家という漢字はウカンムリ(屋根)の下に豕(猪・豚)がいるという象形文字です。「善人ばかりの家は争いが絶えない」という格言を寺院の掲示板でよく見かけますが、正義だって豬のように「猪突猛進に、真っ直ぐ」追求したら、他と衝突も多いことでしょう。
その猪を家畜化した「豚」は俗に仏教でいう愚癡(おろかさ)のシンボルとされ、凡夫の「分かった」と返事は良くても同じミスを繰り返すような理解の欠如。真理に反発・反抗する気持ちなども含め、根源的な暗さに例えられる動物です。この豬や豚の心を「豕心」と書いて「貪欲で無恥な心」を意味しますので、一つ屋根(家・社会)の下に恥知らずな欲張り心をもつものが住んでおり、同じ方向どころか各々に違った方向を向いてブーブー言いながら生きている。そんな解釈もできるのが「家」という字です。
浄土真宗の先人方は、お仏壇を「御内仏(おないぶつ)」と呼んで、単なる置物や箱ではない、家のなかの仏さまとして大切にしてこられました。その仏様(阿弥陀様)をお迎えする法要を浄土真宗では入仏式と言います。それは決して仏様に魂を入れる儀式ではなく、仏様をご本尊としてお迎えしたことを慶び、そのお徳を讃える法要です。また、その法要を「おわたまし」とも言います。それは、いのちの拠り所となる柱(尊い方・仏)が我が家に御渡りになられたという意味です。コロナで「STAY HOME」と叫ばれ、家で不安・不満の日々を送りがちな今だからこそ、家族ひとりひとりが偉いものになる畜生の心を増長させず、お仏壇の前に謙虚に座して、仏の大悲に親しく密接な一日を送っていただきたいと思います。
そんなわけで今回のコラムは「家のお仏壇」に関する体験や写真を三点ほど紹介させていただきますので、お付き合いください。
1.法要のオンライン化
コロナで非常事態宣言が出された四月某日、ご門徒さんの家で「法事のライブ中継」というご縁にあいました。もしもの感染リスクを考えて帰省を自粛、家にはお母さんと年若い夫婦と子供だけでしたが、「今日はスマートフォンで法事の様子を送ってもいいですか?オンラインでライブ中継しようかと思いまして」との事。家の方はスマホをかまえて、もう片方の手には経本とお念珠を持ちながらでしたが、法要のみならず御文章・ご法話から合掌礼拝まで、離れたところにいる方もリアルタイムにご一緒してくださいました。
終了後すぐに、「岡山の妹が礼を言っています」「広島にいる息子は法事の様子をTVに映して、子供たちと手を合わせたようです」と、写真(右上)を見せてもらいました。家の人たちも「こうゆう法事もいいですね」と喜んでくださり、私自身も有難さを一入に感じました。オンラインの是非はともかく浄土真宗は聞法教団ですから、いわゆる聖地の巡礼や参拝などを重要視したり、法要儀式だけを優先している宗教ではありません。どれだけ時代が進んでハードウェア(形や儀式)が変化しても、お仏壇の中身・本質にあるものに一人一人が遇うことが大切なことだと、あらためて感じるご縁でありました。
2.受け継がれてきたもの
そういった時代の変化もありますが、お仏壇の周りには古いものが何十年も変わらずに残っていることもあります。その枚挙に暇はありませんが、古い御文章をはじめ、仏教に関する珍しい額や軸、早世した父が自筆されたという「明日ありと思う心のあだ桜」の文字などを見つけて、家の方と盛り上がることもしばしばです。どの家にも歴史・背景があり、世代をこえた思い、痕跡が偲ばれます。その一例にこんな影像を見かけることがあります。
本尊の右側に恵信尼様(あるいは玉日姫)らしき女性が、親鸞聖人らしき僧侶と並び座している一幅の御影です。数は少ないですが、地域をとわず、本尊の右隣りに安置されている姿をお見掛けします。浄土真宗の本尊は阿弥陀如来一仏で、御脇掛は親鸞聖人、蓮如上人の御影もしくは九字、十字名号をお掛けして、このほかの絵像やお札の類を置いてはいけない、と昔から伝えられてきましたので、お取次ぎの寺や本山がご下付したものではないでしょう。 親鸞聖人の妻は口伝鈔に恵信尼の名が伝わってはいても、観音の化現たる玉日の伝説や作り話の類がきわめて多く、『恵信尼消息』を発見された鷲尾教導師が 「芝居かかった唱導者の手際で、明治大正の今日まで愚夫愚婦の俗信に合致して玉日の墓とやら、その木像とやらを拝ませて、玉日講などといふ様な結社まで出来て、其勢力侮るべからざるものがある。」 と述べておられるので、おそらくそういった時代に作られて流布されたものではないか、と私は推測しています。しかしそれでも恵信尼様を慕って、当時の家の方が長く大切に伝わるように御内仏に掛けられたのだろうと思います。
3.仏壇に造花はダメ
このように正式のものではないから仏壇に入れちゃダメ!と四角四面に言うつもりはありませんが、それでも声を大にして言いたいことがあります。
ある家でのお参り後、お茶を頂きながら談笑しているときに、ロウソクの灯が花にうつり、その炎が大きく燃え上がる事件に遭遇したことがあります。家の人とあわてて消そうとしますが、ぜんぜん消えずに、炎はさらに大きく燃え広がっていきます。よく注視してみれば、造花の花(石油由来製品)ではないですか!仕方なく花瓶ごと抱えて縁側の外に運びましたが、途中でボタボタと黒い汁が火のついたまま下に落ちるのです。なんとか事なきをえましたが、本当に心臓に悪い出来事でした。
今までもロウソクと花瓶の位置が近くて、葉や花が焦げたりすることはありましたし、仏壇周辺に線香や落ちても燃えないように配慮されたものを使っているご家庭も多いので、そう簡単に仏壇から火事になるケースは少ないだろうと常々思っていましたが、それを覆してしまう出火原因の一端を見たような気分でした。危ないから仏壇に「ロウソクの火を使わない、使わせない」という議論もありますが、その前に造花のような異常に燃えやすいものを置かないように注意しないといけません。
今後のために当時の門徒宅での状況をメモしました。参考までに
ロウソクの炎と花は約2~3cm離れていました(接触していないのに燃えた) 点燭後30~40分たってから、花に燃え移る(地震や風なども無し) 仏壇が異常に明るくなるほどの炎。(約1分で花の1.5倍程度の炎になった) 造花は燃えたあと黒い汁となって、下にボタボタと落ちる。あるいは黒く縮んでいくが瓶や床など他のものに付着して更に燃え続けた。 上写真の検証で使用した造花は、ポリエステル・ポリエチレン製のもの。
以上、ご門徒宅のお仏壇で体験したことを紹介させていただきました。コロナウィルスの影響で家にいる時間が長くなっている方も多いと思います。これを機会に、阿弥陀様のお心に触れながら、お仏壇の掃除をしてみるのもいいかもしれませんね。
コラム資料:諸橋轍次著『大漢和辞典』、鷲尾教導著『親鸞の室玉日の研究』、大阪教区イラスト素材集
執筆者 藤井迎朋