ラーメンと仏教

国民食という言葉を知っているでしょうか?その国で広く親しまれている料理を指す言葉です。国民食には大きく二つの種類があります。一つはその国で考案され生まれた料理、もう一つは他の国で生まれて持ち込まれた外来の料理です。この外来の国民食の代表格、それがラーメンです。ラーメンは中国で生まれた麺類ですが、もはや説明することが野暮なほどに日本人の生活に根付き、日本人のソウルフードとなっているものです。そして、ラーメン好きの私は気づいたのです。ラーメンと仏教の共通点の多さを!
 
仏教とラーメンの共通点は極めて多いのですが、ここでは3つを挙げておきましょう。
 
一つ目の共通点は、外来であるのにも関わらず日本を象徴するものであることです。とある旅行サイトを見ると、外国人に人気の観光地トップ10の中に、東大寺、三十三間堂、高野山奥之院、金閣寺の4つの仏教寺院がランクインしています。日本らしいものを観たい外国人はお寺へ行き仏教に触れているのです。外来であるはずの仏教は今や日本を象徴するものになっています。そして外国人が好きな日本食ランキングでは不動の寿司に次いでラーメンが選ばれています。ラーメンはその美味しさで外国人を魅了するとともに、日本食として完全に定着しているのです。ラーメンの日本における文化的地位はもはや仏教と同一のものと言ってよいでしょう。
 
二つ目の共通点は、懐の深さ、すそ野の広さです。仏教には8万4千種の経典があると言われ、その膨大な智慧の集合体を仏教と呼んでいます。仏教の中には多種多様な信教思想が混在し、それに伴って多くの教団、宗派、一派があり、玄妙な教義を各々に確立しています。仏教という大枠の中にありながら、様々な教えが数多く存在し合っている広義な宗教です。つまり、仏教において信仰を問われたならば「あなたの仏教はどんな仏教?」の問いが必要になってくるのです。
同じように、ラーメンほど多種多様な料理も他には存在しません。仮にあなたが「ラーメンを食べに行こう」と誘われたとしましょう。するとあなたは「どんなラーメン?」と聞き返すでしょう。このような料理は他にはないのです。ラーメンは麺、スープ、具材その全てか細かくカテゴライズされ、その細微な違いによって全く別の料理になってしまうのです。こってり系とあっさり系においては、もはや好む人種は全く違うと言えるでしょう。寿司、お好み焼き、カレー、そば、など他の国民食にそのようなことは断じて起こりえません。ラーメンの奥深さはもはや仏教と同一視せざるをえない、私は勝手にそう思うのです。
 
そして最後に三つ目の共通点、それはどちらも人を幸せにするものであることです。仏様のご利益を一言で言うならば「抜苦与楽」でしょう。苦しみから解放し楽を与えて下さる教えです。全く同じではないが、ラーメンにもそれに近い要素があります。一口食べたその瞬間、私の細胞の隅々まで行き渡り、私の全てを包み込み、私にこの上ない至福を与えてくれるのです。
 
最後に、カップヌードルで有名な日清食品の創業者安藤百福氏は「人類は麺類である」という名言を残しています。その言葉の真意は今になっては誰も伺い知る事はできませんが、私はラーメンの深みと私の本質を見抜いた真言であると思っています。ラーメンを食べるたびに仏教に想いを馳せ、それと同時に己の至らなさを知らされます。何が言いたいかと言いますと、太り気味の私はラーメンを食べ過ぎないようにしたいということです。ラーメンは太りますからね。

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執筆者 枝廣慶樹