仏教教養講座『歴史に学ぶ浄土真宗の安心-三業惑乱-』

去る2月17日、本願寺備後教堂にて備龍会主催『仏教教養講座』を開催いたしました。この講座は広く一般の方に仏教に触れてもらいたいという願いのもと、年に1回開かれている公開講座です。本年度は奈良県より三浦真証先生をお招きして「歴史に学ぶ浄土真宗の安心~三業惑乱~」と題して、ご講義を頂きました。
三業惑乱とは江戸時代に起こった教義論争であり、この三業惑乱を通して、「浄土真宗の信心」についてお話を頂きました(※三業惑乱の概要については本文最後に記載)。講義の内容はここではすべてをお伝えすることができないほど、充実したものでした。ですので、印象に残った点を2点ほどお伝えさせていただきたいと思います。

三浦真証 先生

まず1点目は、「浄土真宗の歴史を学ぶという事は、自分を問題にするという事が大切である」という事です。先生は「ただ過去にあったこととして歴史を学ぶのではなく、自分の事として歴史を学ばなければ、浄土真宗の歴史を学ぶ意味はない」と教えてくださいました。ただの歴史の知識として蓄えるのではなく、その場に自分を置いて考えるということが非常に重要なことだと思いました。先生は「セカイノオワリ」というアーティストの「ドラゴンナイト」という歌の

”人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない。だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね”

という歌詞を紹介され、正義を握りしめるところに争いがあると、ご講義をくださいました。「過去に三業惑乱という争いがあったんだなぁ」というのではなく、その事を通して「私自身も正義を握りしめて、他を傷つけているのではないだろうか」という視点を持つことを忘れてはならないと思いました。      

そして2点目は、「浄土真宗の信心は無条件のすくいにただおまかせするばかり」という事です。浄土真宗の信心というものは、阿弥陀様を信じて、お願いするのではない。「そのままお浄土へ迎えとりたい」と私にすでに願いをかけて、はたらきかけて下さっている阿弥陀様に「そのままおまかせする」のが浄土真宗の信心であると、懇切丁寧に教えて下さいました。さらに現代社会を「総強迫性社会」と表現してくださり、現代社会は「○○でなければならない」という強迫社会であり、そのような現代であるからこそ一切の条件をつけられずそのままの私を、そのまま認めてくださる阿弥陀様のお慈悲は大きな救いになると力強くご講義くださいました。

今回は『三業惑乱』という少し専門的なテーマではありましたが、非常にかみ砕いて、ユーモアを交えてお話くださいましたので、はじめての方でも大変聞きやすいご講義だったように思います。講座終了後、お参りの方々が「わかりやすい話でした」「とてもおもしろい内容でした」と口々に仰ってくださっていたのが、なにより嬉しかったです。

当日はたくさんのお参りを頂き誠に有難うございました。また三浦先生におかれましては、ご多用のところ備後の地までお越しいただき、貴重なご講義を下さり、大変有難く存じます。備龍会会員一同御礼申し上げます。

※三業惑乱とは…江戸時代中期に浄土真宗本願寺派内で教義をめぐって発生した大規模な論争。本願寺派第6代能化(学僧のトップ)功存の教義理解を第7代能化智洞が広めたことにより、惑乱が起こる。この論争は全国を巻き込む日本最大の教学論争になるが、最終的に地方広島の学僧大瀛が正す形で終息するこれを機に本願寺派は、教学理解をとても大切にする教団になっていく。

浄青僧 本山総参拝2020

1月28日(火)、備龍会は総勢11名で浄土真宗青年僧侶連絡協議会(以下:浄青僧)本山総参拝に参加しました。浄青僧とは、全国にある浄土真宗本願寺派の青年僧侶団体が一堂に会し、様々な研修を行い、親睦を深める組織です。半日という短い時間でしたが、内容は大変濃いものでした。その様子を少しレポートします。

備龍会会員

まずは、本願寺の御影堂にて開会式が行われました。開会式にはご門主様もご臨席くださり、次世代を担う青年僧侶への期待のお言葉を述べてくださいました。そして、最後に主催教区である春秋会(安芸教区)会長のご挨拶があり、開会式が閉じられました。

