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枯れ木に花を咲かせましょう

新しく年が明け、1年の過ぎるスピードが早くなってきたと再自覚する40代の毛利がこの度は担当いたします。

本当に時の過ぎるのは早く、つい先ごろまで紅葉に目を奪われておると思っていたら、落ち葉を集めている間に冬が訪れたといった感じで時間が通り抜けて行っております。

自坊には樹齢200年をこえるイチョウの木が立っており、秋には境内を黄色く染めてくれます。これまでも、この木の下であったたくさんのことを見守ってきたことでありましょう。

イチョウの木というのは大型木造建築にはつきもので、燃えにくい葉や枝、幹を火災の鎮火に用いる防災を兼ねて大切なものを守ろうとの思いから植えられていたものです。ただ立ってるようなものでもいろんな思いが繋がって大きな姿になるんですね。


昨年の11月、父(前住職)の三回忌をお勤めさせていただきました。その時、父のきょうだいである叔母さんが3人集まってくれ、昔の自坊の話やら近所の話を沢山おしえてくれました。
変わったところや変わらないところ…

実は私が父が往生してのちに、境内の庭木を結構な本数切りました。昔を知る叔母からしたら、今まであったものがなくなるのは寂しい思いがあったのだと思います。
「あれも無くなったんじゃねー」という言葉を内心ヒヤヒヤしながら聞いておりました。しかし、叔母もこれからの事は私たちが中心になることをわかって気遣ってくれたのか「スッキリして良くなったねー」とも言ってくれました。

その話の流れの中で、庭に一本枯れかけの柚子の木が生えているのですが、
「あの柚子の木だけは、私らがおる間だけでいいけー切らずに置いといてね〜」
と言われました。

理由を聞くと、その柚子の木は私からいうとひいおばあちゃんが植えたものらしく、

「柚子の木は『桃栗三年、柿八年、柚の大馬鹿十八年』なんて言われてね、種から発芽させて苗木になってから植え替えて根付かせて…気候条件もいろいろあってなかなか実をつけるまで大変じゃし、時間がかかるものなんよ。昔は植えた人はまず口にはできんものって言われとったんよ。」

と教えてくれました。
我がために植えるのではなく後の者たちのために、ということです。孫である私たちの為に植えてくれたものという愛着があるんでしょうね。

私たちは、生きていけばいろんな困難があります。その度に私の為にと、はたらいてくださる願い知らされれば、もうちょっとだけ頑張ってみようと思えるのかもしれませんね。

これから寒い時期にはゆず湯なんていいかもしれませんね。

執筆者 毛利令就

仏教教養講座「私のとなりのカルト宗教」のご案内

年に一度、宗門内外問わず活躍されている方をご講師にお招きし、参加費無料の公開講座として開催している「仏教教養講座」!
今年度は「私のとなりのカルト宗教」と題し、瓜生崇先生に分かりやすくスライドを用いて、カルト問題についてのご講義をいただきます。

瓜生先生は、引く手数多で日々全国の様々な場所でご講演されています。

「カルトってそもそも何なの?」
「私とどのような関係があるの?」
「どの宗教をカルトっていうの?」
「どうやって勧誘されるの?」
「どういう問題があるの?」

日頃なかなか掘り下げて聞くことができないことを、真面目な中にもざっくばらんにお話ししてくださいます。

カルトはよその話ではありません。〝私〟のすぐとなりに潜んでいます。
まずは知るところからはじめましょう。

初めてお寺に参られる方も大歓迎です。
皆様お友達などお誘い合わせのうえ、ご参加ください。


日時

平成31年2月7日(木)
13:30~16:50

場所

本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

参加費

無料 ※門徒・僧侶問わずどなたでもお越しいただけます。

講師

真宗大谷派 玄照寺住職  瓜生崇(うりう たかし)氏
プロフィール
1974年東京生まれのネコ好きな坊さん。大学在学中に浄土真宗親鸞会という新宗教に入会。大学を中退して同会の専従講師になり、カルトな青春時代を送った後、12年後に脱会。その後はシステムエンジニアとして働いた後、何故か滋賀県のお寺の住職に。
響流書房」という電子書籍専門の仏教書出版や、「浄土真宗の法話案内」という法話情報サイトをやってます。好きな動物はネコ。大事なことなので二度言いました。」

日程

13:00 受付
13:30 開会式
13:50 講演
16:15 質疑
16:45 閉会式
16:50 終了

粒あんのヒーロー

今年も残すところ1ヶ月となりました。

2018年最後の備坊録を担当させていただきます。立神です。

この1年を振り返ってみますと、備後地区を含め全国各地で多大な被害をもたらした自然災害がありました。

被災されました方には心からお悔やみ申し上げます。

みなさまはどのような1年であったでしょうか?

