“お聴聞(ちょうもん)のすすめ”~阿弥陀様に彩られた日常生活~

この世界には2種類の人間しかいません。それは阿弥陀様という仏様に関心がある方とない方です。そして多くの方が阿弥陀様に関心がありません。なぜかというと、自らの日常生活と接点がないからです。

阿弥陀様という仏様のお話を聞くことを、お聴聞(ちょうもん)といいます。浄土真宗ではこのお聴聞をとても大切に致します。ですので僧侶である私はお聴聞をすすめます。けれども以前あるご門徒の方から「阿弥陀様の話は日常生活とあまりにもかけ離れた話だから、阿弥陀様の話よりも防災の話や健康の話のようなもっと日常の生活に役立つ話を聞きたい。」と言われた事があります。また別の方から「世間的に有名な方をお招きして、色々お話を聞かせてもらいたい」と言われた事もあります。やはり皆さん仏様のお話よりも、そういったお話の方が関心がおありなのかもしれません。僧侶としては寂しい事ですが(苦笑)

確かに阿弥陀様のお話は一見日常生活とはかけ離れた話のように聞こえるかもしれません。けれども不思議な事に最初のうちはよく分からなくても阿弥陀様のお話を聞いていると、次第に私の日常生活に阿弥陀様が現れ出てくださるようになるのです。別の表現をするならば私の日常生活が「阿弥陀様に彩られた日常生活」へと変化していくのです。

お経には、「阿弥陀様という仏様は私のためにとても綺麗な光り輝く世界であるお浄土という世界を建立して下さった」と説かれてあります。最初のうちはそんなことを聞いても「だからどうした」「ばかじゃなかろうか」ぐらいにしか思いません。けれどもその事をずっと聞いているとその事が私の生活の中にひょこっと顔を出してくるのです。

お寺の境内で草むしりをしていた時のことです。ただただ、「しんどいなぁ」「めんどくさいなぁ」と思いながら草むしりをしていたのですが、そのときふと「阿弥陀様もこうやってしんどい思いをしながら、私のために綺麗な光り輝くお浄土を建立してくださったのかなぁ」と思えてきて、なんだか有難くなったことがあります。本当に不思議なことです。

お寺の境内を掃除する事と、お浄土を建立する事では全くスケールの違う話であります。しかしながら自分が掃除をすることを通して、「私が今感じているしんどさとは比べ物にならないぐらいのしんどい思いをして、私のためにとても綺麗で光り輝く世界であるお浄土を建立してくださったのか」と思えてくると、掃除をする事はしんどいことではあるけれども、そのしんどさの中に有難さを感じるのです。

また、お経には「阿弥陀様は元々ある国の王様で在られたけれども、私のために王様の地位や名声や権力を全て捨てて出家なさってご修行されて仏様になられた」と説かれてあります。最初のうちはそんなことを聞いても「だからどうした」「ばかじゃなかろうか」ぐらいにしか思いません。けれどもその事をずっと聞いているとふとした時に私の生活の中にその事がひょこっと顔を出してくるのです。

つい先日サウジアラビアのサルマン国王様が日本にお越しになられ、大きなニュースとなりました。報道によればサルマン国王様は1千人を超える王族の方や企業幹部の方を伴い来日されたようです。そのため日本へは40機の飛行機で来られ、また国内移動用に高級車が400台以上用意され、さらには東京の高級ホテルを1200室以上抑えられたそうです。さすが王様です。スケールが違いすぎます(笑)私もニュースを観ていたら、たくさんの報道陣が待ち構える中、王様専用機で来日された国王様を皇太子さまがお出迎えに上がられているシーンが流れていました。

そんなシーンを観ながら「王様ってすげーな!」と率直に感じましたが、ふと「阿弥陀様も元々王様だったって事は、こんな感じだったのか。でも私一人のためにこれを全部捨てて出家なさったのか!!」と思えてきて、なんとももったいない思いがしたのです。本当に不思議なことです。

サルマン国王様は経済などの話し合いのために来日されたのだと思いますが、私には「あなたのために阿弥陀様はこれだけの王様の権力を投げ捨てたのだぞ。王様としての地位や権力や財力よりもなによりもあなた一人が大切だと仰る仏様なのだぞ」という事をテレビを通して伝えるために来日してくださったように思え、なんとも有難く思えたのでありました。

本当に不思議なことでありますが、初めは私の日常生活とはかけ離れ何の意味もないと思っていたはずの阿弥陀様が、お聴聞をしているといつの間にか私の日常生活のいたるところにあらわれでてくださって私の日常生活は「阿弥陀様に彩られた日常生活」に変わっていくのです。この「阿弥陀様に彩られた日常生活」は「阿弥陀様をいたるところで喜ぶことができる日常生活」なのです。そしてそのような生活を送ることができる人生を歩めるのは誠に有難いことであります。

誰しも生きているといろんなご縁に出会っていかなければなりません。辛い事にも、悲しい事にもたくさん出会っていかなければならないかもしれません。けれどもどのようなご縁であってもその事を通して仏様を仰いでいくことができるならば、全て尊いご縁だったなぁと乗り越えていくことができるのかもしれません。

防災のお話や、健康のお話、また著名な方のサクセスストーリーを聞く事も有意義な事であり大切な事だと思います。けれどもお聴聞をすることもなかなかいいもんです。一つ一つの事柄が変わって見えてきます。世界が変わります。この世界は私のためにご苦労して下さった仏様のお慈悲で満ち溢れています。すごいです。やばいです。まじで。

お聴聞おすすめです。

 

筆者 枝廣 大智