本願寺備後教堂 “報恩講法要”

寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。約一年ぶりの「おてら日和」です。

今回は、11月29日に勤まりました福山市東町にある本願寺備後教堂の報恩講をレポートさせていただきます。と言っても、僧侶のなかでは誰もが知っている「本願寺備後教堂」というお寺ですが、知らない方もたくさんおられるのではないでしょうか。

浄土真宗本願寺派では、岡山県西部から広島県東部のエリアを「備後教区」と呼び、ここには250あまりのお寺が所属しています。その備後教区にある本願寺直属のお寺を〝本願寺備後教堂〟と言います。ここには教区の宗務機関である教務所が置かれ、教堂では毎月11日に常例法座が勤まり、誰でも自由に参拝することができます。場所は福山駅から線路沿いを東へ約10分程歩いた大変便利のいい場所にあります。

その教堂で勤まる最も大きな法要が「報恩講(親鸞聖人のご命日をご縁に勤められる浄土真宗では最も大切にされている法要)」です。それでは、その様子について少しまとめましたので、ご覧ください。

10時からのお勤めということで9時半ごろ参上した私ですが、すでに多くの方が参拝しておられました。入り口には幕がはられ、横には仏旗が立てられ、法要が勤まることを知らせてくれています。

中に入ると受付があり、役員さんが笑顔で迎えてくださいました。そして、何と横には備龍会が販売している”みのり煎餅”が山積みに!まだまだ余っていますが、帰りにはだいぶなくなっていました(嬉)

受付を済ませ、本堂のある二階に上がってみると、立派なお仏華が生けられていました!聞くところによると、このお仏華は、ご本山のお仏華を生けておられる開明社『花新』水本会長ご指導のもと、「備後佛華之會」の皆さまで生けたものだそうです。地方ではめったに拝見することができない、貴重なお仏華です。

お手本:ご本山御正忌報恩講の前半(9日〜12日日中まで)の佛華(菊、梅擬、赤目柳等)

お浄土は人間の心では想像することができない世界であると言われています。しかし、そのままであると私たちはお浄土に思いをはせることができません。そのため、それを何とか形に表そうとしたのがお仏壇であり、お寺のお内陣(仏様が安置されている場所)であります。この素晴らしいお仏華を拝見しながら、すこしお浄土を感じさせてもらったことです。

その足で、備龍会会員も多数出勤するということで、控室を覗かせてもらうと、雅楽の練習の真っ最中。緊張感が漂っており、誰も目を合わせてくれません。

そして、いよいよ10時。喚鐘(法要の始まりを知らせる合図)がなり、奏楽員(そうがくいん)が入堂し雅楽が奏でられます。雅楽を生で聴くことができるのも教堂報恩講の醍醐味ですね。

続いて結衆6人が入堂し、最後に導師である本願寺備後教堂主管が入堂されます。

今回の法要は”五会念仏作法”という一般寺院では、あまり勤まることのないお勤めでありました。聞いた話によると本山でも年に数回しか勤められていない貴重なお勤めだそうです。(詳しい説明はページの最後をご覧ください)

備龍会会長も出勤され、声高らかにお勤めをしておられました。

左:備龍会会長

そして、このお勤めの珍しいところが、下の写真の行道であります。導師と結衆が、お経を称えたり散華をしながら、阿弥陀様の周囲を回るのです。間隔も均等でなければならず、すべての人が息を合わさないと勤めることができない難しい作法です。和を重んじる仏教精神がこの行道には求められます。

行道の後は、着座した状態でのお勤めに戻ります。前日に習礼(予行練習)をされていただけあって、声や動きなど見事にそろったお勤めでありました。

時々、お勤めは何のためにするの?ということを尋ねられることがあります。一言で言えば「仏徳讃嘆」です。阿弥陀様は現に今、「必ず救う」と私にはたらいてくださっています。そのおはたらき(徳)を讃え、感謝申しあげる。これがお勤めの目的です。約30分程のお勤めでありましたが、作法に則って仏様のお徳を讃えておられる姿というのは、大変美しいものであると改めて感じさせていただきました。

お勤めの後は、「御俗姓(ごぞくしょう)」の拝読です。これは、親鸞聖人のご生涯と報恩講における門徒の心得が説かれているお書物であり、参拝者はこうべを垂れて恭しくお聴聞します。

法要終了後、控室に行ってみると、緊張から解放された会員の姿がありました。奏楽員(雅楽)、結衆と大活躍でした!

御俗姓拝読の後は、ご法話です。浄土真宗では必ずご法話があります。今回のご講師は、兵庫県の多田満之先生でした。「地獄、餓鬼、畜生のど真ん中にいる私に気付かされ、現世でそれらの迷いの世界を超えていく。これが浄土真宗である」ということを、巧みな話術をもってお話くださり、楽しく有り難く聞かせていただきました。

そして、昼にはお斎を頂戴し、昼休憩にはお寺の坊守様グループ「ボーモリーズ」による仏教讃歌がありました。すばらしい歌声を通して、み教えを聞かせていただきました。

昼からも午前と同様に報恩講が勤まり、阿弥陀様のお心にどっぷりと浸からせていただいた一日でありました。

今回、初めて備後教堂を取り上げさせていただきました。この度の法要以外にも毎月11日には常例法座が勤まり、備龍会も仏教教養講座などを開催しています。どなた様も自由に参拝し浄土真宗の教えを聞くことができるお寺であります。是非、気軽に多くの方にお参りをいただきたいと思います。

備後教区ホームページ:http://bingo.gr.jp/

●五会念仏作法について

五会念仏とは、念仏を五段階に分けて称える法要のことで、唐の法照禅師(746年~838年)が制定されたと伝えられています。法照禅師は、七高僧第5祖の善導大師の生まれ変わりと言われ、念仏の教えを広めることに尽力された方でした。親鸞聖人もご著書の中で度々禅師のお言葉を引用されており、非常に尊敬されていたことがうかがえます。
法照禅師の時代は、念仏の教えが軽んじられていたようです。その状況を悲しまれ『浄土五会念仏略法事儀讃』を著し、念仏を五段階に分けて称える五会念仏の儀式を定められました。禅師の定められた五会念仏は、次第にテンポが速くなり、音階が上がっていくものであったようで、誠に美しい音色であったと想像されます。『大無量寿経』には、阿弥陀様のお浄土には、金、銀等で出来た樹木があり、それらは5つの非常に美しい音を奏でていると説かれています。禅師はそのことに因んで、五会念仏を制定し、当時の人びとに念仏の教えを広めようとされたのでした。
日本には天台宗第3代の円仁が伝えたそうですが、残念ながら現在では五会のうち一会の節しか伝わっていません。
現在本願寺で制定されている五会念仏作法は、『浄土五会念仏略法事儀讃』の極一部を法要用に編集されたものでありますが、時代とともに簡略化されたものだそうです。とはいえ、なかなか勤められるご縁は少ないですから、この度の報恩講では前日に集まり、習礼が行われました。
その甲斐もあり、とても美しい節と軽やかなテンポが法要を彩っており、お浄土の荘厳さをあらわしていました。