 

この度は、みんな大好き!子供の心を掴んで離さないヒーロー。”アンパンマン”の魅力を書かせて頂きます。

 

アンパンマンがそれいけ!アンパンマン」という名前でテレビで初めて放映されたのは、なんと私の生まれた1988年。現在広島では毎週日曜日朝5時15分から5時45分まで放映されています。ロングセラーなことにもビックリですが、もっと驚きなのは何といってもキャラクターの多さ!2200種類以上のキャラクターが今までに登場しており、アニメシリーズのキャラクター数がギネス記録に認定されているそうです。

 

私も子供の頃は夢中になっていましたが、最近では2歳の娘と一緒に毎週欠かさず見るようになりました。そんな中、子供の頃に感じていた面白さだけではなく、大人になって見てみると、また新たな魅力に気づきました。

 

例えば、主題歌の「アンパンマンマーチ」は、アンパンマンの産みの親である「やなせたかし」さんが書かれたもので、本来は

 

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび…♪」

から始まりますが、テレビでは途中の

「そうだ おそれないでみんなのために 愛と勇気だけが友達さ♪」

 

から始まります。

この曲を聞き、子供の頃は純粋に

「アンパンマン友達いないのかなぁ?」

なんて思っていましたが、大人になり曲を聞き歌詞を知っていく中で「この歌詞にはどんなメッセージが込められているんだろう?」と深く興味を持ちました。

「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのはいやだ」

子ども向けのアニメとは思えないこんな難しい問いも歌われていて、自分への問いとしても大変考えさせられます。

※ 私の知る限りでは歌詞の意味には諸説あるようで、やなせたかしさんご本人も明確には答えられていないようですので、ここで歌詞の考察は控えさせて頂きます。

 

「それいけ!アンパンマン」は1話完結。これが見やすくて、今日はどんなキャラクターが出てくるんだろぅと毎回ワクワクしていたのを覚えていますし今でも楽しみです。だいたい流れはいつも一緒なんですけどいつもどぉなるんだろ?とドキドキさせられます。

いつも平凡に暮らしているアンパンマン(いつもパトロールしてる)と仲間たちですが、必ずあいつらがやってくるんです。「ハ~ヒフ~ヘホ~」といろんな悪巧みをしながらバイキンマンとドキンちゃんコンビ。敵キャラクターの中でも唯一毎回登場する2人です。

 

毎回違うキャラクターが登場し、見るものを楽しませてくれますがこれまた毎回違う方法で悪さをするバイキンマンとドキンちゃん。そんな2人の前にいつも絶妙過ぎるタイミング

アンパンマン

やめるんだバイキンマン

バイキンマン

出たなお邪魔虫

とお決まりのやり取りを交わしながら現れるアンパンマン。

少しやりあった後、基本的に顔が濡れるか汚れるかして一度やられかけて、絶体絶命のピンチ。そこでこれまた絶妙のタイミングでバタ子さんの登場。見事なストライク送球(バタ子さん何者?)で無事復活し、最後はお決まりの「アンパーンチ」「バイバイキーン」


子供たちはこの瞬間を待ちわび、歓喜し、その喜んでいる子供の顔を見て大人たちも笑顔になるのでしょう。


これがだいたいの流れで1回の放送で2話分放映されます。

しかし、私が一番伝えたいのは

「無償の愛!」

毎日みんなのためにパトロールをしバイキンマンをやっつけます。しかし忘れてはいけません。アンパンマンはお腹が空いている人がいたらほっとけません。一瞬も迷うことなく自らの顔をあげるんです。

 

すぐあげます。めっちゃあげます。

その度に新しい顔を焼くジャムおじさんのことを考えたことがあるんでしょうか?私なら「アンパンマン、マジええ加減にせぇよ」と愚痴の一つも言いたくなります
しかしいつもみんなを助けるアンパンマンの姿、アンパンマンに助けられた人々の喜ぶ顔を思い浮かべながら、笑顔で新しい顔を焼き続けるジャムおじさん。素敵すぎますね。

そんなジャムおじさんの力添えの中、困っている人に手を差し伸べ、決して見返りを求めることなく無償の愛を与える。それこそアンパンマンの魅力ではないでしょうか。

 