御影堂での開会式

その後、会場を安穏殿(本願寺境内の建物)に移し、今回のテーマ「ブッダスケール ~子どもたちの願い・仏さまの願い~」のもと研修会が始まりました。

研修会

研修会の最初は、春秋会会員によるワークショップ。内容は、一枚の簡単な迷路が渡され、それを利き手とは逆の手で行うといったものです。しかし、ただするだけでなく、その間スタッフからは「早くやりなさい!」「なんで出来ないの!」などの容赦ない言葉が浴びせかけられます。冗談と分かっていても、その言葉にプレッシャーを感じ、迷路を上手にすることができないのです。それが終わると再び新しい迷路が配られ、同じように利き手とは逆の手で行っていきます。しかし、今度はさっきとは違い、スタッフから「上手だね」「すごいね」などの優しい言葉がかけられるのです。すると、全く違う心持で迷路をすることができました。同じ迷路をするのでも、掛けられる言葉によって心理状態が大きく変わることを実感しました。親が子供に掛ける言葉も、大人が思っている以上に、子供に大きな影響を与えていることを知る体験となりました。

ワークショップ

続いて、今回の研修のメインである白石正久先生(龍谷大学教授)によるご講義がありました。先生は、糸賀一雄先生(日本で初めて知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設された人)の活動やお言葉を通して、「子どもたちの願い」について分かりやすくご講義してくださいました。

そのなかでとても印象的だったのが、「すべての子どもは、より良く生きようとするたたかいのなかにある、そのことに共感していくことが大切である」というお言葉です。発達には個人差があります。けれども、大人はその発達に「早い」「遅い」などの評価を与えてしまいます。しかし、すべての子どもは、必死により良く生きようと願いたたかっているのです。そのことを知って共感していくことを「発達的共感」と言い、この共感の世界が形成されることが大切であると教えていただきました。

そして、最後に白石先生と花岡静人先生(本願寺派布教使)との対談がありました。「阿弥陀様の分け隔てなく救う」というお心を通して、多様性が尊重される社会の実現のために、僧侶自身が常に問題意識をもって寺院活動を行っていくことが大切であると聞かせていただきました。

白石正久先生
花岡静人先生

夜には、懇親会がありました。ここでは、「久しぶり!」「元気しとるん?」などの言葉が飛び交い、友人との久々の再会を喜ぶ声が聞こえていました。また、普段会うことのない他教区の僧侶と様々な意見交換をし、多くの刺激と学びを得る場となりました。

この度の浄青僧本山総参拝で学んだことを、備龍会の活動に繋げていきたいと思います。安芸教区春秋会の皆様、大変お世話になりました。誠に有り難うございました。   

ラーメンと仏教

国民食という言葉を知っているでしょうか?その国で広く親しまれている料理を指す言葉です。国民食には大きく二つの種類があります。一つはその国で考案され生まれた料理、もう一つは他の国で生まれて持ち込まれた外来の料理です。この外来の国民食の代表格、それがラーメンです。ラーメンは中国で生まれた麺類ですが、もはや説明することが野暮なほどに日本人の生活に根付き、日本人のソウルフードとなっているものです。そして、ラーメン好きの私は気づいたのです。ラーメンと仏教の共通点の多さを!
 
仏教とラーメンの共通点は極めて多いのですが、ここでは3つを挙げておきましょう。
 
一つ目の共通点は、外来であるのにも関わらず日本を象徴するものであることです。とある旅行サイトを見ると、外国人に人気の観光地トップ10の中に、東大寺、三十三間堂、高野山奥之院、金閣寺の4つの仏教寺院がランクインしています。日本らしいものを観たい外国人はお寺へ行き仏教に触れているのです。外来であるはずの仏教は今や日本を象徴するものになっています。そして外国人が好きな日本食ランキングでは不動の寿司に次いでラーメンが選ばれています。ラーメンはその美味しさで外国人を魅了するとともに、日本食として完全に定着しているのです。ラーメンの日本における文化的地位はもはや仏教と同一のものと言ってよいでしょう。
 
