新型肺炎コロナウィルスの感染拡大により、未だに、三密になり得る場所への外出が難しい状況が続いています。会場となる本願寺備後教堂では、想定人数のご参加があった場合、十分な対策を講じることが出来ません。誠に残念ながら、開催予定でありました第15回「やさしく学ぶ正信偈」講座を、この度も中止することに決定を致しました。

第15回 10月15日(木)   中止

今年度開催予定の全5回、度々の中止のお知らせで、開催を楽しみにご予定を空けていただいていた皆様には大変申し訳ありませんが、これ以上の感染拡大を防ぎ、人命、健康を守る観点からご理解の程、何卒宜しくお願い申しあげます。

尚、来年の開催につきましては、新型肺炎コロナウィルスの状況を踏まえて検討をしていく予定です。開催の有無につきましては、ホームページ又はフェイスブックにてお知らせ致します。

戦国最強武将!初代福山城城主水野勝成

備後教堂を出て、福山城を背に陸橋沿いを歩くと、備後教堂駐車場があります。その途中にある公園の隣に大きなお墓があります。このお墓は、初代福山城城主、水野勝成のお墓です。

水野勝成のお墓

水野勝成という人物。福山市在住の方でも、よそから来て福山を発展させた、じみ~な殿様?という感覚でしょう。実は徳川家康の22歳年下のいとこにして、2代将軍徳川秀忠とは乳母兄弟。全国各地の合戦に出陣し次々と手柄を立てるものの、ある時は父の家臣を斬ってしまい追放、そしてまた次の戦場で手柄を立てては、もめ事を起こして逃亡…と、血の気の多い逸話と戦働きから、「鬼日向(おにひゅうが)」・「倫魁不羈(りんかいふき)」(あまりにも凄すぎて誰も縛ることが出来ない)と呼ばれ、コアな歴史ファンからは戦国最強武将といわれています。それでいて晩年は、中国地方唯一の譜代大名福山藩主として、10万石でありながら、実質30万石と言われる豊かな土地へと発展させていった治世の名君でもあります。今回はその生涯を紹介していこうと思います。

※歴史の解釈は諸説あるのでご了承ください。

① 16歳にして討ち取った数、〇〇人!?

勝成は永禄7年(1564年)、三河国で水野忠重の長男として生まれ、母親は、なんと本願寺11代門主顕如上人の妹君、妙舜尼さまだそうです。
初陣は1581年16歳の時。織田家家臣として武田家との高天神城合戦。同年、第二次高天神城合戦の出陣では敵を討ち取る働きをしています。その数なんと15人!これには第六天魔王こと信長様もさぞご満悦だったのでしょう。鬼人のごとき働きを見せた16歳の少年に感状(領地安堵の確約や戦働きを褒められたお手紙)を贈っておられます。その翌年、本能寺の変が起こります。

② キレて父親の重臣を手にかける!?

本能寺の変の後は徳川家康に帰参。北条家との黒駒合戦では一番槍。小牧・長久手では秀吉軍を相手に、兜をかぶらず出陣。父に怒鳴られながらも一番槍と首級を挙げる手柄を立てます。
そんな勝成ですが、父の忠重とはうまくいかなかったようです。父親の家臣が勝成の素行を報告したことでその家臣を斬殺。追放と奉公構(他家への仕官禁止)まで出されてしまいます。勝成21歳。若い頃に「うつけもの」と呼ばれた信長のようですが、それを上回る、まさに倫魁不羈という人物ですね。

③ 自分を求めて諸国放浪の旅と姫谷焼職人という道

奉公構を出されたものの、水野勝成の武勇は全国に轟いていました。まず秀吉の配下となり、四国征伐では仙石秀久、九州では国人一揆鎮圧などで、佐々成正や黒田官兵衛、立花宗茂、小西行長、加藤清正、備中でも三村家に仕え、その都度手柄をたてます。しかし、すぐに出奔してしまうのです。その放浪の旅は家康に許されるまで15年にも及びます。
西日本各地には出奔動機や出奔後のさまざまな伝説が残っています。姫谷焼職人として姫谷焼を焼いていたとも、虚無僧になっていたとも。また主君の配下を斬ったとも。 

姫谷焼窯跡

④ 実は勝成、謀略家でもあります

勝成36歳の時、秀吉が死亡すると家康に再接近。家康のとりなしにより15年ぶりに父と和解します。と、その直後の翌年。父忠重が石田三成の配下、加賀井重望によって暗殺され、急遽水野家を継ぐこととなったのです。
復讐に燃える勝成、関ケ原の合戦。徳川陣の真後ろにある大垣城を攻める大役目を与えられます。この大垣城、二の丸・三の丸には九州武将が多く守備しており、勝成はその武将を次々と寝返らせ、大垣城を数日のうちに落城させます。同時に父を暗殺した加賀井重望の息子、弥八郎を討ち、かたき討ちも果たしたといわれています。

⑤ 勝成52歳大坂の陣。戦を知る武将として大和方面軍先鋒大将を任される!

