備龍会 のすべての投稿

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脳のクセがすごい!

最近、脳科学者である池谷裕二氏の著作『自分では気づかない、ココロの盲点【完全版】~本当の自分を知る練習問題80』を読みました。

私と同郷(岡山県井原市芳井町)のお笑いコンビ千鳥のノブのツッコミに「クセがすごい!」というのがありますが、この本は私たちが知らず知らずのうちに持っている脳のクセを、クイズ形式で解説したものです。この脳のクセは「認知バイアス」と呼ばれ、無意識のうちに勘違いや、判断ミスを引き起こします。その本には私たちが日ごろ気づかない80もの脳のクセが紹介されていました。

私が特にこのクセすごいな、深いなと思ったのは、こういう問題でした。


ネズミを飼育する時に通常は餌を皿に入れ好きな時に食べられる状態にしています。

しかし、レバーを押すと餌が出てくる仕掛けに変えても、ネズミはすぐに学習して上手にレバーを押して、餌を食べるようになるそうです。

そこで、一つは皿に入った餌、もう一つはレバーを押して出る餌、どちらも同じ餌で用意します。さて、どちらの餌を選ぶネズミが多いでしょうか?

①    皿に入った餌

②    レバーを押して出る餌


(娘に実験の図を描いてもらいました)


 

私は当然①かと思っていましたが、なんと答えは②「レバーを押して出る餌」だったのです。

不思議なことに、皿から餌を自由に食べられるにも関わらず、わざわざレバーを押すのです。

しかもこれは、ネズミだけではないのです。イヌ・サル・トリ・サカナに至るまで動物界にほぼ共通して見られる現象らしいです。なんと人間もだそうです。同様の実験を、就学前の幼児に対して行うとほぼ100%の確率でレバーを押し、大学生でも5割は押すというのです!目の前にあるにも関わらず!

これは何を意味しているのかというと、この結果は「労働の価値」に結びつくというのです。つまり、苦労せずに得られる皿の餌よりも、労働をして得る餌のほうが価値が高いということをあらわすのです。

始めから得られた贅沢三昧、ゆうゆう自適な生活より、コツコツと地道に働いて得ていく小さな幸せの積み重ねこそ、充実した幸せと感じるといえるのでしょう。

確かに、単純にお金が降ってきて大金持ちになって働かずにすむ幸せを私たちは望みがちですが、本当はそれはなかなか納得いかないのかもしれません。むしろ、そこに「今まで頑張ってきた行いの結果だ」とか、「日ごろの心根が良かったからな」など、後付けででも、それが獲られた原因を自分の中に作り出して、自分で納得していくのが私たちの有様なのかもしれません。

「働かざる者食うべからず」という諺がありますが、これは人間を含めた動物自体が、本来その脳に備えた根深い悩のクセだったようです。

これはネズミをばかにすることはできませんね。私もそうです。ご褒美という成果を求めること自体に幸せを感じていて、日々「努力をすれば、手に入る」と期待せずにはおられないところがあるのでしょう。

逆に「ネズミの目の前にある皿に入った餌」のように、今現在自分にすでに届けられてあるもの、向けられているもの、与えられているものに目がいきにくいということもあるのかもしれません。

あなたはどんな脳のクセを持っていますか?皆さん、自分が行動していると思っていたら、実は脳のクセが私をそうさせているのかもしれませんよ。

仏さまのお話を聞くということは、本当の自分に出会うこと、と聞かせていただいたことがあります。備龍会では「やさしく学ぶ浄土真宗」という仏教入門講座を開いています。

自分では知ることができない自分のまことの姿を、脳のクセも含め私の丸ごとを見通された仏さまのお心に聞いていくことが大切なのです。皆さんもご一緒に聞いていきませんか?


(おまけ)
なんと餌の実験で、これまで調べられた中で唯一、皿の餌をそのまま食べた動物がいるそうです。
それは飼いネコだそうです!