二つ目の共通点は、懐の深さ、すそ野の広さです。仏教には8万4千種の経典があると言われ、その膨大な智慧の集合体を仏教と呼んでいます。仏教の中には多種多様な信教思想が混在し、それに伴って多くの教団、宗派、一派があり、玄妙な教義を各々に確立しています。仏教という大枠の中にありながら、様々な教えが数多く存在し合っている広義な宗教です。つまり、仏教において信仰を問われたならば「あなたの仏教はどんな仏教?」の問いが必要になってくるのです。
同じように、ラーメンほど多種多様な料理も他には存在しません。仮にあなたが「ラーメンを食べに行こう」と誘われたとしましょう。するとあなたは「どんなラーメン?」と聞き返すでしょう。このような料理は他にはないのです。ラーメンは麺、スープ、具材その全てか細かくカテゴライズされ、その細微な違いによって全く別の料理になってしまうのです。こってり系とあっさり系においては、もはや好む人種は全く違うと言えるでしょう。寿司、お好み焼き、カレー、そば、など他の国民食にそのようなことは断じて起こりえません。ラーメンの奥深さはもはや仏教と同一視せざるをえない、私は勝手にそう思うのです。
 
そして最後に三つ目の共通点、それはどちらも人を幸せにするものであることです。仏様のご利益を一言で言うならば「抜苦与楽」でしょう。苦しみから解放し楽を与えて下さる教えです。全く同じではないが、ラーメンにもそれに近い要素があります。一口食べたその瞬間、私の細胞の隅々まで行き渡り、私の全てを包み込み、私にこの上ない至福を与えてくれるのです。
 
最後に、カップヌードルで有名な日清食品の創業者安藤百福氏は「人類は麺類である」という名言を残しています。その言葉の真意は今になっては誰も伺い知る事はできませんが、私はラーメンの深みと私の本質を見抜いた真言であると思っています。ラーメンを食べるたびに仏教に想いを馳せ、それと同時に己の至らなさを知らされます。何が言いたいかと言いますと、太り気味の私はラーメンを食べ過ぎないようにしたいということです。ラーメンは太りますからね。

枝廣会員おすすめ「極鶏」のラーメン in 京都

執筆者 枝廣慶樹

 

仏教教養講座「歴史に学ぶ浄土真宗の安心-三業惑乱-」のご案内

年に一度、備龍会が開催している参加費無料の仏教教養講座!
今年度は「歴史に学ぶ浄土真宗の安心  -三業惑乱(さんごうわくらん)-」と題し、三浦真証(みうら しんしょう)先生にご講義をいただきます。

と、言っても多くの方が「三業惑乱って何?」と思われるのではないでしょうか。

三業惑乱とは、江戸時代中期に浄土真宗本願寺派内で教義をめぐって発生した大規模な論争です。本願寺派第6代能化(学僧のトップ)功存の教学理解を第7代能化智洞が広めたことにより惑乱が起こります。この論争は全国を巻きこむ日本最大の教学論争に発展していきますが、最終的に地方広島の学僧大瀛(だいえい)が正す形で終息します。本願寺派は、このことが一つのきっかけとなり、教学理解をとても大切にする教団となっていくのです。

今回の講座は、その大きな出来事を通して、浄土真宗の教えを分かりやすく、三浦真証先生にご講義をいただきます。

初めてお寺に参られる方も大歓迎です。
皆様お友達などお誘い合わせのうえ、ご参加ください。


日時

令和2年2月17日(月)
13:30~17:00

場所

本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

参加費

無料 ※門徒・僧侶問わずどなたでもお越しいただけます。

講師

1981年生。龍谷大学大学院卒。龍谷大学にて博士(文学)を取得。その後、龍谷大学・京都女子大学で非常勤講師を勤めると共に、浄土真宗本願寺派総合研究所研究員として『浄土真宗聖典全書』の編集に携わる。現在は自坊(奈良県光明寺)で法務と子育てのかたわら、真宗研究に励む。本願寺派輔教、布教使。
著書『真宗教学の歴史を貫くもの―江戸時代の三大法論入門―』(仏教教育出版/響流書房[電子版])、『本願寺宗主の向学―写字台文庫を中心にして―』(龍谷大学図書館、共著)の他、「『教行信証』伝授の一試論」(『真宗学』140号/2019年)など論文多数。

日程

13:00 受付
13:30 開会式
13:50 講義開始
16:50 閉会式  
17:00 終了

本願寺備後教堂 “報恩講法要”

寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。約一年ぶりの「おてら日和」です。

今回は、11月29日に勤まりました福山市東町にある本願寺備後教堂の報恩講をレポートさせていただきます。と言っても、僧侶のなかでは誰もが知っている「本願寺備後教堂」というお寺ですが、知らない方もたくさんおられるのではないでしょうか。