1615年大坂夏の陣、すでに50歳を超える勝成ですが、戦国最後の合戦にも息子と参戦し、夏の陣では大和口方面の先鋒大将を任されます。勝成のことをよく知る家康は、
「大将は絶対に前線へ出てはならない。絶対だぞ」
という命令をしたにもかかわらず、それを無視して後藤又兵衛軍に突撃。大坂の陣道明寺合戦が始まります。勝成は自ら一番槍をあげ、後藤又兵衛を撃破、第2陣の橙武者薄田兼相を討ち取り、真田幸村など大阪方主力軍と対峙します。ここで決戦だと勝成が意気込んでいたところ、伊達政宗に3度諫められて兵を撤収させました。翌日の最終決戦では、真田幸村に襲われた徳川本陣へいち早く駆け付け、真田軍を壊滅。続いて明石全登を討ち取り、勝成自身も2つの首級を挙げています。

⑥ 戦国最後の大戦を大将として見届け(自分も槍をふるう)、福山藩主として名君主となる

1619年、ついに勝成は備後福山藩主となります。転封に際し、神辺城から新たに福山城を築城。武家諸法度で築城が禁じられた中、唯一築城が許された最後のお城であり、600m²の土地に、京都伏見城の伏見櫓など20を超える櫓、5層6階を超える、10万石のお城としては破格のサイズであります。
春日池や服部大池を建造して、瀬戸内海や芦田川などの水道網、城下町を整備し、藩の産業を興して福山市の礎を築いていきました。

伏見櫓

⑦ 1638年(大坂の陣より23年後)水野勝成74歳、子や孫に囲まれて…

天草の乱鎮圧に向かいます。
幕府から本州で唯一出陣要請を受け、長男俊勝、孫の俊貞とともに兵を率い、3代将軍徳川家光の命で、老中の相談役という、実質総大将と同格扱いで請われます。島原に到着すると、同日さっそく軍議を開始。その軍議で100日も兵糧攻めをしていたことを知り、今こそ好機とすぐに総攻撃をするよう一喝し攻撃を開始します。さすがに勝成は最後列でしたが、息子の俊勝は本丸一番乗りを果たします。この天草の乱鎮圧後、ついに勝成は隠居となりました。

⑧ 人間50年

信長49歳、秀吉61歳、家康でも75歳。勝成は88歳まで長生きしています。しかも87歳に37mの距離で鉄砲を撃って当てた的が残っています 。「諸人驚目也」と書いてあります。もし水野勝成が、多くの戦の中、一歩でも間違えて討ち取られていたら今の備後地方は大きく変わっていたでしょう。それにしても、城主として家臣にとても慕われ、領民にも愛されていた福山初代藩主が、戦国最強と呼ばれる武将とは思いもしませんでした。
時には歴史に思いを馳せるのもいいものですね。

水野勝成の銅像

参考
歴史秘話ヒストリア「戦国ラストサムライ 絶対曲げない水野勝成」
国立国会図書館データベース「史籍集覧、第十六集 水野日向守勝成覚書」
Wikipedia

執筆者 椙俊道

2020(令和2)年度 備龍会Web総会

6月23日(火)に備龍会総会を開催しました。今回は、新型肺炎コロナウィルスの感染防止対策として、Zoomを用いたWeb会議を導入いたしました。執行部と監査委員の7名は備後教堂に集合し、会員参加者22名は自宅から総会に臨みました。

Web総会の様子

総会は、ご本尊への合掌礼拝から始まり、会長挨拶の後、議題(8項目)についての審議に入りました。

総会資料

行事報告では、予定していた行事の半分近くが中止になったことが報告され、コロナウィルスの影響を大きく受けた年度報告となりました。また、重要議題である行事計画(案)と2020年(令和2)年度予算(案)については、案通りに可決され、行使されることに決定をいたしました。