私たちであれば何かをする時にはついつい見返りを求めてしまいます。「優しくしてるんだから感謝してほしい」、「人に物をあげた時にはお返しがないと腹を立てる」、「電車で席を譲ったのにお礼の言葉もなかった」、などとやった行為に相当する何かを欲しがるのが私たち人間です。その心の中には「~してあげているのに」という自己中心的な気持ちがあります。

 

人を助ける時も自らの顔をあげる時も見返りを求めずただ一方的に救っていくアンパンマン。

「何があっても見捨てない。私に任せよ。」と一方的に働きかけ抱きとって下さる阿弥陀様のお心とよく似てますね。そんなことをアンパンマンを通じ感じながら、今日も子供と一緒にアンパンマンを見ています。

 

最後に娘の「アンキーック!」

 

筆者 立神 寿昭

『お寺でカープ観戦』に行ってみた!

今期のカープ…誠に残念でした。

今年こそは日本一を見せてくれるか!と願っていましたが、惜しくも日本シリーズで敗退。

とまぁ掲載するのが遅くなってしまい今更ではありますが、久しぶりの「お寺日和。」は、

備龍会会員の所属寺院である福山市崇興寺にて行われた「お寺でカープ観戦!」に行ってきました。

 



 

心躍らして崇興寺へ到着♪

 

駐車場へ車を停めて本堂へいくと

 

本堂前に置かれたホワイトボードにはこんな案内が‥

住職の本気度が伝わりますね(笑)

 

少し緊張しつつ本堂内へ入ってみると…

150インチの大型スクリーンに向かい沢山のカープファンが大応援!
本堂内にはブルーシートが敷かれ、各々飲食物を持ち込んで盛り上がっていました。
堂内の熱気が高まってくると飲み物が必ずこぼれるそうで、ブルーシートは必須とのことです。
ちなみにいずれは「レッドシートにしたい!」と密かに考えているそうです。


▼以前の新聞に掲載された写真を確認してみると、確かにこの飛び上がり方はこぼれますね(笑)

 

▲手作りでハンバーガーを作って持ってこられているご夫婦がおられました。いやぁ美味しそうです。

 

この宴会写真だけを見れば、ここがお寺の本堂だとは誰も思わないだろう…笑

来場者、また市内の料理屋さんからもお酒やお菓子の提供があって、手ぶらで来た人も自由に楽しめます。これで無料って…凄くない?!

私も提供されていたカープサイダーを頂きました。美味しぃぃいい!

 

 

点が入るとみんなで立ち上がって盛り上がります。これは楽しい!やっぱみんなで応援すると楽しい。

 

9回裏4対4…

思わず仏様に手を合わせるカープ男子…

 

 

この日は惜しくも負けてしまいましたが、試合が終わりみんなで笑顔でポーズ!

 

最後に御本尊へ向かい全員で合掌礼拝をして解散となりました。楽しい観戦会だったので、本当にあっという間の時間でした。



 

お寺の本堂でこういう行事を開催することに、もしかすると否定的な方もおられるのかもしれません。本堂は御本尊を安置して、お経を読んだり、法話を聞く場所であることは誰しもが分かっていることですからね。

今回どんな想いで開催しておられるのか?

崇興寺住職の枝廣慶樹氏に素直に聞いてみました。

↑↑カープ帽の似合う崇興寺の枝廣住職

「『お寺でカープ観戦!』は一昨年に始めたことで、これは私が考えたことでなくて、カープファンのご門徒さんからの提案でした。開催すれば怒られることもあるかと思いましたが、実際クレームなどは全くありませんでした。お寺に参って、仏様の教えを聞いて欲しいという願いがありますが、その前に『崇興寺を知って欲しい』『住職である私のことも知ってほしい』という思いがあります。何も知らないお寺に参ることはなかなかできませんからね。一緒にカープを応援すれば仲良くなれるんじゃないかっていう下心ですね(笑)この行事はお寺のすることではないのかもしれませんが、実際にこの行事が縁となって、他のお寺の行事に来てくださる方がおられました。本当に僅かなことですが、ご縁作りってこういうことじゃないかなと思っています。」

 

▼ご縁作りにお寺でヨガなども開催されています

枝廣住職は23歳で住職となって現在33歳。こういう取り組みができるのは若さ故の勢いなのかもしれませんね。日本一が決まるまで連日全試合を開催するんですから、決して楽なことではありません。翌日には法事などもあるわけで、毎日片づけてはまた設置、片づけてはまた設置、されるそうです。