飼いネコのみ、徹底的な現実主義なのか、レバー押しに精を出すことはありません。

ただひたすらに餌を食す。格好良いような。単に食いしんぼうなのでは。それはそれで問題のような…。

筆者 佐藤 知水

 

『御絵伝解説~親鸞聖人九十年の御生涯』

先般2月13日に備龍会主催の仏教教養講座が開かれました。

今年も昨年に引き続き、大阪の宮部誓雅先生にお越しいただき、親鸞聖人九十年の御生涯が描かれた『御絵伝』を、プロジェクターを用いて分かりやすく解説していただきました。

昨年は四幅ある御絵伝のうち第一幅のみの講座でしたが、今回残りの三幅の中から特に重要な場面をピックアップして、最後まで解説していただきました。

いつもは一回の研修会につき一幅でお話されることが多いようなので、相当無茶な依頼だったと思います。限りある時間の中で丁寧にまとめてくださった宮部先生には本当に感謝です。
お蔭で御絵伝の全体像を把握させていただく、大変よい機縁となりました。

このように実際に御絵伝の場面を大きくしての解説、本当に見やすく分かりやすいです。

スライドの良さは言葉を聞きながら目でも多くの情報を得ることができることです。濃密な時間で、会場にいる皆がぐっと場面に集中している感じが伝わってきました。
スライドを用いての解説の後には、御絵伝の場面に先生が味合われるみ教えを御法話してくださる時間もありました。
御絵伝も日々研究が進み新しい発見などもあるそうです。
親鸞聖人が御流罪になられた背景や、山伏弁円さんとの出会いの意味など、引き込まれるお話をたくさんしていただきました。

今回宮部先生のお話を聞かせていただき、今後『御絵伝』を「自分たちでももっと学ばせていただきたい」という思いが強くなりました。

また、お掛け軸として皆で見て敬えるようにした『御絵伝』は、当時としては画期的な伝道方法であったのでしょう。

私たち青年僧侶が現代社会において親鸞聖人のみ教えを広く伝えていくためには、このように新たな視聴覚伝道について研究していく必要もあると思います。
今回の研修は私たちにとって新たな取り組みの可能性を考えさせられる大変有意義な時間となりました。

浄青僧全国大会 in 築地本願寺。

備龍会が加盟する「浄土真宗青年僧侶連絡協議会」の第25回全国大会が東京築地本願寺で開催されました。

大谷光淳ご門主様ご臨席のもと、開会式が始まり、「宗祖讃仰作法(音楽法要)」が勤まりました。

築地本願寺には立派なパイプオルガンが常設されており、多彩な音色に雅楽と声明が調和して、美しいハーモニーを奏でます。

大会のテーマは「浄土真宗だからできること~僕らの時寺問題2017~」

研修は釈 徹宗先生をコーディネーターにパネルディスカッション形式で行われ、先ず「夜回り先生」として有名な水谷 修先生より問題提起がなされました。

現代社会において多くの悩みを抱える若者たちと深く関わり続けて来られた水谷先生から発せられたのは、数限りない若者たちの苦悩の現状、湧きおこる問題、そこに光を射す事の出来る仏教(お寺)の可能性。それらの提起に、満井秀城・紫藤常昭・脇谷暁融先生がそれぞれ専門とする立場からディスカッションされました。

会場内には、『ダキシメルオモイ』展が併催され、小林憲明さんの作品が展示されました。

麻布に油彩で描かれた作品は、適度に透明感があり、空間に自然と溶け込んでいくようです。

東北の震災以降、福島の親子を中心に描き続けている小林さんは、子供を守りたい、安心して暮らしたい、そんなごくあたりまえがあたりまえでなくなった世の中で

〝ダキシメルオモイ〟

子を抱きしめる親の姿にオモイを込めて描き繋いでいきたいとお話しくださいました。
夜は懇親会にて親睦を深め、それぞれの地で頑張る同じ青年僧侶の姿に元気をもらいました。
有意義な研修が、大きな糧となるように精進してまいります。
東京教区青年僧侶協議会のみなさま、準備等々お疲れ様でした。本当に有難うございました。


