび、歓喜し、その喜んでいる子供の顔を見て大人たちも笑顔になるのでしょう。


これがだいたいの流れで1回の放送で2話分放映されます。

しかし、私が一番伝えたいのは

「無償の愛!」

毎日みんなのためにパトロールをしバイキンマンをやっつけます。しかし忘れてはいけません。アンパンマンはお腹が空いている人がいたらほっとけません。一瞬も迷うことなく自らの顔をあげるんです。

 

すぐあげます。めっちゃあげます。

その度に新しい顔を焼くジャムおじさんのことを考えたことがあるんでしょうか?私なら「アンパンマン、マジええ加減にせぇよ」と愚痴の一つも言いたくなります
しかしいつもみんなを助けるアンパンマンの姿、アンパンマンに助けられた人々の喜ぶ顔を思い浮かべながら、笑顔で新しい顔を焼き続けるジャムおじさん。素敵すぎますね。

そんなジャムおじさんの力添えの中、困っている人に手を差し伸べ、決して見返りを求めることなく無償の愛を与える。それこそアンパンマンの魅力ではないでしょうか。

 

私たちであれば何かをする時にはついつい見返りを求めてしまいます。「優しくしてるんだから感謝してほしい」、「人に物をあげた時にはお返しがないと腹を立てる」、「電車で席を譲ったのにお礼の言葉もなかった」、などとやった行為に相当する何かを欲しがるのが私たち人間です。その心の中には「~してあげているのに」という自己中心的な気持ちがあります。

 

人を助ける時も自らの顔をあげる時も見返りを求めずただ一方的に救っていくアンパンマン。

「何があっても見捨てない。私に任せよ。」と一方的に働きかけ抱きとって下さる阿弥陀様のお心とよく似てますね。そんなことをアンパンマンを通じ感じながら、今日も子供と一緒にアンパンマンを見ています。

 

最後に娘の「アンキーック!」

 

筆者 立神 寿昭

『お寺でカープ観戦』に行ってみた!

今期のカープ…誠に残念でした。

今年こそは日本一を見せてくれるか!と願っていましたが、惜しくも日本シリーズで敗退。

とまぁ掲載するのが遅くなってしまい今更ではありますが、久しぶりの「お寺日和。」は、

備龍会会員の所属寺院である福山市崇興寺にて行われた「お寺でカープ観戦!」に行ってきました。

 



 

心躍らして崇興寺へ到着♪

 

駐車場へ車を停めて本堂へいくと

 

本堂前に置かれたホワイトボードにはこんな案内が‥

住職の本気度が伝わりますね(笑)

 

少し緊張しつつ本堂内へ入ってみると…

150インチの大型スクリーンに向かい沢山のカープファンが大応援!
本堂内にはブルーシートが敷かれ、各々飲食物を持ち込んで盛り上がっていました。
堂内の熱気が高まってくると飲み物が必ずこぼれるそうで、ブルーシートは必須とのことです。
ちなみにいずれは「レッドシートにしたい!」と密かに考えているそうです。


▼以前の新聞に掲載された写真を確認してみると、確かにこの飛び上がり方はこぼれますね(笑)

 

▲手作りでハンバーガーを作って持ってこられているご夫婦がおられました。いやぁ美味しそうです。

 

この宴会写真だけを見れば、ここがお寺の本堂だとは誰も思わないだろう…笑

来場者、また市内の料理屋さんからもお酒やお菓子の提供があって、手ぶらで来た人も自由に楽しめます。これで無料って…凄くない?!

私も提供されていたカープサイダーを頂きました。美味しぃぃいい!

 

 

点が入るとみんなで立ち上がって盛り上がります。これは楽しい!やっぱみんなで応援すると楽しい。

 

9回裏4対4…

思わず仏様に手を合わせるカープ男子…

 

 

この日は惜しくも負けてしまいましたが、試合が終わりみんなで笑顔でポーズ!