住職は「いやー、慣れてきて日に日に準備片付けの時間も短くなっていますよ。明日も最短時間を更新してやりますよ!」

と謎に誇らしげに語っておられましたが、実際準備や片付けにかかる作業は大変なものだろうと思います。
しかし、私は「こんな風にお寺で楽しめる行事がもっとたくさん増えればいいなぁ」と率直に思いました。お寺にご縁のなかった人も参加したくなるような行事が増えたらいいなぁと。


帰り際、参加者にお話しを伺うと、
「楽しくて真面目な住職さんの人柄に惚れてます。バラエティに富んでいて何時間話してても飽きないんですよ。カープ観戦にしても始めは選手の名前もあまり知らなかったみたいなのに、『住職一緒に応援しよー』と言われて『いいですよー』と嫌な顔一つせずにやっちゃうんですから。とにかく行動力が半端ない方ですね。」
と話してくださいました。

なにやらこれからも何か面白いことをしてくれそうな予感がビンビンしてきました。

崇興寺と枝廣住職の今後をYo!!Check it out!!

崇興寺HP:https://soukouji.com/

「終わりのないいのち」ウルトラマン

以前、とある研修中、余談として興味深いお話を聞かせて頂いたことがあります。それは「ウルトラマンと浄土真宗」についてネット上に掲載されたある論文の簡略な紹介でした。その論文内容は、ウルトラマンの設定や物語と、浄土真宗という仏教に類似する点が多くあり、

「ウルトラマンには、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の思想がその背景にあるのでは!?」

「円谷英二氏には浄土思想の素養が!?」

といったもので、無論そこまで飛躍するのも問題が出てくるので、講師曰く「決して正しい説とは言えませんが面白いのであくまで余談として紹介します…」と前置きされた上でご紹介くださいました。

というわけで、当コラムも比較部分はあくまで余談としてご一読くだされば幸いです。


さてウルトラマンといえば、言わずと知れた円谷プロによる特撮ヒーローであり、現在でもTVで活躍中のアニメ・コミック・グッズ・ゲームなどで大人気のスーパー変身ヒーローです。この物語の基底にあるものは、怪獣といった敵に対して「♪光の国からぼくらのために♪※1」地球を「救済」しに正義の味方がやってくるというものです。

科学特捜隊のハヤタ隊員が調査飛行中、宇宙から飛来した謎の赤い光(ウルトラマン)と空中で激突し、死亡した正にその時、赤い光に包まれてウルトラマンとして再生したその瞬間、ハヤタ隊員の行為や意志に関係なくウルトラマンの方から一方的に「いのち」が与えられる… その後のハヤタ隊員=ウルトラマンの活躍はご承知の通りですね。

要するに、ウルトラマンによる人類に対する一方的な不思議な肩入れであり、ハヤタ隊員と縁あって「光の国」から来たウルトラマンが、勝手に怪獣や宇宙人と闘って人類を救済してくれるというわけです。

類似点をいくつか…、

≪ウルトラマン≫

①この物語には光の彼方から常に見守り身を賭して救済するという理想が横たわる

②ここでいう「光の国」とは地球から300万光年離れたM78星雲のこと

③ハヤタ隊員が死亡と同時にウルトラマンによりいのちが与えられ、そのまま人類の救済にはしる

※2

≪仏教≫

①仏教に説かれる物語は、苦しみにあえぐ生きとし生けるもの(衆生)を救済するために、仏さまが手を尽くし、そのうえ自らを犠牲にして衆生を救う。

②仏教における阿弥陀如来の西方極楽浄土も「光に満ち満ちた仏国土」といわれ、そこは十万億仏土を越え離れた西方と説かれ、さらには阿弥陀如来も「無量光仏」「無碍光如来」など様々な「光」で表現される  

③浄土真宗で示される所の往生即成仏、つまり「どなたであっても、この世の縁が尽きるとき浄土(光の国)に生まれ、同時に仏としてのいのちをめぐまれて、そのまま娑婆にかえり来て人々を教化(救済)する」

 

他にも「ウルトラサイン」なるものと仏教の「梵字」の酷似※3など、多くの類似点があるようですが、すべては紹介しきれないので興味のある方は文末の参考資料をお開きください。また、「類似」とは「イコール」では無いこともご承知ください。

以上いくつか類似点を挙げてみましたが、何より興味深いのは、そもそも地球人とは何の関係もない「光の国」から来たウルトラマンは、その後も、

ウルトラセブン → 帰ってきたウルトラマン → エース → タロウ → ~中略~ → ギンガ → フロンティア → ギンガS → X → オーブ → ゼロ → ジード → ルーブ・・・