今回の総会では、退会会員4名と新入会員1名の報告があり、各会員がWebをとおして挨拶を行いました。最後には各専門部(研修部、交流活動推進部、広報部、野球部、みのり煎餅、災害対策、浄土真宗青年僧侶連絡協議会)からの報告があり、特に研修部からは、「やさしく学ぶ正信偈」講座の7月開催の是非についての問題提起がなされ、その結果中止と決定いたしました。

各会員:自宅からのリモート参加

初めての試みであり、不安のなか行われたWeb総会でしたが、トラブルもなく想像以上に円滑に進めることができました。Web会議は、災害などの非常時にも有用であり、この経験は今後の備龍会にとって大きな財産となりました。

会長:閉式の辞

お仏壇がある家(ご門徒のお仏壇にお参りして)

家という漢字はウカンムリ(屋根)の下に豕(猪・豚)がいるという象形文字です。「善人ばかりの家は争いが絶えない」という格言を寺院の掲示板でよく見かけますが、正義だって豬のように「猪突猛進に、真っ直ぐ」追求したら、他と衝突も多いことでしょう。

その猪を家畜化した「豚」は俗に仏教でいう愚癡(おろかさ)のシンボルとされ、凡夫の「分かった」と返事は良くても同じミスを繰り返すような理解の欠如。真理に反発・反抗する気持ちなども含め、根源的な暗さに例えられる動物です。この豬や豚の心を「豕心」と書いて「貪欲で無恥な心」を意味しますので、一つ屋根(家・社会)の下に恥知らずな欲張り心をもつものが住んでおり、同じ方向どころか各々に違った方向を向いてブーブー言いながら生きている。そんな解釈もできるのが「家」という字です。

浄土真宗の先人方は、お仏壇を「御内仏(おないぶつ)」と呼んで、単なる置物や箱ではない、家のなかの仏さまとして大切にしてこられました。その仏様(阿弥陀様)をお迎えする法要を浄土真宗では入仏式と言います。それは決して仏様に魂を入れる儀式ではなく、仏様をご本尊としてお迎えしたことを慶び、そのお徳を讃える法要です。また、その法要を「おわたまし」とも言います。それは、いのちの拠り所となる柱(尊い方・仏)が我が家に御渡りになられたという意味です。コロナで「STAY HOME」と叫ばれ、家で不安・不満の日々を送りがちな今だからこそ、家族ひとりひとりが偉いものになる畜生の心を増長させず、お仏壇の前に謙虚に座して、仏の大悲に親しく密接な一日を送っていただきたいと思います。

そんなわけで今回のコラムは「家のお仏壇」に関する体験や写真を三点ほど紹介させていただきますので、お付き合いください。

1.法要のオンライン化

コロナで非常事態宣言が出された四月某日、ご門徒さんの家で「法事のライブ中継」というご縁にあいました。もしもの感染リスクを考えて帰省を自粛、家にはお母さんと年若い夫婦と子供だけでしたが、「今日はスマートフォンで法事の様子を送ってもいいですか?オンラインでライブ中継しようかと思いまして」との事。家の方はスマホをかまえて、もう片方の手には経本とお念珠を持ちながらでしたが、法要のみならず御文章・ご法話から合掌礼拝まで、離れたところにいる方もリアルタイムにご一緒してくださいました。

終了後すぐに、「岡山の妹が礼を言っています」「広島にいる息子は法事の様子をTVに映して、子供たちと手を合わせたようです」と、写真(右上)を見せてもらいました。家の人たちも「こうゆう法事もいいですね」と喜んでくださり、私自身も有難さを一入に感じました。オンラインの是非はともかく浄土真宗は聞法教団ですから、いわゆる聖地の巡礼や参拝などを重要視したり、法要儀式だけを優先している宗教ではありません。どれだけ時代が進んでハードウェア(形や儀式)が変化しても、お仏壇の中身・本質にあるものに一人一人が遇うことが大切なことだと、あらためて感じるご縁でありました。

2.受け継がれてきたもの

そういった時代の変化もありますが、お仏壇の周りには古いものが何十年も変わらずに残っていることもあります。その枚挙に暇はありませんが、古い御文章をはじめ、仏教に関する珍しい額や軸、早世した父が自筆されたという「明日ありと思う心のあだ桜」の文字などを見つけて、家の方と盛り上がることもしばしばです。どの家にも歴史・背景があり、世代をこえた思い、痕跡が偲ばれます。その一例にこんな影像を見かけることがあります。