 

最後に御本尊へ向かい全員で合掌礼拝をして解散となりました。楽しい観戦会だったので、本当にあっという間の時間でした。



 

お寺の本堂でこういう行事を開催することに、もしかすると否定的な方もおられるのかもしれません。本堂は御本尊を安置して、お経を読んだり、法話を聞く場所であることは誰しもが分かっていることですからね。

今回どんな想いで開催しておられるのか?

崇興寺住職の枝廣慶樹氏に素直に聞いてみました。

↑↑カープ帽の似合う崇興寺の枝廣住職

「『お寺でカープ観戦!』は一昨年に始めたことで、これは私が考えたことでなくて、カープファンのご門徒さんからの提案でした。開催すれば怒られることもあるかと思いましたが、実際クレームなどは全くありませんでした。お寺に参って、仏様の教えを聞いて欲しいという願いがありますが、その前に『崇興寺を知って欲しい』『住職である私のことも知ってほしい』という思いがあります。何も知らないお寺に参ることはなかなかできませんからね。一緒にカープを応援すれば仲良くなれるんじゃないかっていう下心ですね(笑)この行事はお寺のすることではないのかもしれませんが、実際にこの行事が縁となって、他のお寺の行事に来てくださる方がおられました。本当に僅かなことですが、ご縁作りってこういうことじゃないかなと思っています。」

 

▼ご縁作りにお寺でヨガなども開催されています

枝廣住職は23歳で住職となって現在33歳。こういう取り組みができるのは若さ故の勢いなのかもしれませんね。日本一が決まるまで連日全試合を開催するんですから、決して楽なことではありません。翌日には法事などもあるわけで、毎日片づけてはまた設置、片づけてはまた設置、されるそうです。

住職は「いやー、慣れてきて日に日に準備片付けの時間も短くなっていますよ。明日も最短時間を更新してやりますよ!」

と謎に誇らしげに語っておられましたが、実際準備や片付けにかかる作業は大変なものだろうと思います。
しかし、私は「こんな風にお寺で楽しめる行事がもっとたくさん増えればいいなぁ」と率直に思いました。お寺にご縁のなかった人も参加したくなるような行事が増えたらいいなぁと。


帰り際、参加者にお話しを伺うと、
「楽しくて真面目な住職さんの人柄に惚れてます。バラエティに富んでいて何時間話してても飽きないんですよ。カープ観戦にしても始めは選手の名前もあまり知らなかったみたいなのに、『住職一緒に応援しよー』と言われて『いいですよー』と嫌な顔一つせずにやっちゃうんですから。とにかく行動力が半端ない方ですね。」
と話してくださいました。

なにやらこれからも何か面白いことをしてくれそうな予感がビンビンしてきました。

崇興寺と枝廣住職の今後をYo!!Check it out!!

崇興寺HP:https://soukouji.com/

「終わりのないいのち」ウルトラマン

以前、とある研修中、余談として興味深いお話を聞かせて頂いたことがあります。それは「ウルトラマンと浄土真宗」についてネット上に掲載されたある論文の簡略な紹介でした。その論文内容は、ウルトラマンの設定や物語と、浄土真宗という仏教に類似する点が多くあり、

「ウルトラマンには、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の思想がその背景にあるのでは!?」

「円谷英二氏には浄土思想の素養が!?」

といったもので、無論そこまで飛躍するのも問題が出てくるので、講師曰く「決して正しい説とは言えませんが面白いのであくまで余談として紹介します…」と前置きされた上でご紹介くださいました。

というわけで、当コラムも比較部分はあくまで余談としてご一読くだされば幸いです。


さてウルトラマンといえば、言わずと知れた円谷プロによる特撮ヒーローであり、現在でもTVで活躍中のアニメ・コミック・グッズ・ゲームなどで大人気のスーパー変身ヒーローです。この物語の基底にあるものは、怪獣といった敵に対して「♪光の国からぼくらのために♪※1」地球を「救済」しに正義の味方がやってくるというものです。