おまけ

せっかくの築地ということで、旅のだいご味、会員それぞれ食べ歩きしてましたので紹介してみます。
築地本願寺へお参りの際には、ぜひお立ち寄りの参考に。

「ラーメン井上」
ここは外せないと多くの会員が立ち寄りました。あっさりで朝からでも食べられます。

「きつねやのホルモン丼」
築地本願寺お朝事の帰りに朝7時から食べました。さすがに胃にもたれましたがまことに美味です。

「月島もんじゃ」
研修終わってみんなで食べに行きました。備後ではあまり食べる機会がないので新鮮です。べビスターラーメントッピングというのも斬新です。
その他にも、東京の皆さまにたくさん紹介していただきました。次回来たときにはぜひ立ち寄ってみたいと思います。

すぐれたことば

1月は雪がよく降りましたね。

どうも、私です。

2019年の元日より、新元号に変わると新聞に載っていました。 天皇陛下がお心を述べられ、生前退位の特例法案が国会に提出される見通しだそうです。 何事も、変わることなく続けてゆくというのは難しいことなんでしょうね。
陛下だけの問題ではなく私たちすべてが人間である以上、本人の気持ちとは別に社会的な関係性、地域との関わり、家族の中の関係など様々なつながりに縛られて苦悩しながら生きています。

昨年の9月、某有名漫画の作者の方が40年に渡る連載を終えられました。 続けてこられた単行本の発行巻数は200巻。 記者会見で、
「びっくりさせて申し訳ないです。終わってしまうのは寂しいことかもしれませんが、本当はすごくめでたいことなんです。まだまだ描きたい気持ちはもちろんありますが、ここで一区切りつけたいと思います」
という趣旨のコメントを述べておられました。
このことに対して、今も現役で別な漫画を45年間描き続けておられる某有名漫画家の方が、
「ご苦労さまと言うしかありません。連載があれだけ長くなると、作品が自分のものではなくなるので、やめるにやめられなくなるものなんです。寂しいのと、うらやましいのと、不思議な気持ちです」
とコメントをしておられました。

作家さんの気持ちは私には分かりませんが、終われるということは寂しさの半面、よろこびでもあるのでしょうね。
反対に、続けていくということは嬉しいことでもあるけれど、ツラいことでもあるんでしょうね。
長く描くということは、読者が増え、キャラクターが増えます。それは嬉しいことですが、「次を早く読ませてくれ」という読者の期待がプレッシャーとなり、ストレスになるかもしれません。作り上げた様々なキャラクターに対する責任というものに縛られ、それがプレッシャーになるかもしれません。 最初は好きで始めた漫画家業も、時が経ちファンが増えることによって、「自分の作品」ではなくなっていく。 描く本人のツラいという思いに反して、側の人間の頑張って描き続けてほしいという思いがある以上、いつまでもいつまでも変わらず続けていかねばならないということは、本人にとってはとてもツラいことなんでしょうね。

そう考えると、国民的アニメ「サザエさん」の「カツオ君」はとてもツラいでしょうね。 日曜日の午後6時半にテレビをつければいつものようにカツオ君が出ています、私は「今日のカツオは何をしでかすかな」くらいにしか思って観ていません。 でもよくよく考えてみると、40年以上も小学5年生を続けねばならんプレッシャーとストレスは想像を絶します。 皆さんはカツオ君の気持ちを考えたことありますか? 彼は口には出しませんが、きっと、ツラいだろうと思います。 私だったら、「あと何年させるつもりだ!いい加減この家を出たいし、アルバイトだって恋愛だってしたいんだ!そもそも家庭内のプライベートを覗かれたくない!!」くらいは言ってしまいます。

人間の人生も同じではないでしょうか。 好きで生まれてきたわけではないけれど、いろんなことを経験しいろんなことに喜び、いろんなことに苦しんで、いずれ終わらねばならないことは明らかです。 いろんな人との関係性の中でさんざん苦悩してきた人に、周りの人間には本人の苦悩が分からないから、「がんばろうね」、「笑顔で健康で長生きしようね」と無責任なことばをかける。
皆さんなら、今までさんざん頑張ってきた人に何と声をかけますか。 また、今までさんざん頑張ってきた自分に何と声をかけてほしいですか。
苦悩していくすべてのものを内包する、何者にも妨げられない「すぐれたことば」、それは私の中にはありませんでした。 人間が超えることのできない大問題は人間を超えたはたらきに問うていくしかないのでしょうね。

筆者  島津 慧

島津コラム2

「やさしく学ぶ浄土真宗」

浄土真宗の教えをわかりやすく学べる講座「やさしく学ぶ浄土真宗」を開講いたします。
生死の迷いを超え、生きる意味、死ぬ意味、親鸞聖人のお示しくださった教えを1からやさしく学んでいきます。
ご門徒の方でも、お寺の方でも、初めて仏法に触れる方でも、浄土真宗に興味がある方ならどなたでもご参加いただけます。
皆さまお誘い合わせのうえ、ぜひお越しください!!