浄土真宗本願寺派では、岡山県西部から広島県東部のエリアを「備後教区」と呼び、ここには250あまりのお寺が所属しています。その備後教区にある本願寺直属のお寺を〝本願寺備後教堂〟と言います。ここには教区の宗務機関である教務所が置かれ、教堂では毎月11日に常例法座が勤まり、誰でも自由に参拝することができます。場所は福山駅から線路沿いを東へ約10分程歩いた大変便利のいい場所にあります。

その教堂で勤まる最も大きな法要が「報恩講(親鸞聖人のご命日をご縁に勤められる浄土真宗では最も大切にされている法要)」です。それでは、その様子について少しまとめましたので、ご覧ください。

10時からのお勤めということで9時半ごろ参上した私ですが、すでに多くの方が参拝しておられました。入り口には幕がはられ、横には仏旗が立てられ、法要が勤まることを知らせてくれています。

中に入ると受付があり、役員さんが笑顔で迎えてくださいました。そして、何と横には備龍会が販売している”みのり煎餅”が山積みに!まだまだ余っていますが、帰りにはだいぶなくなっていました(嬉)

受付を済ませ、本堂のある二階に上がってみると、立派なお仏華が生けられていました!聞くところによると、このお仏華は、ご本山のお仏華を生けておられる開明社『花新』水本会長ご指導のもと、「備後佛華之會」の皆さまで生けたものだそうです。地方ではめったに拝見することができない、貴重なお仏華です。

お手本:ご本山御正忌報恩講の前半(9日〜12日日中まで)の佛華(菊、梅擬、赤目柳等)

お浄土は人間の心では想像することができない世界であると言われています。しかし、そのままであると私たちはお浄土に思いをはせることができません。そのため、それを何とか形に表そうとしたのがお仏壇であり、お寺のお内陣(仏様が安置されている場所)であります。この素晴らしいお仏華を拝見しながら、すこしお浄土を感じさせてもらったことです。

その足で、備龍会会員も多数出勤するということで、控室を覗かせてもらうと、雅楽の練習の真っ最中。緊張感が漂っており、誰も目を合わせてくれません。

そして、いよいよ10時。喚鐘(法要の始まりを知らせる合図)がなり、奏楽員(そうがくいん)が入堂し雅楽が奏でられます。雅楽を生で聴くことができるのも教堂報恩講の醍醐味ですね。

続いて結衆6人が入堂し、最後に導師である本願寺備後教堂主管が入堂されます。

今回の法要は”五会念仏作法”という一般寺院では、あまり勤まることのないお勤めでありました。聞いた話によると本山でも年に数回しか勤められていない貴重なお勤めだそうです。(詳しい説明はページの最後をご覧ください)

備龍会会長も出勤され、声高らかにお勤めをしておられました。

左:備龍会会長

そして、このお勤めの珍しいところが、下の写真の行道であります。導師と結衆が、お経を称えたり散華をしながら、阿弥陀様の周囲を回るのです。間隔も均等でなければならず、すべての人が息を合わさないと勤めることができない難しい作法です。和を重んじる仏教精神がこの行道には求められます。

行道の後は、着座した状態でのお勤めに戻ります。前日に習礼(予行練習)をされていただけあって、声や動きなど見事にそろったお勤めでありました。

時々、お勤めは何のためにするの?ということを尋ねられることがあります。一言で言えば「仏徳讃嘆」です。阿弥陀様は現に今、「必ず救う」と私にはたらいてくださっています。そのおはたらき(徳)を讃え、感謝申しあげる。これがお勤めの目的です。約30分程のお勤めでありましたが、作法に則って仏様のお徳を讃えておられる姿というのは、大変美しいものであると改めて感じさせていただきました。

お勤めの後は、「御俗姓(ごぞくしょう)」の拝読です。これは、親鸞聖人のご生涯と報恩講における門徒の心得が説かれているお書物であり、参拝者はこうべを垂れて恭しくお聴聞します。

法要終了後、控室に行ってみると、緊張から解放された会員の姿がありました。奏楽員(雅楽)、結衆と大活躍でした!

