同じ方を向いて

はじめまして、この度エッセイを書かせていただく那須と申します。

福山市在住で、普段は宗教関係学校である高校の教員として学校に勤めています。最初は業務に追われ、毎日が忙しなく過ぎていきましたが、そんな生活にも少しずつ慣れていき、もうすぐ教員生活も3年が経とうとしています。

元気盛りな生徒たちには手を焼くことも多く、1日が終わったころにはクタクタになっています(笑)しかし、彼らは教員として、人としてまだまだ未熟な私に常に大切なことを教えてくれます。

 

大学を出て教員になったばかりの頃、私は「生徒の気持ちがわかる先生になろう!わしも若いし、生徒の気持ちはわかってやれるじゃろう!」と思っていました。気分は金八先生ですね。

しかし、実際に生徒の前に立ち話や、時には指導をする中で全く自分の思い通りにならず、

「なんでわしの言う通り動いてくれんのんじゃ!!!」

と愚痴を吐いている自分がいました。

その後、時間をかけて彼らとの接し方を1人ずつ考え、少しずつ距離を縮めていくなかで彼らの表情が変わってきました。よく笑うようになり気持ちも吐き出してくれるようになりました。逆に私も気が楽になり、想いを伝えやすくなりました。

 

こうしたことを繰り返す中で

「相手と理解し合おうとすることも戦い」

なんだと気づかされました。

よく「聞き上手が一番モテる」という言葉を聞きますが、思えばそれは決して楽なことではなく、相手が誰であれ心の扉を開くために必要なことをあれこれ考え、時には勇気を出して一歩踏み込む、そんな戦いがあるのだなと実感させられました。

自分が正しくて「あいつが悪い」とつい自分勝手に相手のせいにしてしまう、そんな私たちに、仏教は真実の教えを聞くことの大切さを説きます。
どこまでも自分中心の心にしばられた私に気づかされるのです。

「人間 みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪」

そんなことにならないように、教員として、僧侶として、そして人として日々精進して参ります。

 

筆者:那須英裕