  • 日時
    第1回月 2日(木)
    第2回5月25日(木)
    第3回7月13日(木)
    第4回9月14日(木)
    各回15時~18時まで(受付14時半~)
    ※休憩を間に1回取ります
  • 場所
    福山市市民参画センター
    〒720-0056 福山市本町1-35
    ℡084-923-9005
  • 講師:玉木興慈 先生(龍谷大学教授)
  • 講題:「生死を超える」
  • 対象:どなたでも
  • 参加費:各回2,000円
  • お申し込み:電話・FAX・MAIL等で、お名前とご連絡先をお知らせください。
    電話      090-9064-7173
    FAX   0848-47-0140
    MAIL    dragonjournalonweb@gmail.com
    (受付担当者:河村祐昭)

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【福山市市民参画センター地図】%e5%b8%82%e6%b0%91%e5%8f%82%e7%94%bb%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc

分からない事は恥ずかしいこと?

あけましておめでとうございます。2017年も備龍会は色々と活動していきますので、どうぞ皆様よろしくお願い申し上げます。

さて、先日『知ってるつもり、わかっているつもり、できているつもり、は豊かさを失う』という言葉を聞き、大変共感しました。

ある事について私は全て分かっている、できている、と思った時点でその事に対する問いが出て来なくなります。するとその事に対する新しい知識や感性がもう育っていかないことになってしまうのでしょう。

例えば法話では当たり前のように『南無阿弥陀仏はお呼び声だ』と表現します。そんなことは分かっていると思っている人にとっては、これを聞いても別に何の疑問も出てきません。
しかし、素直に分からないと思う人は、何故南無阿弥陀仏がお呼び声になるの?呼び声ってどうゆうこと?誰が誰を何と呼んでいるの?南無阿弥陀仏ってそもそも何?等々、色んな問いが出てきます。そして、その問いを大切にしていくことによって、よりものの見方や味わいが深まっていくのだと思うのです。普段当たり前のように聞き流している事もよくよく味わってみれば、もっと豊かな世界が広がっているのかもしれません。

分からない事は恥ずかしいと思ってしまいます。しかし、分かっていると思っている方が恥ずかしいことなのかもしれません。やればやるほど自分の未熟さが見え、問いが生まれ、そして、その道の達人たちのすごさが身に染みてゆくのだと思います。もー分かった、できた、と思った時点で試合終了なのです!

私はジャズピアニストの上原ひろみさんのファンです。

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いつか一生に一度でいいから上原ひろみさんのような演奏ができたらいーなーと思うのです。そんな事を夢見ながらピアノの練習をしたり、レッスンを受けたりするのですが、やればやるほど、上原ひろみさんの凄さが明らかになってきて、これは私には到底たどり着けない境地だと凹みます。また、この弾き方はどうなっているのだろうと今までなかった問いも生まれてきます。ジャズピアノをやってない時は、もしかしたらある程度練習すれば同じような事ができるのではないか、と思っていましたが、とんでもない事でした。おそらく私がピアノの練習を重ねていく程に、上原さんと私の差が明らかになって益々凹み、分からない事も沢山出てくるのだと思います。しかし凹めば凹む程に、くしくも上原さんの演奏が心にしみてくるのです!!あー悔しいけど、嬉しい!!

やはり、その道を歩めば歩む程、自分の未熟さ、達人たちのすごさが明らかになっていくのでしょうね。どんな道でもそうなのではないでしょうか。

親鸞聖人というお方こそ、仏道を歩めば歩む程、仏には程遠いご自身の身を知らされ、それと同時に仏様の広大な御心を知らされて人生を歩まれた、豊かなお方だったのではないかと思います。

一年の初めに皆様も、分かったつもり、できたつもり、知ってるつもりになっていないか自問自答をしてみたらいかがでしょうか?その先に豊かな世界が広がっているかもしれません!