御俗姓拝読の後は、ご法話です。浄土真宗では必ずご法話があります。今回のご講師は、兵庫県の多田満之先生でした。「地獄、餓鬼、畜生のど真ん中にいる私に気付かされ、現世でそれらの迷いの世界を超えていく。これが浄土真宗である」ということを、巧みな話術をもってお話くださり、楽しく有り難く聞かせていただきました。

そして、昼にはお斎を頂戴し、昼休憩にはお寺の坊守様グループ「ボーモリーズ」による仏教讃歌がありました。すばらしい歌声を通して、み教えを聞かせていただきました。

昼からも午前と同様に報恩講が勤まり、阿弥陀様のお心にどっぷりと浸からせていただいた一日でありました。

今回、初めて備後教堂を取り上げさせていただきました。この度の法要以外にも毎月11日には常例法座が勤まり、備龍会も仏教教養講座などを開催しています。どなた様も自由に参拝し浄土真宗の教えを聞くことができるお寺であります。是非、気軽に多くの方にお参りをいただきたいと思います。

備後教区ホームページ:http://bingo.gr.jp/

●五会念仏作法について

五会念仏とは、念仏を五段階に分けて称える法要のことで、唐の法照禅師(746年~838年)が制定されたと伝えられています。法照禅師は、七高僧第5祖の善導大師の生まれ変わりと言われ、念仏の教えを広めることに尽力された方でした。親鸞聖人もご著書の中で度々禅師のお言葉を引用されており、非常に尊敬されていたことがうかがえます。
法照禅師の時代は、念仏の教えが軽んじられていたようです。その状況を悲しまれ『浄土五会念仏略法事儀讃』を著し、念仏を五段階に分けて称える五会念仏の儀式を定められました。禅師の定められた五会念仏は、次第にテンポが速くなり、音階が上がっていくものであったようで、誠に美しい音色であったと想像されます。『大無量寿経』には、阿弥陀様のお浄土には、金、銀等で出来た樹木があり、それらは5つの非常に美しい音を奏でていると説かれています。禅師はそのことに因んで、五会念仏を制定し、当時の人びとに念仏の教えを広めようとされたのでした。
日本には天台宗第3代の円仁が伝えたそうですが、残念ながら現在では五会のうち一会の節しか伝わっていません。
現在本願寺で制定されている五会念仏作法は、『浄土五会念仏略法事儀讃』の極一部を法要用に編集されたものでありますが、時代とともに簡略化されたものだそうです。とはいえ、なかなか勤められるご縁は少ないですから、この度の報恩講では前日に集まり、習礼が行われました。
その甲斐もあり、とても美しい節と軽やかなテンポが法要を彩っており、お浄土の荘厳さをあらわしていました。

火のススメ

仏教で「火」と言うと、灯明(蝋燭の灯)を思い浮かべます。周囲を明るく照らすその光は仏さまの智慧を象徴し、その熱は温もりとして私の固く閉ざした心を解きほぐす慈悲を象徴する・・・とお聞きしたことがあります。が、今日は灯明のお話しではありません。単純に「火」です。「Fire」です。

最近では、なるべく火を使わない生活スタイルが増えています。灯明のLED化、IHクッキングヒーター、エアコン等々。しかし、私は昔ながらの「火」を使うことをお勧めしたいのです。なぜなら、火を見ているだけで何となく懐かしく、何となく癒されるからです。そして、何よりリラックスできませんか?(子どもの頃のキャンプファイヤーを思い出してみてください)また火を使う道具は、手入れさえきちんとすればとても長持ちしますし、見た目も美しい器具が多いです。

私は珈琲が好きなので毎朝豆をガリガリして珈琲を淹れます。早朝の台所はいつも立て込んでいて、朝食やお弁当作りで忙しくしている妻の傍で、コンロを独占し豆をガリガリしようものなら、当然のことながら邪魔扱いされます。そんなとき、黙って孤独に部屋で珈琲を淹れるのです。そこで、湯を沸かす道具が必要となってきます!では、2つの湯沸かし道具に登場していただき、それぞれを比べてみましょう。

まずは妻愛用の「ティファール」。こいつはなかなか優秀です。何せ沸騰するまでの時間が抜群に早いのです。ではスタート!結果3分01秒! 早!このポットには保温機能がついているので、60度に設定しておけば30秒で沸騰します。メリットはとにかく早い、デメリットは100Vの電源がいることです。

次は愛用のシングルバーナーです。特徴として、青い炎と共に「シュゴォォォォォー」と音がします。お湯が沸くまで8分06秒かかりました。メリットは超コンパクト、デメリットは燃料がいる、沸騰するまで時間がかかることです。

