祖父の残したアルバムに昭和初期の頃からの写真が多く見つかり、それをきっかけに父から初めて聞いた話です。
それは、我が家では、父が子供のころ、家族の誕生日だけでなく、「家の誕生日」があって、家族の時と同様に祝っていたという話です。
これは、昭和初期の自坊の写真です。山門(鐘楼門)の後ろにかやぶき屋根の本堂があり、左には庫裏があります。
しかし、昭和15年に火事に見舞われます。
これがその時の写真です。山門、本堂は無事でしたが、庫裏が焼けて無くなっているのが分かります。
当時は、戦争中ということもあって、材料を揃えるのが困難で、すぐに再建するのは難しいのではないかと考えられました。
しかし、このままにはしておけないと、多くの方からの援助があったそうです。
大きな梁用の木材などは、ご門徒さん方の山から大木を切り出していただき、特に入手困難だった金属類は、伝手を頼って、福岡県の八幡製鉄所まで何日も掛けて往復して、1樽分もの釘を入手してくださいました。
そういった援助があって、翌年には庫裏が再建されたのです。
この写真は、戦後の写真ですが、左に見える2階建ての建物が再建された庫裏です。
ちなみに、山門にあった鐘楼は、昭和19年に国へ供出されたので、この写真では無くなっています。
戦時中という厳しい状況の中、多くの方々からの援助があったお陰によって、立派な庫裏が再建することができたことへの感謝の気持ちから、私の曾祖母が始めたのが「家の誕生日」だったそうです。
残念なことに、いつの間にかこの「家の誕生日」を祝うことはなくなってしまいましたが、庫裏は改修を繰り返しながら今も建ち続けています。
今まで何も思わずに生活していた建物が、困難な時代に多くの方々からのお力のお陰によって建てることができた、とても有難い建物だったのだと知ることができた話でした。
当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないことに気づかされ、感謝を忘れずにより一層大事に生活していきたいです。
筆者 佐藤秀信