と名を変え、すがたを変え、地球に現れては人類のためにいのちを賭して闘い続けるという所にあります。それは、容姿、形を変えながらも人類を救い続けるヒーローとして2018年現在も活躍を続ける(放映中)すがたです。

お念仏に出遇った人は、この世にあっては個別の名を持ちながらも、いのち尽きて往生するとき既に衆生を放っておけない阿弥陀さまと同等の仏さまというすがたをとってこの娑婆へ巧みに顕現なさいます。このすがたこそ「南無阿弥陀仏」というあらゆる功徳の備わった「名」のすがたです。まさにすがたを変えながらも必ず娑婆に還(かえ)りきて、絶えず我々へ教化のためにご苦労を重ね続けてくださる仏さまです。

 

私にとっての仏さまはどんなすがたなんでしょうか。
阿弥陀さまはお名乗り出た南無阿弥陀仏(お念仏)です。「南無阿弥陀仏」称える時、そこにはすでに自らも仏さまとなって生き続ける亡き祖父母や身近な人をはじめとした先達から、私への縁つなぎが完成されていたのでしょう。先立った人を想うとき、その人と私との関係は現在進行形で続いているのです。亡き人の仏さまとしての仕事はもう始まっていました。

 

過去ではなく現在も生き続ける「終わりのないいのち」、南無阿弥陀仏といいます。

 

筆者 那須 智雄

≪参考資料≫

※1 『ウルトラマンの歌』日本コロンビア
<作詞:東京一 作:宮内圀郎 歌:みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ>  

※2 『ウルトラマンに観る親鸞思想-「光の国」と「往相還相」』 レルネット <三宅善信氏>

※3 『マイ仏教』新潮新書 <みうらじゅん氏>

お寺でカープ観戦!

 

カープ優勝おめでとう!

そしてありがとう!

 

三連覇って…以前は「Aクラスに残ってCSに行けばワンチャンスも…」みたいに考えてたはず。こんな日常が来るなんて誰が想像していたでしょうかぁ\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

備後地方でもまさにカープ優勝の歓喜の渦真っただ中です。

今年こそは日本一!みんなで応援するぞー!って熱気が高まってますね。

そしてそこで新たな問題が…

 

 

 

 

みんなで応援する場所がなーい!!!

 

 

 

そうなんです。空前のカープ人気でチケットなんて手に入りません。カープ観戦会を行っている飲食店もどこもいっぱいで入れません。そしてほとんどの場所は家族連れではなかなか行きにくい…、でもみんなで応援したい…。

 

そんな問題に直面しているアナタ様へ朗報です!

 

 

 

備龍会会員のお寺で

お寺でCarp観戦!!

やってます!!

 

 

Carp観戦会を開催されるお寺は

福山市東川口町の崇興寺さんです。

 

 

 

崇興寺さんでは過去にもカープ観戦会を行っておられて、↑は一昨年前に開催されたときの様子です。

本堂が真っ赤なユニフォームで染まってますね(笑)

テレビや新聞などでも取り上げられて大変好評だったそうです。

 

 

以下は崇興寺さんのHPから拝借した文章です

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

今回もクライマックスシリーズファイナルステージ・日本シリーズ全日程開催します‼

本堂に150インチのスクリーンを設置して音響も観戦用にスピーカーをしっかり設置するので大迫力で観戦できます!地上波のみならずスカパーも用意していますので、全試合ノーカットで観戦できます!おそらく地上波の方が実況解説が面白いので、基本は地上波放送を流そうと思います(笑)

崇興寺では、場所の提供とお手洗いをお貸しすることぐらいしかできませんが、飲食物・アルコール類などは全て持ち込みOKですので、各自でお持ちよりください。前回はピザの宅配を頼まれた方も…。カープファン同士で御裾分けし合って頂ければ、幸いです。私は遠慮なく食べますよぉ!(笑)

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

 

これは楽しそうです!

家族連れで安心して参加できますね!

 

誰でも無料で参加できる観戦会ですから、カープを応援する場所のない皆さん、崇興寺さんで仏様と一緒に応援してみてはいかかでしょうか?