沸騰時間と手軽さで比較するとティファールの圧勝ですね。たくさん売れるわけです。でも私はティファールを使いません。青い炎と音、銅のコーヒーポットに癒されるのです。要するに珈琲を飲む事がゴールではなく、珈琲を淹れる過程をも含めて私のリラックスタイムになっているわけです。何かただの道具愛の話しになりそうなので、次に参りましょう。

私は焚き火が大好きです。焚き火の前でのゆっくり流れる時間は、私にとって何にも代えがたいリラックスタイムです。皆様最近焚き火をされましたか?日本人なら誰もが知っているであろう「たきびだ たきびだ おちばたき~♪」の焚き火です。私が住んでいるところは田舎ですのでしようと思えばいつでもできますが、自治体によっては禁止されていることがあるので要注意です。自宅の庭でも廃棄物処理法・消防法などによって規制または禁止されています。煙も出るので、火事と間違えて通報されたら一大事です。残念ながら、昔のように焚き火の炎を見つめながらボーっとすることはとても難しい時代になってしまいました。

私の叶えたい夢のひとつに「薪ストーブ導入」があります。薪ストーブは環境にもやさしいといわれています。木は二酸化炭素を生長の過程で吸収し、そして燃やす事によって二酸化炭素を空気中に戻しているのです。何よりも焚き火を家の中でできるじゃないですか!揺れる炎をゆったりと眺めながら、珈琲を片手にパチパチと薪のはぜる音に耳を澄ます・・・あぁ・・・エアコンやファンヒーターではおそらくこうはいきませんよ。(ただし薪を準備する事は重労働間違いなし)

現代社会では「火」を使わずとも生活できます。特に都会に住んでいる方々にとって「火」は遠い存在になりかけています。でも私は「火」が忙しい日々に癒しを与えてくれる存在だと信じています。この「火」に対する思いが男特有のものかと心配になったので、妻に聞いたところ「薪ストーブ欲しい、うち寒いから!」との一言を頂戴しました・・・。冬真っ只中、皆様どうぞ「火」を使い「火」を見ながら暖かいスローライフをお過ごしください!

※乾燥しやすい季節でもありますので、火の取り扱いには十分にご注意ください!

執筆者 和泉裕生

「Jodo Shinshu?」「Yes! 浄土真宗!」-アメリカの仏教-

ある年の夏、アメリカシアトルの空港でこんな事がありました。

入国審査の際、順番が来たので、入国審査官にパスポートを渡しました。すると、その審査官が「BCA(米国仏教団、Buddhist Churches of Americaの略)のMinister(聖職者)?Jodo Shinshu?」と聞いてきました。まさかこんなところで、「浄土真宗」という言葉を聞くとは思っていなかったのでびっくりしましたが、同時にとても嬉しくて、笑顔で「Yes! 浄土真宗!」と答えました。話を聞くと、その審査官の友人が浄土真宗の僧侶(私と同年代の白人開教使)だから、浄土真宗は知っているとのことでした。

私がなぜシアトル空港にいたかというと、実は2008年から2017年までの10年間、米国仏教団(アメリカ本土)の開教使(本山から派遣され、海外で布教活動する僧侶)として、ロサンゼルス別院で3年間、その後、シアトル近郊のタコマ仏教会で7年間、お勤めさせていただいていたからです。

タコマ仏教会

実は、アメリカ本土には約60の浄土真宗本願寺派のお寺があり、約45人の開教使、1万数千人の門信徒(アメリカではメンバーと言います)がいます。その多くは、ロサンゼルスやサンフランシスコなど、日系の移民が多く住んでいるアメリカ西海岸にあります。他の宗派のお寺もありますが、日本からの移民は広島や山口、熊本など、浄土真宗の門徒が多い地域の出身者が多数で、本願寺派のお寺も、他の宗派に比べて非常に多くあります。

ロサンゼルス別院の親鸞聖人像 降誕会

1889年に、アメリカ本土で最初の本願寺派のお寺が、サンフランシスコに建てられて以来、日系人が多く住む町に次々とお寺が建てられ、毎週日曜のサンデーサービス(日曜礼拝)だけでなく、日本の食べ物や映画など、文化が楽しめる場所、日本人同士が日本語で話せる場所として、日系人コミュニティーの中心でした。