私は今年は分からない事は素直に、恥ずかしがらず、遠慮せず聞いてみる事にしてみます。

筆者 伊川大慶

2月13日「仏教教養講座」開講します!!

備龍会が年に1度開催する「仏教教養講座」、昨年は親鸞聖人の御生涯を絵で表した「御絵伝」の第1幅をご解説いただきました。

今年度は、多数の継続希望のお声から、昨年に引き続き宮部誓雅先生にお越しいただき、第2幅~第4幅までご解説いただきます。

どうか皆様お誘い合わせのうえ、ご参加ください。

昨年の講座レポートご参考ください。

親鸞聖人の法然聖人との出会いに思いをよせて


日時  2017年2月13日(月)13時半より
場所  本願寺備後教堂 2階本堂
〒720-0052 福山東町2-4-5  ℡084-924-5759

講師  大阪教区 島中南組 誓覚寺 宮部誓雅 師
講題  「親鸞聖人九十年の生涯」

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“生命”ってなんだ?

「靴には生命があります。しかし、靴には生命保険がないので、大切にその生命を守ってあげる必要があります。」

日本を代表する靴磨き職人、井上源太郎さんの言葉です。

こんな言葉も言われます。

「靴の痛みを知り、それにちゃんと答えられるのが職人だと思います。」

趣味の少ない私ですが、以前とある雑誌で、井上さんの靴磨きに対する思いの綴られた記事を読んでから、靴を磨くことが趣味の一つになりました。ゆっくりと丁寧に、時間をかけて靴を磨く。至福の時です。

靴というのはここでは革靴のことを指します。素材を調べてみると、牛、馬、羊など様々な種類があります。すべて生命からの成り立ちです。例えば、ここぞという時に履く、一張羅の靴があったとします。普段履きはせず、大切に靴箱にしまっていたはずの靴をいざ出してみると、革の艶がなく、保管状態によっては、カビが生えていたという経験はないでしょうか。逆に、仕事やプライベートなどで普段履きしている靴は、傷がついたり、色褪せしたりと、段々と痛んできます。もちろん寿命もあります。靴磨きは、欠かすことの出来ない大切なメンテナンスです。

靴磨きによって、私の靴はピカピカになります。しかしある時、職人が磨いた靴を拝見すると、到底及ばない美しい輝きを放っていました。何が違うのだろうと、今一度井上さんの記事を読んでみました。私の言葉で解釈すると、職人というのは革靴という生命を預かる故、むやみやたらに靴を輝かせるのではなく、それぞれの革靴が持つ成り立ち、性質、そして靴の痛み、全てを見抜き、知り尽くしたうえで靴を磨くとのこと。そのため、どの様な革靴であっても分けへだてなく輝かすことが出来、それぞれの靴が持つ“本来最高の輝き”を放たたせることができるのだと。

深い。

私には以前より憧れの靴がありました。昨年末東京に行く機会があり、友人を連れ添い専門店へ。実物を見て、足を通すだけで満足する予定でしたが、

この機会を逃してなるものか、、、
という悪魔のささやきが聞こえ、

しかし高額、、、
という現実的な理性が働き、

いやいや大切にすれば一生モノ、、、
という根拠の無い自信が芽生え、

だけど妻に何と釈明すれば、、、
という最も憂慮すべき問題が脳裏をよぎり、

 

プライドに満ち溢れた表情の店員さんを目の前に、

靴に足を通し、

直立したまま数分間の心の葛藤、、、

 

 

 

そして、

 

 

 

購入。

 

憧れの靴を手に入れてから、もうすぐ一年が経ちます。未だに一度も履いていません。っと言いますか、履けません。その靴に見合うだけの器ではないのか、それとも勿体ぶっているだけなのか。自分でもよくわかりません。ただ一つだけ感じることは、生命の重み。人工の革では感じることのなかった感覚。高価で希少な靴を購入して初めて感じた生命の重み。一度も履いていませんが、メンテナンスは欠かしません。

今年も年末に東京へ行きます。天気予報にもよりますが、思い切って履き下ろそうと考えています。

 

