第1回「やさしく学ぶ浄土真宗」レポート

〝浄土真宗のみ教えを分かりやすく学べる場がもっともっと増えてほしい〟

そんな思いから立ち上がった企画、「やさしく学ぶ浄土真宗」の第1回が3月2日に福山市市民参画センターで開催されました。

「参加者があるんだろうか?」

そんな主催側の心配も他所に、予想を大きく上回る参加人数で会場は満席となりました。

講題は「生死(の迷い)を超える」です。

玉木先生はまずお釈迦様のご誕生から味わっていかれました。
お釈迦様は誕生後すぐに7歩歩まられたとお聞かせいただいておりますが、なぜ6歩でなく8歩でもなく7歩だったのか?
そこに「六道輪廻」という迷いの状態をお示しになられます。

①地獄・・・苦しみのきわまった世界。
②餓鬼・・・飢餓に悩まされる世界。
③畜生・・・人に養われて生きているもの。
④修羅・・・絶えず対立し闘争するもの。
⑤人
⑥天・・・人界より素晴らしい世界で、衆生が受ける最高の生存。

仏教ではこれらすべては迷いの悪い状態だと考えます。玉木先生はこれらの世界を私たちの日常での出来事に重ねて例えていかれ、

「人として生かさせていただいている私たちですが、同時に六道の状態にいるともいえるでしょう」

とお示しくださいました。お釈迦様の7歩の意味は、その六道を超えていく7の道と考えていく、仏教は六道を超える教えなんだということを最初に聞かせていただきました。

お話しの中にはユーモアを取り入れられて、参加者は興味をそそられます。

例えば先生がご用意くださった資料の中で、「腹」という字が横に寝てます。

玉木先生「このように日頃から心がけてます!」

「なんだろう?」と参加者が顔を見合わせる中、

玉木先生腹を立てず!ということです」

とご解説をいただくと会場の参加者も思わずニンマリ♪
しかし腹が立ってしまうのが私たちで、それも煩悩という苦しみの姿なんですね。

開催が3月2日ということもあり、ひな祭りのイラストを付けられているところも和みます。

他にも掲示伝道におススメの言葉をご紹介してくださったり、終始興味深く参加者を飽きさせない色々な工夫が施されていました。

その後も、六道という悪い状態・迷いの中にある私たちの姿、そしてその私を、親が子を心配するように、心配で心配で見ておられる阿弥陀様のお心を丁寧に丁寧にお話しくださいました。

先生には本当にやさしく優しく易しく語っていただきました。次の講義が待ち遠しいです♪

次回、第2回は5月25日(木)となっております。
どうぞ皆さま有縁の方々お誘い合わせのうえ、共々に親鸞聖人の浄土真宗について、やさしく学ばせていただきましょう!

脳のクセがすごい!

最近、脳科学者である池谷裕二氏の著作『自分では気づかない、ココロの盲点【完全版】~本当の自分を知る練習問題80』を読みました。

私と同郷(岡山県井原市芳井町)のお笑いコンビ千鳥のノブのツッコミに「クセがすごい!」というのがありますが、この本は私たちが知らず知らずのうちに持っている脳のクセを、クイズ形式で解説したものです。この脳のクセは「認知バイアス」と呼ばれ、無意識のうちに勘違いや、判断ミスを引き起こします。その本には私たちが日ごろ気づかない80もの脳のクセが紹介されていました。

私が特にこのクセすごいな、深いなと思ったのは、こういう問題でした。


ネズミを飼育する時に通常は餌を皿に入れ好きな時に食べられる状態にしています。

しかし、レバーを押すと餌が出てくる仕掛けに変えても、ネズミはすぐに学習して上手にレバーを押して、餌を食べるようになるそうです。

そこで、一つは皿に入った餌、もう一つはレバーを押して出る餌、どちらも同じ餌で用意します。さて、どちらの餌を選ぶネズミが多いでしょうか?

①    皿に入った餌

②    レバーを押して出る餌


(娘に実験の図を描いてもらいました)


 

私は当然①かと思っていましたが、なんと答えは②「レバーを押して出る餌」だったのです。

不思議なことに、皿から餌を自由に食べられるにも関わらず、わざわざレバーを押すのです。

しかもこれは、ネズミだけではないのです。イヌ・サル・トリ・サカナに至るまで動物界にほぼ共通して見られる現象らしいです。なんと人間もだそうです。同様の実験を、就学前の幼児に対して行うとほぼ100%の確率でレバーを押し、大学生でも5割は押すというのです!目の前にあるにも関わらず!

これは何を意味しているのかというと、この結果は「労働の価値」に結びつくというのです。つまり、苦労せずに得られる皿の餌よりも、労働をして得る餌のほうが価値が高いということをあらわすのです。

始めから得られた贅沢三昧、ゆうゆう自適な生活より、コツコツと地道に働いて得ていく小さな幸せの積み重ねこそ、充実した幸せと感じるといえるのでしょう。

確かに、単純にお金が降ってきて大金持ちになって働かずにすむ幸せを私たちは望みがちですが、本当はそれはなかなか納得いかないのかもしれません。むしろ、そこに「今まで頑張ってきた行いの結果だ」とか、「日ごろの心根が良かったからな」など、後付けででも、それが獲られた原因を自分の中に作り出して、自分で納得していくのが私たちの有様なのかもしれません。

「働かざる者食うべからず」という諺がありますが、これは人間を含めた動物自体が、本来その脳に備えた根深い悩のクセだったようです。

これはネズミをばかにすることはできませんね。私もそうです。ご褒美という成果を求めること自体に幸せを感じていて、日々「努力をすれば、手に入る」と期待せずにはおられないところがあるのでしょう。

逆に「ネズミの目の前にある皿に入った餌」のように、今現在自分にすでに届けられてあるもの、向けられているもの、与えられているものに目がいきにくいということもあるのかもしれません。

あなたはどんな脳のクセを持っていますか?皆さん、自分が行動していると思っていたら、実は脳のクセが私をそうさせているのかもしれませんよ。

仏さまのお話を聞くということは、本当の自分に出会うこと、と聞かせていただいたことがあります。備龍会では「やさしく学ぶ浄土真宗」という仏教入門講座を開いています。

自分では知ることができない自分のまことの姿を、脳のクセも含め私の丸ごとを見通された仏さまのお心に聞いていくことが大切なのです。皆さんもご一緒に聞いていきませんか?


(おまけ)
なんと餌の実験で、これまで調べられた中で唯一、皿の餌をそのまま食べた動物がいるそうです。
それは飼いネコだそうです!

飼いネコのみ、徹底的な現実主義なのか、レバー押しに精を出すことはありません。

ただひたすらに餌を食す。格好良いような。単に食いしんぼうなのでは。それはそれで問題のような…。

筆者 佐藤 知水