分からない事は恥ずかしいこと?

あけましておめでとうございます。2017年も備龍会は色々と活動していきますので、どうぞ皆様よろしくお願い申し上げます。

さて、先日『知ってるつもり、わかっているつもり、できているつもり、は豊かさを失う』という言葉を聞き、大変共感しました。

ある事について私は全て分かっている、できている、と思った時点でその事に対する問いが出て来なくなります。するとその事に対する新しい知識や感性がもう育っていかないことになってしまうのでしょう。

例えば法話では当たり前のように『南無阿弥陀仏はお呼び声だ』と表現します。そんなことは分かっていると思っている人にとっては、これを聞いても別に何の疑問も出てきません。
しかし、素直に分からないと思う人は、何故南無阿弥陀仏がお呼び声になるの?呼び声ってどうゆうこと?誰が誰を何と呼んでいるの?南無阿弥陀仏ってそもそも何?等々、色んな問いが出てきます。そして、その問いを大切にしていくことによって、よりものの見方や味わいが深まっていくのだと思うのです。普段当たり前のように聞き流している事もよくよく味わってみれば、もっと豊かな世界が広がっているのかもしれません。

分からない事は恥ずかしいと思ってしまいます。しかし、分かっていると思っている方が恥ずかしいことなのかもしれません。やればやるほど自分の未熟さが見え、問いが生まれ、そして、その道の達人たちのすごさが身に染みてゆくのだと思います。もー分かった、できた、と思った時点で試合終了なのです!

私はジャズピアニストの上原ひろみさんのファンです。

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いつか一生に一度でいいから上原ひろみさんのような演奏ができたらいーなーと思うのです。そんな事を夢見ながらピアノの練習をしたり、レッスンを受けたりするのですが、やればやるほど、上原ひろみさんの凄さが明らかになってきて、これは私には到底たどり着けない境地だと凹みます。また、この弾き方はどうなっているのだろうと今までなかった問いも生まれてきます。ジャズピアノをやってない時は、もしかしたらある程度練習すれば同じような事ができるのではないか、と思っていましたが、とんでもない事でした。おそらく私がピアノの練習を重ねていく程に、上原さんと私の差が明らかになって益々凹み、分からない事も沢山出てくるのだと思います。しかし凹めば凹む程に、くしくも上原さんの演奏が心にしみてくるのです!!あー悔しいけど、嬉しい!!

やはり、その道を歩めば歩む程、自分の未熟さ、達人たちのすごさが明らかになっていくのでしょうね。どんな道でもそうなのではないでしょうか。

親鸞聖人というお方こそ、仏道を歩めば歩む程、仏には程遠いご自身の身を知らされ、それと同時に仏様の広大な御心を知らされて人生を歩まれた、豊かなお方だったのではないかと思います。

一年の初めに皆様も、分かったつもり、できたつもり、知ってるつもりになっていないか自問自答をしてみたらいかがでしょうか?その先に豊かな世界が広がっているかもしれません!

私は今年は分からない事は素直に、恥ずかしがらず、遠慮せず聞いてみる事にしてみます。

筆者 伊川大慶