本尊の右側に恵信尼様(あるいは玉日姫)らしき女性が、親鸞聖人らしき僧侶と並び座している一幅の御影です。数は少ないですが、地域をとわず、本尊の右隣りに安置されている姿をお見掛けします。浄土真宗の本尊は阿弥陀如来一仏で、御脇掛は親鸞聖人、蓮如上人の御影もしくは九字、十字名号をお掛けして、このほかの絵像やお札の類を置いてはいけない、と昔から伝えられてきましたので、お取次ぎの寺や本山がご下付したものではないでしょう。
親鸞聖人の妻は口伝鈔に恵信尼の名が伝わってはいても、観音の化現たる玉日の伝説や作り話の類がきわめて多く、『恵信尼消息』を発見された鷲尾教導師が
「芝居かかった唱導者の手際で、明治大正の今日まで愚夫愚婦の俗信に合致して玉日の墓とやら、その木像とやらを拝ませて、玉日講などといふ様な結社まで出来て、其勢力侮るべからざるものがある。」
と述べておられるので、おそらくそういった時代に作られて流布されたものではないか、と私は推測しています。しかしそれでも恵信尼様を慕って、当時の家の方が長く大切に伝わるように御内仏に掛けられたのだろうと思います。

3.仏壇に造花はダメ

このように正式のものではないから仏壇に入れちゃダメ!と四角四面に言うつもりはありませんが、それでも声を大にして言いたいことがあります。

ある家でのお参り後、お茶を頂きながら談笑しているときに、ロウソクの灯が花にうつり、その炎が大きく燃え上がる事件に遭遇したことがあります。家の人とあわてて消そうとしますが、ぜんぜん消えずに、炎はさらに大きく燃え広がっていきます。よく注視してみれば、造花の花(石油由来製品)ではないですか!仕方なく花瓶ごと抱えて縁側の外に運びましたが、途中でボタボタと黒い汁が火のついたまま下に落ちるのです。なんとか事なきをえましたが、本当に心臓に悪い出来事でした。

今までもロウソクと花瓶の位置が近くて、葉や花が焦げたりすることはありましたし、仏壇周辺に線香や落ちても燃えないように配慮されたものを使っているご家庭も多いので、そう簡単に仏壇から火事になるケースは少ないだろうと常々思っていましたが、それを覆してしまう出火原因の一端を見たような気分でした。危ないから仏壇に「ロウソクの火を使わない、使わせない」という議論もありますが、その前に造花のような異常に燃えやすいものを置かないように注意しないといけません。

今後のために当時の門徒宅での状況をメモしました。参考までに

  1. ロウソクの炎と花は約2~3cm離れていました(接触していないのに燃えた)
  2. 点燭後30~40分たってから、花に燃え移る(地震や風なども無し)
  3. 仏壇が異常に明るくなるほどの炎。(約1分で花の1.5倍程度の炎になった)
  4. 造花は燃えたあと黒い汁となって、下にボタボタと落ちる。あるいは黒く縮んでいくが瓶や床など他のものに付着して更に燃え続けた。
  5. 上写真の検証で使用した造花は、ポリエステル・ポリエチレン製のもの。

以上、ご門徒宅のお仏壇で体験したことを紹介させていただきました。コロナウィルスの影響で家にいる時間が長くなっている方も多いと思います。これを機会に、阿弥陀様のお心に触れながら、お仏壇の掃除をしてみるのもいいかもしれませんね。

コラム資料:諸橋轍次著『大漢和辞典』、鷲尾教導著『親鸞の室玉日の研究』、大阪教区イラスト素材集

執筆者 藤井迎朋

中央仏教学院 創立100周年を迎える

今回は、2020年に創立100年を迎える浄土真宗本願寺派の宗門校である中央仏教学院について取り上げてみたいと思います。

西本願寺のお坊さんといえば「龍谷大学」出身者が多い中、この中央仏教学院でお坊さんになった方もたくさんおられます。ちなみに私もその一人ですが、私の場合、仏教とは直接関係のない大学に進み、卒業期を迎えて進路に迷っていたところ、ある住職のひと言がご縁となりました。私の祖母の従弟 故・豊浦順海住職(比婆組円光寺)の一言です。

