枯れ木に花を咲かせましょう

新しく年が明け、1年の過ぎるスピードが早くなってきたと再自覚する40代の毛利がこの度は担当いたします。

本当に時の過ぎるのは早く、つい先ごろまで紅葉に目を奪われておると思っていたら、落ち葉を集めている間に冬が訪れたといった感じで時間が通り抜けて行っております。

自坊には樹齢200年をこえるイチョウの木が立っており、秋には境内を黄色く染めてくれます。これまでも、この木の下であったたくさんのことを見守ってきたことでありましょう。

イチョウの木というのは大型木造建築にはつきもので、燃えにくい葉や枝、幹を火災の鎮火に用いる防災を兼ねて大切なものを守ろうとの思いから植えられていたものです。ただ立ってるようなものでもいろんな思いが繋がって大きな姿になるんですね。


昨年の11月、父(前住職)の三回忌をお勤めさせていただきました。その時、父のきょうだいである叔母さんが3人集まってくれ、昔の自坊の話やら近所の話を沢山おしえてくれました。
変わったところや変わらないところ…

実は私が父が往生してのちに、境内の庭木を結構な本数切りました。昔を知る叔母からしたら、今まであったものがなくなるのは寂しい思いがあったのだと思います。
「あれも無くなったんじゃねー」という言葉を内心ヒヤヒヤしながら聞いておりました。しかし、叔母もこれからの事は私たちが中心になることをわかって気遣ってくれたのか「スッキリして良くなったねー」とも言ってくれました。

その話の流れの中で、庭に一本枯れかけの柚子の木が生えているのですが、
「あの柚子の木だけは、私らがおる間だけでいいけー切らずに置いといてね〜」
と言われました。

理由を聞くと、その柚子の木は私からいうとひいおばあちゃんが植えたものらしく、

「柚子の木は『桃栗三年、柿八年、柚の大馬鹿十八年』なんて言われてね、種から発芽させて苗木になってから植え替えて根付かせて…気候条件もいろいろあってなかなか実をつけるまで大変じゃし、時間がかかるものなんよ。昔は植えた人はまず口にはできんものって言われとったんよ。」

と教えてくれました。
我がために植えるのではなく後の者たちのために、ということです。孫である私たちの為に植えてくれたものという愛着があるんでしょうね。

私たちは、生きていけばいろんな困難があります。その度に私の為にと、はたらいてくださる願い知らされれば、もうちょっとだけ頑張ってみようと思えるのかもしれませんね。

これから寒い時期にはゆず湯なんていいかもしれませんね。

執筆者 毛利令就