最近ではアメリカ人にも禅を中心に、平和的なイメージのある仏教がブームで、英語の仏教関係の出版物の増加、インターネットなどにより一般のアメリカ人にも広く理解され、非日系の方も多くお寺に訪れ、お寺のメンバーになる人も増えています。ハリウッド俳優のリチャード・ギアはチベット仏教を信仰していますし、アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズも禅堂で座禅をするなど、仏教の影響を強く受けています。ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの中の「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」という言葉は、仏教の教えが元になっていると言われています。

ハロウィン日曜礼拝

アメリカのお寺は、日本に比べると歴史が浅いですし、アメリカ人の自由な国民性もあり、日本のお寺とはまた違った雰囲気があります。例えば、いわゆる総代さんは、半分近くが女性で非日系のメンバーも積極的に参加してくれます。また、コスチュームを着て参加するハロウィン日曜礼拝やキリスト教の宗教者などとの宗教間対話会などがあったり、子どもの日曜学校、瞑想会、バザー、ObonFestival(盆踊り)、映画を見て仏教を学ぶ会、地元大学の仏教学教授(お寺のメンバー)による仏教講座など、色々な行事があり、様々な人がお寺に来られます。州によっては同性結婚が認められているので、その結婚式を司婚することもありました。

タコマ仏教会の盆踊り
日曜学校でのたくあん作り

また、私が勤めていたタコマ仏教会の日曜礼拝には、子どもも含め毎週60~70人のお参りがあり、初めてお寺に来られる方もいて、多い時にはお参りの半数近くが非日系の方の時もありました。お勤めは日本と同じですが、法話などは英語で行われ、言葉の壁を超えて多くの方が教えを聴聞されています。このように、仏教はアメリカでどんどん広がっているのです。

アメリカ、ハワイ、カナダ、ブラジル、ヨーロッパなど、浄土真宗のお寺は世界各国にあります。機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください!

タコマ仏教会の総代会
アメリカで使われる聖典

執筆者 柿原興乘

お寺×コンパ「オテラスハウス」に参加してみた!

 5月19日のことです。
尾道市万福寺さまを会場に、備後教区仏教青年連盟主催「オテラスハウス」(お寺×コンパ)が開催されました。 「オテラスハウス」は、お寺に親しんでいただきながら、男女の出会いの場になればとの思いで企画されたものです。  私はスタッフ側で参加するご縁をいただきました。

会場となった万福寺さまは、備龍会の前会長、河村祐昭ご住職のお寺です。
ご住職を始め、ご寺院の皆さま、関係者の皆さまの全面協力を頂く中、男女定員各20名のところ、遠近各地より男性23名・女性25名の方々にお越しいただきました。(運営スタッフも20名にのぼりました)

参加者の中には、お経本やお念珠を初めてお持ちになる方もいらっしゃいましたので、主催側よりいくつか説明をいたしました。

①お経本には、釈尊を始め、七高僧、親鸞聖人、歴代宗主が説かれた み教え が説かれています。

②大切な み教え が説かれていますので、お敬いの気持ちからお経本は頂きます。

③お経本・お念珠は畳や床に直に置きません。

etc…

写真左:「オテラスハウス」の企画仕掛人である 崇興寺 枝廣慶樹ご住職(備後教区 仏教青年連盟 青年教化指導員)による作法説明

まずは全員でお勤め

午前中は自己紹介やゲームで交流を深め、

午後はBBQ(フリータイム)で各自お話。

そして、最後にカップリング。 スタッフ一同もドキドキでしたが、なんと…

5組成立❗❗
おめでとうございます❗



ちなみに、浄土真宗のお寺では、結婚式のご相談も受付けています。


「お寺で結婚式?」

と思われた方!
そーなんです❗ お寺で結婚式、出来るんです❗

「仏前結婚式」と言いますが、式を挙げる意義について、本願寺(西本願寺)の仏教青年連盟HPに下記の通り掲載されています。

(仏前)結婚式は、尊いご縁によって結ばれたよろこびをご縁として、新郎も新婦も、ともにお慈悲のなかにあることを感謝しながら、念仏に薫る生活をおくるということを、阿弥陀如来の前で奉告する儀式です。 仏前結婚式では、新郎新婦が、ご両親をはじめ多くの方がたのお育てによって、この日を迎えることができたという感謝の気持ちを忘れず、悲しい時もうれしい時も、いつも阿弥陀如来のお慈悲のなかにあるということを思い起こして、互いに助け合いながら生きていくという決意を新たにします。 