「あんた中仏へ行きんさい」

入学するきっかけはこの一言に尽きるのですが、今になって考えれば「この道を行けよ、この道を行けよ」と仏道を勧めてくださったお釈迦様の発遣と重なるものがあります。豊浦先生にはその後もお世話になることになり、憧れの先輩であるとともに、今でも感謝する人の一人です。

中央仏教学院へ入学する人の大半が、なんらかの出来事、どなたかの進言によって入学されていました。例えば私の親友の一人は、たまたま結婚する相手がお寺の後継ぎ娘だったこと(このパターンが結構多い。きっかけがきっかけだけにやたらと頑張る)。もともと門信徒の方で所属の住職に勧めてもらって勉強に来た人。そして外国から浄土真宗の魅力に魅かれて入学した人(その後ネパール開教地カトマンズ本願寺の初代開教事務所長となるソナムさんもその一人で、昼休憩によくバレーボールをして遊んだ)等。あの時、もしも別の道を歩んでいたら・・今の私はありません。それぞれが、それぞれのご縁をいただいて集まった人たちです。

中央仏教学院には、通学制の本科、研究科、予科と、京都から離れた地域でも浄土真宗が学べる通信教育部とがあります。最大の魅力は年齢幅がすごいことです。若い方は18歳から年配は90歳くらいの人が一緒になって浄土真宗を学びます。そのせいか、講師陣や職員は皆温かく、大きな家族みたいな雰囲気がありました。善導大師のお言葉「広開浄土門(誰に対しても浄土の道は開かれている)」の精神でしょうか。入学手続きと試験はありますが、学院の扉は入門を求める者たちに広く開かれていました。

中央仏教学院の本堂(法要の様子)

大正9年に本願寺境内で開校され、移転の後、現在の京都市右京区に校舎を構え、数多くの方に浄土真宗のみ教えを広め受け継がれてきました。私が入学したのは2001年。すでに新校舎となり、新しい寮が設けられていました。人生を180度方向転換し、「仏門に入る!」ということで、かなりの覚悟で入学、入寮したのですが、大体そういう意思が長続きしない私です。生活に慣れ、仲間ができるにつれて、元通りの体たらくな自分がしっかり顔をのぞかせました。しかし振り返れば、善き師の進言により浄土真宗を学ぶご縁をいただいたこと、寮のおかげで規則正しい生活と善き先輩と学友にであえたことが、私にとってその後の人生において大きな宝物になりました。

2001年は、たまたま創立80周年記念法要が勤まる年でした。ご門主様ご臨席の記念法要の導師を勤めた学生。それが私です(これが言いたかった!)。指導講師には、「ご門主様以外全員野菜だと思え」と緊張をほぐしてもらいました。

その中央仏教学院が、今年創立100周年を迎えます。
「学びの窓から新たな未来へ For the future」
素晴らしい学び舎が、これからも浄土真宗を相続していく人々を多く輩出されることを念じております。

執筆者 藤井晃宣

2020年「やさしく学ぶ正信偈」講座のご案内

本年も「やさしく学ぶ正信偈」講座を開講いたします!

親鸞聖人は「浄土真宗の教え(南無阿弥陀仏のおはたらき)に出遇ったならば、むなしい時を過ごしていく人はいない」と仰られています。その浄土真宗の教えが凝縮されているのが、「正信偈」です。

本年も玉木興慈先生(龍谷大学教授)が、時間をかけて丁寧に分かりやすく解説してくださいます。初めて仏法に触れる方、ご門徒の方、寺院関係の方、また、途中からの参加に迷われている方も、どの回から参加されても聞きやすく教えを味わうことのできる講座となっております。
「正信偈」を通して、浄土真宗の教えを〝やさしく×楽しく×有り難く〟ご一緒に学ばさせていただきましょう!!

尚、本年より下記の時間で開催を致します。
各回  14:30 ~ 17:00 (受付14:00~)

※新型肺炎コロナウィルス感染拡大に伴い、「やさしく学ぶ正信偈」講座の以下の日程を中止に致します。

第11回 4月9日(木)      中止
第12回 5月14日(木)   中止
第13回 7月9日(木)      中止
第14回 9月10日(木)     中止
第15回 10月15日(木) 中止

ご予定を空けていただいた皆様には、大変申し訳ありませんが、感染拡大を防ぎ、人命、健康を守る観点からご理解の程、何卒宜しくお願い申しあげます。


日時

第11回      4月  9日(木) 中止
第12回      5月 14日(木) 中止
第13回      7月  9日(木) 中止
第14回      9月 10日(木) 中止
第15回 10月 15日(木) 中止
各回  14:30 ~ 17:00 (受付 14:00 ~)
※休憩を間に取ります 

