ならせていただく

あけましておめでとうございます。2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、先日あるテレビ番組で

「最近の若者の言葉遣いは、どうにもおかしい!」

というお便りが紹介されました。お便りを出された方は

「特に二十歳にならせていただきました。という言葉を聞いた時には、おかしさを通りこして、呆れかえってしまいました。」

と締めくくられていました。

私もいわゆる、最近の若者なので不勉強なことが多いのですが、ここでは「二十歳になりました。」という言葉が正しいのであろうと思います。

 

ですが、呆れかえるほどおかしな言葉でしょうか?私は「二十歳にならせていただきました。」という言葉にはとても大事な意味が込められているように感じます。

 

私を含め、今このコラムを読んで下さっている皆さんも、今までの人生、自分一人の力で生きてきたという方はいないのではないでしょうか。

私を産み育ててくれた両親や家族、一緒に学んだ友人、導いてくれた先生。直接関わってきた人たちだけではありません。私の着ている服を作ってくれた人、私がいただく食品を加工してくれた人。毎日の食事ではたくさんのいのちをいただいています。

「いままでたくさんのいのちに支えられたおかげで、私は二十歳まで成長させていただきました。」という感謝の想いが「ならせていただきました。」という言葉には込められているのではないでしょうか。

阿弥陀さまのお育ての中、仏さまと「ならせていただく」仏道を歩む私たちです。私を支えて下さるすべてのいのちに感謝しながら、今年一年も過ごしていきたいと思います。

筆者 季平願生