「0120、333の~・・・」と口ずさめば、実際に電話をかけたことがないのに番号だけは覚えてしまっている、ということがありますね。これは、単なる数字の配列にメロディをつけたからです。お経に節をつけるのも同じで、仏さまの教えを私たちの心にたもつために音曲として成立したそうです。
さて、お経に独特な旋律をつけることを「声明(しょうみょう)」といいます。西洋音楽の「ドレミ」の単音とは違い、写真のようにヒョロヒョロした線の組み合わせによって、全体の旋律ができています。さらにこの線は「水の仲間」「風の仲間」など自然と調和した音ごとに分類されるそうです。まさに、ネイチャーサウンドです!
また、本願寺の声明の旋律は、近年のオルガンを用いた「音楽法要」を除けば、すべて天台宗からきています。もともと本願寺が天台宗青蓮院と深い関りがあり、親鸞聖人が天台僧であったご縁です。
もっと遡れば、“最後の遣唐使”慈覚大師円仁(延暦寺第三代天台座主)が、中国の五台山から声明を持ち帰ってこられたご縁です。円仁は、わが国で「大師」号を持った第1号です。その声明曲を京都・大原の地(京都市北東)におとされました。タイトルにもある魚山というのは、大原にある三千院(天台宗寺院)一帯の別名です。
魚山とは、中国山東省東阿県の西にある山の名前です。中国の三国志の時代にいた魏の曹植(そうち)が、ある日、魚山で遊んだとき、空中から響く梵天の声に妙音を感じ、たちまちに唄讃(ばいさん・仏さまをほめたたえる音曲付きの詩文)を作ったとの故事があり、大原の地もその事に因んで魚山と名付けられたそうです。
そして、さらに遡れば、五台山にいた法照禅師(ほっしょうぜんじ)が、90日間の念仏三昧、つまり、瞑想し浄土の世界を観ておられたときに編んだ音曲というご縁です。
浄土真宗の「念仏成仏コレ真宗」というご和讃は、もともと法照禅師のお言葉です。また、お葬式やお寺での法要の冒頭に、導師が「ぶぅ~じょぉ~・・・」とあげる旋律、さらに、正信偈行譜(ぎょうふ)の後半「ぜぇ~ん~ど~・・・」、あれらは、法照禅師のご作曲です。本願寺では改譜されているため、その名残は少ししか残っていませんが、長い歴史のなかで伝えられてきた声明を今お称えしているのです。
もともと、真宗寺院の本堂の造りというのは、緻密に計算された音響部屋です。本堂そのものがひとつの「楽器」となって、雅楽や声明、あるいはお説教の声が聴衆に響き渡るような構造になっていました。蓮如上人の工夫であると聞いています。
たとえば、阿弥陀さまのいらっしゃる台を「須弥壇(しゅみだん)」といいますが、この壇の床は「鏡板(かがみいた)」といい、漆塗りです。鏡板は能舞台の専門用語でもあり、音がしっとり反響するように出来ているそうです。
また、欄間(らんま)は、外陣から見れば精巧に彫られていますが、内陣からみると、ざっくり彫られているだけです。これは、内陣側も細かくほると、音が複雑に反射して、澄んだ音にならないからだそうです。これらは一部ですが、先哲が愚直なまでに「音」にこだわっていた証拠です。身体で宗教を感得する世界なのです。
昔は、声明も教義もみな「口伝(くでん)」だったそうです。テープで聞くより、生身の人間を通して聞かなければ伝わらないことがあるというのは、想像できますね。お釈迦様が文字を残すことに依存されなかった理由も、それが一つです。同じ話でも、本で知ること、テレビで知ること、人から直接聞くことでは、雲泥の差であることは、いうまでもありません。録音技術の目覚ましい進歩と引き換えに、私たちの技術や感受性はますます乏しくなっていくかも知れません。
話が大分それましたが、昔の門徒さんも聴いてこられた魚山声明の世界を今おぼつかない足取りで、真似ごとをさせていただいています。本願寺では改譜されているため、おそらくほとんどの方が「初めてきいた」と思われることでしょう。8世紀から一つも変わらない旋律を聞くって、すごいことだと思います。今、このような基本から勉強できる環境はほとんどありません。決してやる気がないのではなく、そういった旋律を正しく学ぶ機会がないのです。私がこうして触れられるのは、本当にたまたまなのです。不思議なご縁で、とことんのめり込んでしまいました。
とても流麗で優雅な、そして、どこか切なげで、やはり無常を感じる・・・
皆さんとそんな風に時間と空間を共有出来たらな、と思います。この世界、10年やって一年生、20年やって一人前といわれます。
こんな声明の世界にも、ようこそようこそ!
執筆者 児玉隆志