場所

本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

講師

玉木 興慈  先生(龍谷大学教授) 

対象

どなたでも(申し込み不要)

参加費

各回2,000円

お問合せ

電話  : 084-924-5759
MAIL :  dragonjournalonweb@gmail.com 

仏教教養講座『歴史に学ぶ浄土真宗の安心-三業惑乱-』

去る2月17日、本願寺備後教堂にて備龍会主催『仏教教養講座』を開催いたしました。この講座は広く一般の方に仏教に触れてもらいたいという願いのもと、年に1回開かれている公開講座です。本年度は奈良県より三浦真証先生をお招きして「歴史に学ぶ浄土真宗の安心~三業惑乱~」と題して、ご講義を頂きました。
三業惑乱とは江戸時代に起こった教義論争であり、この三業惑乱を通して、「浄土真宗の信心」についてお話を頂きました(※三業惑乱の概要については本文最後に記載)。講義の内容はここではすべてをお伝えすることができないほど、充実したものでした。ですので、印象に残った点を2点ほどお伝えさせていただきたいと思います。

三浦真証 先生

まず1点目は、「浄土真宗の歴史を学ぶという事は、自分を問題にするという事が大切である」という事です。先生は「ただ過去にあったこととして歴史を学ぶのではなく、自分の事として歴史を学ばなければ、浄土真宗の歴史を学ぶ意味はない」と教えてくださいました。ただの歴史の知識として蓄えるのではなく、その場に自分を置いて考えるということが非常に重要なことだと思いました。先生は「セカイノオワリ」というアーティストの「ドラゴンナイト」という歌の

”人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない。だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね”

という歌詞を紹介され、正義を握りしめるところに争いがあると、ご講義をくださいました。「過去に三業惑乱という争いがあったんだなぁ」というのではなく、その事を通して「私自身も正義を握りしめて、他を傷つけているのではないだろうか」という視点を持つことを忘れてはならないと思いました。      

そして2点目は、「浄土真宗の信心は無条件のすくいにただおまかせするばかり」という事です。浄土真宗の信心というものは、阿弥陀様を信じて、お願いするのではない。「そのままお浄土へ迎えとりたい」と私にすでに願いをかけて、はたらきかけて下さっている阿弥陀様に「そのままおまかせする」のが浄土真宗の信心であると、懇切丁寧に教えて下さいました。さらに現代社会を「総強迫性社会」と表現してくださり、現代社会は「○○でなければならない」という強迫社会であり、そのような現代であるからこそ一切の条件をつけられずそのままの私を、そのまま認めてくださる阿弥陀様のお慈悲は大きな救いになると力強くご講義くださいました。

今回は『三業惑乱』という少し専門的なテーマではありましたが、非常にかみ砕いて、ユーモアを交えてお話くださいましたので、はじめての方でも大変聞きやすいご講義だったように思います。講座終了後、お参りの方々が「わかりやすい話でした」「とてもおもしろい内容でした」と口々に仰ってくださっていたのが、なにより嬉しかったです。

当日はたくさんのお参りを頂き誠に有難うございました。また三浦先生におかれましては、ご多用のところ備後の地までお越しいただき、貴重なご講義を下さり、大変有難く存じます。備龍会会員一同御礼申し上げます。

※三業惑乱とは…江戸時代中期に浄土真宗本願寺派内で教義をめぐって発生した大規模な論争。本願寺派第6代能化(学僧のトップ)功存の教義理解を第7代能化智洞が広めたことにより、惑乱が起こる。この論争は全国を巻き込む日本最大の教学論争になるが、最終的に地方広島の学僧大瀛が正す形で終息するこれを機に本願寺派は、教学理解をとても大切にする教団になっていく。

浄青僧 本山総参拝2020

1月28日(火)、備龍会は総勢11名で浄土真宗青年僧侶連絡協議会(以下:浄青僧)本山総参拝に参加しました。浄青僧とは、全国にある浄土真宗本願寺派の青年僧侶団体が一堂に会し、様々な研修を行い、親睦を深める組織です。半日という短い時間でしたが、内容は大変濃いものでした。その様子を少しレポートします。

