折り紙

4月のコラムを担当します、鎌倉義雄と申します。

さて、突然ですがここで1つ問題です。

皆さんはこの画像が何を表しているか解りますか?

タイトルを見て気づかれた方もいると思いますが、これはとある折り紙の展開図です。

とても有名な折り紙なのですが、こうして展開図だけをパッと出されると何が何だか良くわかりませんよね。ではこの線の通りに折ってみましょう。すると・・・

こういう形が出来上がります。

もう解りますよね、これは「折り鶴」の展開図でした!

折り鶴はおそらく世界で最も有名な折り紙です。皆さんも一度は折ったことがあるのではないでしょうか。私も母から最初に教わった折り紙は鶴だったと思います。また毎年8月になると生徒の皆で作った千羽鶴を広島の平和公園に奉納する小学校も多いので、折り方を覚えている人も多いでしょう。


そんな折り紙ですが、今日では「ORIGAMI」という呼称となって日本を飛び出し、世界中に広まっているそうです。私は詳しくは知りませんが、医療器具や宇宙開発の分野でも折り紙の技術が注目されているとか。なんとも夢が膨らむ話ですね。

YouTubeで「折り紙」や「ORIGAMI」と検索すると世界各国の人達が様々な作品を折っている動画がヒットしますので、皆さんも子供の頃を思い起こして1つ挑戦してみてはいかがでしょうか。

それにしても改めて考えると折り紙とは不思議なものです。だってただの紙を折るだけで、多くの人が「鶴だ!」と認識できるものになるのですから。紙が紙であることは変わらないのに、これって実は凄いことだと思います。

紙はどうして鶴になれるのでしょう?

仏教には「縁起」という思想があります。これは簡単に言いますと物事は「原因」があるから「結果」が生まれるという考えです。折り鶴で例えますと、折り鶴はそれ自体がいきなりこの世に現れたわけではなく、紙を折ったという“縁”があるから鶴という結果として存在しているのだ、といった感じです。

また、ただ折っただけで鶴になった訳でもありません。それだけでは鳥のような形をしただけの紙ですからね。別にサギでも白鳥でも良いじゃないですか。折り鶴を知らない人がコレは何?と問われたら、「鶴だ!」と言い当てることは難しいでしょう。

折り鶴はそれを鶴だと思ってくれる人がいなければ鶴にはなれません。紙を折って形作った鳥を誰かが鶴と名付けて、みんなでコレは鶴だと認識しているから、折り鶴はただの紙でもサギでも白鳥でもなくになれるのです。


では私という存在はどうでしょうか?


私も折り鶴と同じなのかもしれませんね。私は鎌倉義雄として、ひとりでにこの世に現れたわけではありません。赤ちゃんとして産まれたその時から、あるいはもっと昔から、多くのご縁と多くのお育てによって一つ一つ「折られて」、今の私の姿がここにあるのです。

そして今世の両親が私を「義雄」と名付け、皆さんがそう呼んでくださるから、私は他の誰かではなく鎌倉義雄という一人の人間として生きることが出来るのでしょう。

私の人生は私の力だけでは成立していません、私の命も私の力だけは存在できません。多くのご縁を頂いて今の私がある有難さに、感謝をしなければなりませんね。


執筆者 鎌倉義雄