妻の顔色を窺いながらね、、、

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筆者 山下瑞円

「耐雪梅花麗」~ぼくらのカープ~

今シーズンで引退することとなった黒田博樹投手の座右の銘「耐雪梅花麗」。

元々は西郷隆盛が詠んだ詩の一句で梅花は寒い冬に耐え忍ぶことで春になると一番麗しく咲くという意味である。

挫折だらけの野球人生の中で這い上がってきた黒田投手そのものを現す言葉だろう。

それは25年間優勝を待ち続け、耐えて耐えてついに花を咲かせた今年のカープにもぴったり当てはまる。

ここ数年カープの人気はすさまじいものだ。カープ女子。カープ芸人。色々なコラボ商品。更にはカープ仏壇なるものも登場した。

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数十年前までは地元だけの盛り上がりでしかなかったが今や全国区の人気である。人気は球界のトップクラスであるが優勝となるとなかなか手が届きそうで届かなかった。

今年のペナントが始まる前、恒例の野球評論家による順位予想、大方の予想は4位5位。優勝候補にするのはカープのOBぐらいだった。

そんな中、今季大ブレークしたのがプロ4年目の鈴木誠也選手。
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オリックス戦、6月17日・18日と2日連続のサヨナラアーチ。さらに19日にも決勝ソロホームランを放ち、本拠地で3日連続のお立ち台に上がった21歳の若武者は「最高で~す!」と何度も絶叫した。

その活躍ぶりから緒方監督が放ったひとこと「神ってる」。

最初聞いた時、どういう意味なのか分からない方もいたのではないだろうか?しっくりこない方も少なくないのでは?いわゆる若者ことばである。

これは「神懸っている」を省略した言葉で、「神懸る」は神が乗り移っているかのような、普通ではありえない状態を示す言葉。特に普段は想像もできない大活躍をした人や凄まじい成果を残した人に使われるようだ。

もし流行語大賞に選ばれたなら受賞するのは「神ってる」発言をした緒方監督か、「神ってる」男鈴木誠也選手か、どちらになるのか?

カープは鯉のぼりの時期までとよく言われていたが、今季は怒涛の勢いで6月には11連勝を遂げると、あれよあれよという間に一気に頂点へ駆け上がり、大方の予想を覆した。

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そして9月10日、ついに25年ぶり7度目の セントラルリーグ優勝 を決めたのだ。

深夜の本通りでは道行く人々がハイタッチでねり歩き、「宮島さん」の大合唱♪
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ある方は、新井選手に似ているというだけで胴上げされ、ファンならずとも狂喜乱舞した。(気になる方は検索してみてください。新井選手ソックリです(^^♪)

翌日からは優勝セールなど、今年のカープが広島にもたらした経済効果は331億円にものぼる。

私も恩恵にあずかろうと街へと繰り出してみたが人・人・人・・・人込みをかき分けて歩くだけで精いっぱいだった。

ファンのボルテージも最高潮まで達し、カープイベント・パブリックビューイングなどいたる所で行われた。

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備龍会の会員のお寺、崇興寺ではクライマックスシリーズ・日本シリーズと本堂でパブリックビューイングが行われていた。地域に開かれた寺院を目指し、少しでもお寺へ来るきっかけを作り、尊いご縁にあってもらいたいというすばらしい企画である。大いに盛り上がっていた。
%ef%bf%bdf「仏(ぶつ)ってる」 とでも言うべきか(^-^)

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惜しくも日本シリーズでは悔しい結果にはなったが、期待・喜び・感動・・・・この1年間カープが私達に与えてくれたものは計り知れない。

新井選手の2000本安打・300本塁打に黒田投手の日米通算200勝達成も成し遂げられ、大いに楽しませてもらい、夢のようなシーズンだった。

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今シーズンの喜びと悔しさ。この経験はさらなる力となり未来へ繋がっていくであろう。

来季も自慢のボールパークで一喜一憂し「ぼくらのカープ」と共にさらなる頂きを目指そうではないか!