備龍会会員

まずは、本願寺の御影堂にて開会式が行われました。開会式にはご門主様もご臨席くださり、次世代を担う青年僧侶への期待のお言葉を述べてくださいました。そして、最後に主催教区である春秋会(安芸教区)会長のご挨拶があり、開会式が閉じられました。

御影堂での開会式

その後、会場を安穏殿(本願寺境内の建物)に移し、今回のテーマ「ブッダスケール ~子どもたちの願い・仏さまの願い~」のもと研修会が始まりました。

研修会

研修会の最初は、春秋会会員によるワークショップ。内容は、一枚の簡単な迷路が渡され、それを利き手とは逆の手で行うといったものです。しかし、ただするだけでなく、その間スタッフからは「早くやりなさい!」「なんで出来ないの!」などの容赦ない言葉が浴びせかけられます。冗談と分かっていても、その言葉にプレッシャーを感じ、迷路を上手にすることができないのです。それが終わると再び新しい迷路が配られ、同じように利き手とは逆の手で行っていきます。しかし、今度はさっきとは違い、スタッフから「上手だね」「すごいね」などの優しい言葉がかけられるのです。すると、全く違う心持で迷路をすることができました。同じ迷路をするのでも、掛けられる言葉によって心理状態が大きく変わることを実感しました。親が子供に掛ける言葉も、大人が思っている以上に、子供に大きな影響を与えていることを知る体験となりました。

ワークショップ

続いて、今回の研修のメインである白石正久先生(龍谷大学教授)によるご講義がありました。先生は、糸賀一雄先生(日本で初めて知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設された人)の活動やお言葉を通して、「子どもたちの願い」について分かりやすくご講義してくださいました。

そのなかでとても印象的だったのが、「すべての子どもは、より良く生きようとするたたかいのなかにある、そのことに共感していくことが大切である」というお言葉です。発達には個人差があります。けれども、大人はその発達に「早い」「遅い」などの評価を与えてしまいます。しかし、すべての子どもは、必死により良く生きようと願いたたかっているのです。そのことを知って共感していくことを「発達的共感」と言い、この共感の世界が形成されることが大切であると教えていただきました。

そして、最後に白石先生と花岡静人先生(本願寺派布教使)との対談がありました。「阿弥陀様の分け隔てなく救う」というお心を通して、多様性が尊重される社会の実現のために、僧侶自身が常に問題意識をもって寺院活動を行っていくことが大切であると聞かせていただきました。

白石正久先生
花岡静人先生

夜には、懇親会がありました。ここでは、「久しぶり!」「元気しとるん?」などの言葉が飛び交い、友人との久々の再会を喜ぶ声が聞こえていました。また、普段会うことのない他教区の僧侶と様々な意見交換をし、多くの刺激と学びを得る場となりました。

この度の浄青僧本山総参拝で学んだことを、備龍会の活動に繋げていきたいと思います。安芸教区春秋会の皆様、大変お世話になりました。誠に有り難うございました。   

ラーメンと仏教

国民食という言葉を知っているでしょうか?その国で広く親しまれている料理を指す言葉です。国民食には大きく二つの種類があります。一つはその国で考案され生まれた料理、もう一つは他の国で生まれて持ち込まれた外来の料理です。この外来の国民食の代表格、それがラーメンです。ラーメンは中国で生まれた麺類ですが、もはや説明することが野暮なほどに日本人の生活に根付き、日本人のソウルフードとなっているものです。そして、ラーメン好きの私は気づいたのです。ラーメンと仏教の共通点の多さを!
 
仏教とラーメンの共通点は極めて多いのですが、ここでは3つを挙げておきましょう。
 
一つ目の共通点は、外来であるのにも関わらず日本を象徴するものであることです。とある旅行サイトを見ると、外国人に人気の観光地トップ10の中に、東大寺、三十三間堂、高野山奥之院、金閣寺の4つの仏教寺院がランクインしています。日本らしいものを観たい外国人はお寺へ行き仏教に触れているのです。外来であるはずの仏教は今や日本を象徴するものになっています。そして外国人が好きな日本食ランキングでは不動の寿司に次いでラーメンが選ばれています。ラーメンはその美味しさで外国人を魅了するとともに、日本食として完全に定着しているのです。ラーメンの日本における文化的地位はもはや仏教と同一のものと言ってよいでしょう。
 