科学特捜隊のハヤタ隊員が調査飛行中、宇宙から飛来した謎の赤い光(ウルトラマン)と空中で激突し、死亡した正にその時、赤い光に包まれてウルトラマンとして再生したその瞬間、ハヤタ隊員の行為や意志に関係なくウルトラマンの方から一方的に「いのち」が与えられる… その後のハヤタ隊員=ウルトラマンの活躍はご承知の通りですね。

要するに、ウルトラマンによる人類に対する一方的な不思議な肩入れであり、ハヤタ隊員と縁あって「光の国」から来たウルトラマンが、勝手に怪獣や宇宙人と闘って人類を救済してくれるというわけです。

類似点をいくつか…、

≪ウルトラマン≫

①この物語には光の彼方から常に見守り身を賭して救済するという理想が横たわる

②ここでいう「光の国」とは地球から300万光年離れたM78星雲のこと

③ハヤタ隊員が死亡と同時にウルトラマンによりいのちが与えられ、そのまま人類の救済にはしる

※2

≪仏教≫

①仏教に説かれる物語は、苦しみにあえぐ生きとし生けるもの(衆生)を救済するために、仏さまが手を尽くし、そのうえ自らを犠牲にして衆生を救う。

②仏教における阿弥陀如来の西方極楽浄土も「光に満ち満ちた仏国土」といわれ、そこは十万億仏土を越え離れた西方と説かれ、さらには阿弥陀如来も「無量光仏」「無碍光如来」など様々な「光」で表現される  

③浄土真宗で示される所の往生即成仏、つまり「どなたであっても、この世の縁が尽きるとき浄土(光の国)に生まれ、同時に仏としてのいのちをめぐまれて、そのまま娑婆にかえり来て人々を教化(救済)する」

 

他にも「ウルトラサイン」なるものと仏教の「梵字」の酷似※3など、多くの類似点があるようですが、すべては紹介しきれないので興味のある方は文末の参考資料をお開きください。また、「類似」とは「イコール」では無いこともご承知ください。

以上いくつか類似点を挙げてみましたが、何より興味深いのは、そもそも地球人とは何の関係もない「光の国」から来たウルトラマンは、その後も、

ウルトラセブン → 帰ってきたウルトラマン → エース → タロウ → ~中略~ → ギンガ → フロンティア → ギンガS → X → オーブ → ゼロ → ジード → ルーブ・・・

と名を変え、すがたを変え、地球に現れては人類のためにいのちを賭して闘い続けるという所にあります。それは、容姿、形を変えながらも人類を救い続けるヒーローとして2018年現在も活躍を続ける(放映中)すがたです。

お念仏に出遇った人は、この世にあっては個別の名を持ちながらも、いのち尽きて往生するとき既に衆生を放っておけない阿弥陀さまと同等の仏さまというすがたをとってこの娑婆へ巧みに顕現なさいます。このすがたこそ「南無阿弥陀仏」というあらゆる功徳の備わった「名」のすがたです。まさにすがたを変えながらも必ず娑婆に還(かえ)りきて、絶えず我々へ教化のためにご苦労を重ね続けてくださる仏さまです。

 

私にとっての仏さまはどんなすがたなんでしょうか。
阿弥陀さまはお名乗り出た南無阿弥陀仏(お念仏)です。「南無阿弥陀仏」称える時、そこにはすでに自らも仏さまとなって生き続ける亡き祖父母や身近な人をはじめとした先達から、私への縁つなぎが完成されていたのでしょう。先立った人を想うとき、その人と私との関係は現在進行形で続いているのです。亡き人の仏さまとしての仕事はもう始まっていました。

 

過去ではなく現在も生き続ける「終わりのないいのち」、南無阿弥陀仏といいます。

 

筆者 那須 智雄

≪参考資料≫

※1 『ウルトラマンの歌』日本コロンビア
<作詞:東京一 作:宮内圀郎 歌:みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ>  

※2 『ウルトラマンに観る親鸞思想-「光の国」と「往相還相」』 レルネット <三宅善信氏>

※3 『マイ仏教』新潮新書 <みうらじゅん氏>

浄土真宗本願寺派 備後教区 青年僧侶の会=備龍会のウェブサイトです。