仏教青年連盟HP「仏前結婚式のススメ」より抜粋して転載

私事ですが、今年、結婚生活8年目になりました。仏前結婚式を挙げさせていただきましたが、大変厳粛な雰囲気でした。

式では、お勤め、新郎新婦・誓いの言葉、記念念珠の交換でとても緊張しましたが、阿弥陀如来のご尊前に奉告出来た事は一生の思い出です。

お寺は、ご法事やご葬儀ばかりではありません。 「仏前結婚式」、オススメです❗❗
興味がある方は所属のご寺院等にお問い合わせくださいね。



筆者  後谷唯明

この度、備龍会が発案して企画した「スゴロク」の販売が終了することとなりました。
お楽しみいただいておりました皆様には、改めて厚くお礼申しあげます。
これからも、子どもや若者にも浄土真宗のみ教えに親しんでもらえるような取り組みを志して活動してまいります。
今後ともよろしくお願い申しあげます。

量子力学と仏教

皆さん映画は好きですか?

私はよくSF系の映画を見ます。SFというとサイエンス・フィクションの略で近未来や宇宙など化学が発展した世界を舞台にしたジャンルです。 そこではタイムマシーンやワープ、量子コンピューターなど夢のような科学技術がたびたび登場します。

それらの技術は「量子力学」という分子や原子それらを構成する電子、例えば光など目に見えないものを扱った分野から成り立っています。

この「量子力学」について私自身もよくわかってはおらず、ましては理解できるものでもないのですが、いまや私たちの生活に欠くことができない重要なものにもなっています。

例えば、スマートフォンで画面に触れると画面が変わるという技術も量子力学から生まれたものですし、他にもコンピューターやDVD、デジカメなども量子力学の理論なしには存在していません。

「量子(りょうし)」というのはすごく小さな単位のことで、「粒子」であり「波」の性質をあわせもつ極小のものを「量子」と呼んでいます。
身近なところで「量子」は「光」と考えると少しわかりやすいかもしれません。「光」は、音と同じような「波」としての性質をもっているのですが、同時に「粒子」の性質をもっているというのです。


私がこの「量子」の性質として面白いと思ったのは、「波」の状態にあるときは目に見えない「物質波」として空間に広がり、人間が観測したとたんに波としての性質を消し「粒子」となって姿を現します。
つまり、人が見ていないときは姿がない「波」であり、人が見たとたんに「粒」として突然出現する。量子が状態を変えるのは「人間が観測しているか、していないかで決定する」というのです。

さらにはこの「量子」は私たちの常識では計り知れない奇妙ともいえる振る舞いをし、一つの量子が一瞬で遠い場所に同時に存在したり、テレパシーのように情報を伝達できたりと…、もう訳が分かんないですね。

それもそのはず、かの有名な天才科学者アインシュタインは「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」という言葉を残していますが、その天才アインシュタインをもってしてもこの「量子」の不思議な性質は受け入れることができないと拒否しています。

シュレディンガーという有名な物理学者も、量子論の不可解な理論に思考実験をもって反論し、
「その理論だと一匹の猫が生きている状態と死んだ状態が同時に重なりあって存在するという現象が生まれるよ?そんなのおかしくない?」
と提案しています。 しかし、そんな到底理解できないような話が妥当とされるのが「量子力学」という不思議な世界で、多くの科学者が「誰も量子力学を理解できない」と公言しています。


現代は、科学も宗教も対立する時代ではなくなり、仏教が2500年も前に説いていたことに、科学が2500年遅れて追いついてきたと考えることもできます。 というのも、調べていくと量子力学と仏教思想は相通ずるところが非常に多いのです。

結局のところ私が何を言いたいのかというと、そんな人間の理解を超えた世界を2500年も前からすでに説いていた
「仏教ってやっぱり凄い!!」
ということです。

調べれば調べるほどに奥深い「量子力学」の世界! とても私には説明しきれないので、もし興味のある方はインターネットやyoutubeなんかでもたくさん解説がでていますので「量子力学」「量子力学  仏教」なんかで検索してみてください。

Let’s enjoy 仏教!!

筆者  田坂 礼人

浄土真宗本願寺派 備後教区 青年僧侶の会=備龍会のウェブサイトです。