二つ目の共通点は、懐の深さ、すそ野の広さです。仏教には8万4千種の経典があると言われ、その膨大な智慧の集合体を仏教と呼んでいます。仏教の中には多種多様な信教思想が混在し、それに伴って多くの教団、宗派、一派があり、玄妙な教義を各々に確立しています。仏教という大枠の中にありながら、様々な教えが数多く存在し合っている広義な宗教です。つまり、仏教において信仰を問われたならば「あなたの仏教はどんな仏教?」の問いが必要になってくるのです。
同じように、ラーメンほど多種多様な料理も他には存在しません。仮にあなたが「ラーメンを食べに行こう」と誘われたとしましょう。するとあなたは「どんなラーメン?」と聞き返すでしょう。このような料理は他にはないのです。ラーメンは麺、スープ、具材その全てか細かくカテゴライズされ、その細微な違いによって全く別の料理になってしまうのです。こってり系とあっさり系においては、もはや好む人種は全く違うと言えるでしょう。寿司、お好み焼き、カレー、そば、など他の国民食にそのようなことは断じて起こりえません。ラーメンの奥深さはもはや仏教と同一視せざるをえない、私は勝手にそう思うのです。
 
そして最後に三つ目の共通点、それはどちらも人を幸せにするものであることです。仏様のご利益を一言で言うならば「抜苦与楽」でしょう。苦しみから解放し楽を与えて下さる教えです。全く同じではないが、ラーメンにもそれに近い要素があります。一口食べたその瞬間、私の細胞の隅々まで行き渡り、私の全てを包み込み、私にこの上ない至福を与えてくれるのです。
 
最後に、カップヌードルで有名な日清食品の創業者安藤百福氏は「人類は麺類である」という名言を残しています。その言葉の真意は今になっては誰も伺い知る事はできませんが、私はラーメンの深みと私の本質を見抜いた真言であると思っています。ラーメンを食べるたびに仏教に想いを馳せ、それと同時に己の至らなさを知らされます。何が言いたいかと言いますと、太り気味の私はラーメンを食べ過ぎないようにしたいということです。ラーメンは太りますからね。

枝廣会員おすすめ「極鶏」のラーメン in 京都

執筆者 枝廣慶樹

 

仏教教養講座「歴史に学ぶ浄土真宗の安心-三業惑乱-」のご案内

年に一度、備龍会が開催している参加費無料の仏教教養講座!
今年度は「歴史に学ぶ浄土真宗の安心  -三業惑乱(さんごうわくらん)-」と題し、三浦真証(みうら しんしょう)先生にご講義をいただきます。

と、言っても多くの方が「三業惑乱って何?」と思われるのではないでしょうか。

三業惑乱とは、江戸時代中期に浄土真宗本願寺派内で教義をめぐって発生した大規模な論争です。本願寺派第6代能化(学僧のトップ)功存の教学理解を第7代能化智洞が広めたことにより惑乱が起こります。この論争は全国を巻きこむ日本最大の教学論争に発展していきますが、最終的に地方広島の学僧大瀛(だいえい)が正す形で終息します。本願寺派は、このことが一つのきっかけとなり、教学理解をとても大切にする教団となっていくのです。

今回の講座は、その大きな出来事を通して、浄土真宗の教えを分かりやすく、三浦真証先生にご講義をいただきます。

初めてお寺に参られる方も大歓迎です。
皆様お友達などお誘い合わせのうえ、ご参加ください。


日時

令和2年2月17日(月)
13:30~17:00

場所

本願寺備後教堂(広島県福山市東町2丁目4-5 ℡084-924-5759)

参加費

無料 ※門徒・僧侶問わずどなたでもお越しいただけます。

講師

1981年生。龍谷大学大学院卒。龍谷大学にて博士(文学)を取得。その後、龍谷大学・京都女子大学で非常勤講師を勤めると共に、浄土真宗本願寺派総合研究所研究員として『浄土真宗聖典全書』の編集に携わる。現在は自坊(奈良県光明寺)で法務と子育てのかたわら、真宗研究に励む。本願寺派輔教、布教使。
著書『真宗教学の歴史を貫くもの―江戸時代の三大法論入門―』(仏教教育出版/響流書房[電子版])、『本願寺宗主の向学―写字台文庫を中心にして―』(龍谷大学図書館、共著)の他、「『教行信証』伝授の一試論」(『真宗学』140号/2019年)など論文多数。

日程

13:00 受付
13:30 開会式
13:50 講義開始
16:50 閉会式  
17:00 終了

浄土真宗本願寺派 備後教区 青年僧侶の会=備龍会のウェブサイトです。