 

また、当ホームページの備後地域のお寺を巡る「お寺日和。」のコーナーでは、次回崇興寺さんの”カープ観戦”にお邪魔させていただく予定です。またレポートも覗いてみてください♪

 

●崇興寺とのお付き合いの有無を問いません
●試合開始時刻30分前から入場できます
●飲食物持ち込みOK.アルコール可.宅配可
●入場制限がかかる場合があります(50名程度)
●予約は受け付けておりません
●ゴミは全てお持ち帰り下さい
●寺院優先の為、急遽中止になる場合があります

 

崇興寺HP➡https://soukouji.com/

 

急遽中止や人数制限もあるとのことなので、一度お問い合わせをされた方がいいかもしれません。

家の誕生日

祖父の残したアルバムに昭和初期の頃からの写真が多く見つかり、それをきっかけに父から初めて聞いた話です。

それは、我が家では、父が子供のころ、家族の誕生日だけでなく、「家の誕生日」があって、家族の時と同様に祝っていたという話です。

これは、昭和初期の自坊の写真です。山門(鐘楼門)の後ろにかやぶき屋根の本堂があり、左には庫裏があります。

しかし、昭和15年に火事に見舞われます。

これがその時の写真です。山門、本堂は無事でしたが、庫裏が焼けて無くなっているのが分かります。

当時は、戦争中ということもあって、材料を揃えるのが困難で、すぐに再建するのは難しいのではないかと考えられました。

しかし、このままにはしておけないと、多くの方からの援助があったそうです。

大きな梁用の木材などは、ご門徒さん方の山から大木を切り出していただき、特に入手困難だった金属類は、伝手を頼って、福岡県の八幡製鉄所まで何日も掛けて往復して、1樽分もの釘を入手してくださいました。

そういった援助があって、翌年には庫裏が再建されたのです。

この写真は、戦後の写真ですが、左に見える2階建ての建物が再建された庫裏です。

ちなみに、山門にあった鐘楼は、昭和19年に国へ供出されたので、この写真では無くなっています。

 戦時中という厳しい状況の中、多くの方々からの援助があったお陰によって、立派な庫裏が再建することができたことへの感謝の気持ちから、私の曾祖母が始めたのが「家の誕生日」だったそうです。

残念なことに、いつの間にかこの「家の誕生日」を祝うことはなくなってしまいましたが、庫裏は改修を繰り返しながら今も建ち続けています。

今まで何も思わずに生活していた建物が、困難な時代に多くの方々からのお力のお陰によって建てることができた、とても有難い建物だったのだと知ることができた話でした。

当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないことに気づかされ、感謝を忘れずにより一層大事に生活していきたいです。

筆者 佐藤秀信

ひと夏のいのち

今年の夏、長男が保育所の友達からカブトムシを1匹譲り受け自宅で飼育することになり、急遽かごやエサなど一式の飼育グッズをそろえて我が家に迎えました。

初めてみる本物のカブトムシに興味津々の子どもたち。さっそく長男が「カブちゃん」とかわいらしい名前を付けてくれました。ですが最初は怖くて飼育かごに手を入れること、カブちゃんに触ることもできず、ただじーっと覗くだけ、掃除やエサの入れ替えは私や妻がしていました。しかし徐々に時間が経つにつれ、「僕がやる!」と、カブちゃんの世話をこどもたちが率先してしてくれるようになり、今では保育園から帰ってきたら「カブちゃんただいま!」、寝る前には「カブちゃんおやすみ!」と、家族のように大切に育ててくれています。

先日の夜、いつものようにエサの入れ替えをしていた長男が、「カブちゃんなんか元気ないね」と心配そうな声で話しているのが聞こえてきました。かごの中を覗いてみると、夜になるとかごの中を飛び回っていた最初の頃に比べると、たしかに元気がなく、動きが鈍くなっているように感じました。

カブトムシは、飼育環境や個体性別により多少の違いはあるそうですが、成虫になってから平均で2~3ヵ月の命だそうです。弱ってくると徐々に動きが鈍くなったり、エサを食べなくなる、よくひっくりかえってしまうなどの兆候がでてくるようです。

その晩の長男はなかなか寝付かず、
「カブちゃん大丈夫かなぁ、死んでないかなぁ」
「心配じゃけぇ、ちょっと見てくる」と、寝室からリビングに置いてある飼育かごを何度も確認していました。次の日の朝、起きたら真っ先に飼育かごのなかを覗き込み、「カブちゃん生きとる!」と、満面の笑顔で私に駆け寄ってきました。

5歳の長男がカブちゃんの世話をしながら何を感じどう思っているのかは、親である私にもすべてはわかりませんが、今のカブちゃんとの時間が、彼なりに限りあるいのちの尊さに触れる大切なご縁になっているのではないかと思います。

すべての物事は常に移り変わり、ひと時として同じ状態を保つことはできず、この世に生を受けたからにはいつかは死を迎えなければならない、私たちのいのちも同じです。明日あるかも分らぬいのち、今日という一日を大切に過ごし、多くのお支えのなかで生かされていることに感謝することこそ、いのちの尊さに気づかせていただくことであろうと思います。

このコラムを書かせていただいている8月下旬、今日の夜も子どもたちがカブちゃんにあげる昆虫ゼリーの色で喧嘩しながらではありますが、きっちり世話をしてくれています。たとえひと夏の短いいのちだとしても、精一杯生きるカブちゃんとの時間を子どもたちと一緒に大切に過ごしていきたいと思います。

筆者 米沢 友樹

備後弁伝道ポスター作りました!