 

筆者 河村祐昭

「仏法領の物をあだにするかや」~蝋燭アーティストへの道?~

お荘厳に欠かせない”蝋燭”は仏さまのお心を表しているともいわれます。
“光”によって迷いの闇を晴らす智慧の光明、そして”ぬくもり”は固まった私の心を解きほぐしてくださるお慈悲といただくことができます。
また蝋燭を命と喩え、「いつ風が吹いて消えてしまうかもわからない今を生きている」ともお聞かせいただきます。

この蝋燭の種類は、「和蝋燭」と「洋蝋燭」に分けられますが、それぞれに特色があります。私個人としては仏事では「和蝋燭」を好みます。理由は色々とありますが、一番は火の高さと揺らぎです。
「和蝋燭」はハゼの実から摂取したロウから作られるもので、芯にはイグサや和紙が使われます。大きくゆらゆらと揺らぐ炎はなんともいえない情緒があります。

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(和蝋燭金色・・・金蝋燭は慶讃法要・仏前結婚式などに用います)

しかし、和蝋燭はある程度燃焼するたびに、芯を切らなければならないという”メンテナンス”の面や、それに伴う”扱い”への注意、また”高価である”等の理由から、私のお寺では日常のお勤めは主として「洋蝋燭」を使っています。

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(洋蝋燭白色、和蝋燭と比べ炎の高さが小さく揺らぎが少ないです。)

蝋燭はすべて燃え尽きるまで使うことが好ましいのでしょうが、お寺ではどうしても使いきることができないものが出てきます。それを”残蝋”と呼んでいますが、残蝋が次第に溜まってくるので定期的に対応しなければなりません。
そこで、普段使う機会の多い「洋蝋燭」の「残蝋」を使って、蝋燭(キャンドル)を製作するようになりました。

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本願寺の第8代宗主蓮如上人というお方は、ある日廊下に落ちていた紙切れを拾い両の手で押しいただかれたそうです。そして「仏法領の物をあだにするかや」(仏様からいただいた物をムダにするのか)と何一つ粗末にしてはならないとお示しくださいましたが、蝋燭を作ろうと思ったきっかけは残蝋を捨ててしまうのが”もったいない”と感じたところからでした。

仏前で使うほとんどの洋蝋燭の原料は”パラフィンワックス”と呼ばれるもので石油系のワックスです。
パラフィンワックスは数多くある種類のワックスの基本として使うことができます。

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残蝋燭を溶かしてキャンドル専用の顔料で色をつけます。クレヨンでも着色できますが、クレヨン(特に安価なもの)などは粒子が荒いので芯が目詰まりし炎が途中で消えてしまったり、ススがでることがあるので専用のものが安心です。

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着色したロウをセルクルに流して固まったものをカットしてブロック状にしたり、

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「モールド」と呼ばれる”型”を使ったりすると、

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こんな感じになったりします。

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花にしてみたり、

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暇なときにぼちぼち作って楽しんでいます。

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(子供会などワークショップ用に雪だるま試作)

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(金香炉の型を取って作った「獅子香蝋」なんてどうでしょう?笑)

蝋燭の炎の揺らぎは、1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)と呼ばれ、星のまたたきや、波、人の心拍数、小川のせせらぎ、そよ風など、自然現象に見られるリズムで、心に快感と癒しをもたらしてくれるリズムだともいわれます。
仏前に座り、 揺らぐ蝋燭を見つめながらのお勤めは、確かに何とも心地よい気持ちになります。

最近では蝋燭を使った法要や素敵な催しをされているところもちょくちょく見受けられます。

image1 (8)「第60回中・四国地区仏教婦人会大会」の企画で、残蝋を集めて作った展示。

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同教区、光徳寺様降誕会。

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同教区、浄泉寺様報恩講「灯びの集い」。

お寺のサマースクールでの工作、光の演出イベント、チャリティ等々、残蝋を使って、自分なりにできることを模索しながら形にしていきたいです。
そして、日々粗末なことばかりをしてしまっている私ですが、何事も”仏様からの授かり物である”という視点は大切にしていきたいと思います。

最後に、先日汚れた銅の燭台のお手入れについて先輩に相談すると「ベビーオイルで磨け」と教えていただきました。
恐る恐る磨いてみるとピッカピカになりました。機会があれば自己責任にてお試しください。

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(右がベビーオイルで磨いたものです)

筆者 田坂英尊