婆伽梵(バカボン)

『天才バカボン』の作者である赤塚不二夫さんは富山県の出身で浄土真宗のご門徒さんなのだそうです。北陸地方は、昔から北陸門徒と呼ばれ、浄土真宗の盛んな土地柄です。浄土真宗が盛んであるということは、浄土真宗の特徴であるお寺に参り、教えを聞くことを大切にされていた環境で育っていかれたということです。幼き頃よりお寺でお話を聞かれていたのでしょう。

代表作である『天才バカボン』の「バカボン」という名称は仏教のお話に出てきます。古来、仏さまをそのお徳から様々な呼び名で呼んできました。目覚めた方である仏陀(ブッダ)、世を超えた尊い方である世尊、釈迦族の出身であるお釈迦さま、など・・・。
その一つにインドの言葉(梵語)で「バガバット」、中国に伝えられ「婆伽婆」「婆伽梵」などと音をとって漢字に翻訳される言葉があります。意味としては、「大きな徳を成就された方」、または「煩悩を破られた方」などをあらわします。ですから『天才バカボン』の「バカボン」は、元々は仏さまを褒め讃えた言葉なのです。

『天才バカボン』の主人公は、破天荒なバカボンのパパであり、口癖は「これでいいのだ」というセリフが有名です。単なる変わり者であり、開き直った口癖のように思いますが、世間の常識を悉く壊していく所にストーリーの面白さがあるように思います。

仏教の教えも同じように世間の常識を打ち壊していく中で新しい仏教的価値観をその人の中に生み出していきます。あらゆる煩悩のとらわれから解放されていくことが仏教の教えの根本ですが、バカボンのパパのような生き方は、まさに何事にもとらわれることない解放された常識を超えた新たな価値観があります。私たちもそのように生きることができれば楽しいとは思いますが、現実はそれぞれの境遇があり、立場があるので自由自在には生きることはできません。その中で私はバカボンのパパの生き方を見ながら、自分にももっと何か出来るのではないかと新たに挑戦するヒントと勇気をもらっています。

『天才バカボン』には、バカボンのパパを代表として、バカボン、バカボンのママ、はじめちゃん、ウナギイヌ、レレレのおじさんなど個性あふれる人物が登場します。レレレのおじさんも実際にお釈迦様のお弟子であったチューダパンタカ(周梨槃特)がモデルであると言われています。物忘れのひどいチューダパンタカはホウキをもって「塵を払い、垢を除こう」と毎日の掃除を通して仏道を大成していきます。それぞれの個性を個性として認め、輝いていける仏教の世界を赤塚不二夫さんは私たちに問い掛けているのではないでしょうか。

筆者 苅屋光影