仏教の教えや人生訓などを伝えるお寺の掲示板が各地で注目を集めています。SNSでは「輝け!お寺の掲示板大賞」という取り組みまで始まっています。

この度、備龍会においても

「温もりあるご法義が身近な言葉で伝わるように」

との思いから、馴染みのある備後の方言を使ってポスターを制作いたしました。

ポスターは、備後の魅力ある景色を背景にして、下部に言葉の解説を入れています。
A2サイズで「縦置のもの3種類」「横置のもの3種類」の「6枚1セット」となっております。

備後教務所にて1セット200円で販売しております。
また、郵送を希望される方は送料として400円が別途必要(振り込み手数料購入者負担)となります。
郵送をご希望の方はお問い合わせください。

お寺の掲示板をきっかけに、寺院と仏教に関心をもってもらえる一助になると嬉しいです!

 

「こらえとる以上に こらえてもろぉとったのぉ」

 

「悲のにゃぁところに 阿弥陀はたたん」

 

「いぬるところがあるけぇ はぁ 安心じゃ」

 

「言葉にできん悲しみがある じゃけぇ人は泣くんじゃろ」

 

「いつでも こけぇ おってくださる」 

 

「まぁ そがに はぶてんさんな」

 

以上の6種類となります。こちらの画像につきましては、ご自由にお使いください。

まずもって、先般の豪雨災害に被災された皆様に衷心より哀悼の意を表します。

豪雨の最中、テレビから伝えられる知らせに恐れを覚え、また日が経ち、少しずつ伝わってくる近在の被害状況、マスメディアを通じて知らされる遠くの甚大な被害の様子にただただ驚くと同時に、お亡くなりになられた方々の知らせに胸を痛めたことです。

 

私の住む町も多くのお宅が床下、床上浸水に見舞われ、水が引いた翌朝から多くの方が屋外に荷物を運び出され、町内をレッカー車がひっきりなしに出入りし、災害ごみの集積所となった町内の公園には畳や建具、家具、家電製品と様々なものが山のように積まれていきました。

まさに非日常の光景です。

そんな中で人々の関わり合いもいつもとは異なる様子となりました。

 

町内に以前は田んぼが広がる地域がありました。近年田んぼを止められる方が増え、代わりに新しい家が立ち並び、小さいながらもある種、新興住宅地のような雰囲気があります。

その辺りはどことなく人と人との関わりが希薄なように感じます。

“子供同士が同級生”とか、“昔からの顔なじみ”など、特別な縁がないとご近所さんとも疎遠で、挨拶しても会釈で済ますようなことも多く、表札を上げていなかったら、お隣さんのお名前もお向かいさんのお名前も存じ上げないが、それが当たり前、平素はそんな様子です。

 

しかし、この度の災害に遭い、みんなが復旧を目指し動き始めますと、多くの方が互いに声を掛け、労い合い、時に協力し合って作業を進めているのです。

「大変でしたね。お宅は大丈夫でしたか」

「うちは床上まで水が来て畳が浸かってしまい、知人に聞くと匂いが取れないからと買い替えをすすめられました。お宅は大丈夫でしたか?」

「うちは床上まで水は来なかったのですが、床下に水が入り込んでしまい、水が溜まったままの状態です。家財道具などに問題はないのですが、どうやらこのままにしておくと床下が菌の温床になるそうで、どうやって抜いたらいいか頭を抱えているのです」

 

すると、中には、

「重たいものを運ぶのなら手伝いましょうか」

「排水ポンプがありますからよろしかったらお貸し致しましょうか」

なんて言葉が飛び交い、

「ありがとう」「助かりました」

という声が聞こえるようになったのです。

 

何故、苗字も知らず、挨拶も会釈で済ませる間柄が、突然にもお互いを気にかけ、助け合い礼を言い合う仲になったのでしょうか。それはお互いの事情を知ったからだと思うのです。

口見舞いを通じ、今まで知り得なかったこと、例えば、

「子供も小さく、親元が遠く、親戚も近所にいなくて…」

と聞けば

「大人の手が足りていないのでは…」

と察しますし、

「水を抜く道具がなくて困っているのか」

と知り、手前に道具があるなら

「お困りならばお貸ししましょうか」

となった。

知らなければ気にも留めないし、手を差し伸べることもなかった。けれども、お互いの事情を知ったから、助け合い、礼を言う間柄になったのでしょう。

私たちはお互いの事を知る事で少しやさしくなれるのかも知れません。

 

7年前、2011年の末、京都の清水寺さんで発表されたその一年を表す漢字は“絆”でありました。

東日本大震災や台風、大雨被害など、大規模な災害を経験する中、望まずとも突然に家族や仲間と死別の別れを迎えられたり、普段は頻繁に連絡をとる事のない縁故の方の安否を気にして連絡をとったり、また平素お付き合いも希薄な者同士が不安な日々を過ごす中、お互いに助け合い、気遣い合う経験を通じて、改めて身近な方々との“絆”の大切さに気付くきっかけとなったと。

 

この度、私自身もその渦中において改めて“絆”の生み出す温もりというものに気付かされたように思います。

 

しかし、辞書を引いてみますと、“絆”という言葉には“人と人との結びつき、支え合い、助け合い”という意図とは異なる意味があることを知りました。

牛や馬などの家畜につないである綱のことも“絆”と言うそうです。牛の鼻に輪をつけて、そこに紐を結び付けて、引っ張って行く、その綱を“絆”と言うのです。転じて、生き物を引っ張ってくれるもの、導いてくれるものという意味なのだそうです。

 

浄土真宗の御本尊は阿弥陀仏です。阿弥陀仏は五劫思惟、兆載永劫のご修行をなされた仏様です。

劫とは古代インドの時間の単位で、極めて長い、途方もない時間を示します。

その時間は阿弥陀仏の“あなたを必ず仏に成らせる”という救いの完全性をあらわすと同時にご苦労をあらわしておられます。

何のご苦労でしょうか。それはこの私を知り抜く為に掛けて下さったご苦労ではないでしょうか。

 

先にも申した通り、私たちはお互いの事を知ることでやさしくなれるように思います。しかし、どれだけ思慮を重ね、配慮しても必ずしも相手の思いに添える訳ではなく、何なら“よかれと思って…”が他人を傷つけてしまうこともあります。

何故なら、“私たちは同じことが起きてもその時その時で味わい方が異なるから”ではないでしょうか。

単純な話、空腹時に食べ物を頂けば嬉しいですが、満腹時に食べ物を頂いても、お気持ちこそ嬉しくても空腹時のようには喜べません。何なら、それがその場で頂かなければならないような品であれば時として迷惑に感じることもあるでしょう。

また、“一人一人、趣味趣向が異なるので、誰もが同じことを喜ぶわけではない”ということも原因でしょう。

甘いものがお好きな方であれば甘いものを頂けば喜ばれますが、苦手な方なら時としては辛いこともある。

残念ながら、私たちがどれだけ苦心しても必ず相手の思いに沿うことができるわけではない、とどのつまりは自分の物差しで相手の気持ちをおもんばかるのが精一杯なのです。

そして、苦しければ苦しいほどに、“誰も私の事を分かってくれない”“誰にも私の事は分かる訳がない”と塞ぎ込んでしまうのが私のように思います。言うならば、“差し出された手すら敵意のように見える”、絆を断ち切ることでしか自己を守れない、そんな時だってあるのです。

そんな私を目当てとされた阿弥陀仏だから、途方もない時間をかけて私を知り抜く必要があったのでしょう。

阿弥陀仏は私の命を問題とされた仏様です。“おもんばかって、結果どうだか分からない”では話にならないのです。

望まぬ出来事も避けて通る事が出来ず、あてにしているものが脆くも崩れるこの世を生きていく上で、どのような事があろうと変わらぬ“あなたを必ず仏に成らせる”という救いを示し、辛く苦しい時、“神も仏もあるものか”とすら思う私をも見捨てることなく、目当てとし、導かんとはたらき続けておられるのが阿弥陀仏です。

 

人と人とのつながり、支え合う“絆”の大切さに気付かされ、また、どのようなことがあっても変わらず私を支え導く“絆”についても考えさせて頂いた事です。

 

皆様は今、どのような“絆”に支えられ、導かれていらっしゃいますか?

筆者 石川 知全